どうしてこうなった。戦闘職を退いて久しいにも関わらず逞しく分厚い肩を精一杯縮こまらせて、《共感》は唸った。
戸の隙間から見えるのは、馬鹿馬鹿しい愁嘆場だった。元同期である《先導》が、俯く新米司書の《夢想》に眉を潜めている。
ここは確かに《先導》専用の個室で、内鍵をかけて密室にしており、今は休憩時間なのかもしれないが、日の高いうちからする話ではないだろう!
そう怒鳴り込まないのは、《共感》が《先導》の留守中に無断で入り込み、《先導》が戻ってきたのに慌てて狭い戸棚に隠れた後ろめたさからだった。
うっかり物音を立てないよう息を殺しているが、慌てて潜り込んだ棚は狭く、元々戦闘系個体だった《共感》には息苦しかった。中にあった物を乱雑に放り出したので、本来ならすぐに違和感を持たれていたはずだ。
そもそも、自室に入った侵入者に、現役の戦闘指揮官である《先導》がまるで気づかないのは、それだけ暗い顔をした《夢想》に意識を割いているからだろう。表情はいつもの仏頂面だが、その気配は珍しく狼狽したものだった。
忌々しく舌打ちしたくなるのを堪えて、早く終われと念じていると、事態は意外な、《共感》にはまるで嬉しくない方向に進展した。
(なっ、何をしてるんだ、アイツは!)
今にも泣き出しそうだった《夢想》の顎を持ち上げた《先導》が、鳥が餌を啄むような自然さで唇を奪った。
はむ、と下唇を咥えて、舌を滑り込ませる。歯列を舌先がなぞり、頬の内側を舐めて舌を奥から絡ませる。己の吐息が相手に、相手の吐息が己の喉に流れ込む。
悲鳴をこらえて、《共感》は《夢想》が体験しているのだろうその感覚と戦った。
一方的な共感。かつて戦闘職で将来を嘱望され、そしてその道を諦める原因ともなった《共感》の権能だ。
体の感覚、相手の感情を、己の物と誤認する。上手く調整すれば相手の動きを読み味方の不調をいち早く察知できるはずだった権能は、初陣の混乱で暴発させてしまって以来、今なお制御できていない。一度暴走すれば、自分の意思とは無関係に周囲の感覚を貪ってしまう。
ポケットにある遮断薬を取り出そうにも、狭い戸棚の中では物音を立てずに実行するのは無理だった。舌を舐める《先導》の熱く湿った感触に、混乱していた《夢想》はすぐに耽溺して、その陶酔が《共感》の脳を茹で、指を震えさせる。
(長いっ! いつまでやってるんだ!!)
罵声を唾液といっしょに飲み込んだのを、何度繰り返したことか。ようやく長い口づけは終わった。
頬を火照らせ、だらしなく緩んだ《夢想》の唇から、唾液の糸が《先導》の唇へと伸びて、ぷつりと切れる。
「落ち着いたか?」
あれほど情熱的で執拗な口づけの後とは思えないほど静かな《先導》の声に、我に返った《夢想》がコクコクと頷く。
「不安にさせて悪かった」
もう一度、驚くほど優しい顔で《夢想》の頭を撫でた《先導》に、《共感》は目を奪われた。初めて見る表情だった。
いや、そもそも、今のやり取りは、どう考えても恋仲のものだ。
混乱する。天使は庭園の世界樹──と呼ばれる生体培養施設──で製造される。生殖機能は原型となった生物の名残で、心身の負荷の緩和や交流に利用されるもので、つまり、同性型同士の密な交流を妨げるものではなく、つまり。
安堵したふうに微笑む《夢想》と、その微笑みを愛しげに見下ろす《先導》。
何一つ共感できない情景に、《共感》の胸が潰れる。
その感情を《共感》が咀嚼する時間は、しかし与えられなかった。
「あの、《先導》と性交したいんだけど、いいかな?」
意を決したふうな《夢想》の言葉を、《共感》は聞き逃した。動揺していたせいでもあるし、馴染みのない単語だったせいでもある。
《先導》は聞き取れたらしく、「いいのか?」と念を押すように尋ねていた。
「前のときも、ほんとは、したかったんだ」と《夢想》が恥ずかしげに頷く。
「少し待て」
言い、《先導》は片耳を押さえる仕草をした。頭上の光輪が通信の形態に変じる。
「ああ、悪い。少し野暮用ができてな。午後の指導を代行してほしいんだが……助かる」
頬を赤らめた《夢想》が自分も片耳を押さえ、午後休みの申請をする。こいつらは何をするつもりなのか。答えはすぐに明らかになった。
《先導》の足元に跪いた《夢想》が、《先導》のズボンに震える指を伸ばした。前をくつろげさせ、ボロンっとまろび出た如雨露のような男根に息を飲む。
ご丁寧にも、《共感》の隠れている戸棚は《先導》と《夢想》が触れ合う真横にあり、その様子がつぶさに観察できた。
鼻を二、三度膨らませて酸っぱい雄臭を吸い込んだ《夢想》が、意を決したように口を開き、赤い露茎にキスをする。口いっぱい開いたつもりが先端しか含めておらず、それでもちろりと伸ばした舌先に、痺れるような塩気が喉の奥まで届いて舌を濡らした。
あふれる唾液を擦り付けるようにベロベロと舐め回す。えぐみのある味が愛おしく、舌に触れる滑らかな亀頭の感触が心地よかった。思い切って頬に含むと、熱と硬さを帯びた弾力が広がって、素直に美味しい。
そんな《夢想》の感覚を強烈に受信して、《共感》は戸棚の中で悶絶した。まずい、気持ち悪い、吐きそうだと思いたいのに、こみ上げる《夢想》の歓喜がそれを押し流す。
見るからに純粋で擦れていない《夢想》の感情は、瑞々しく鮮やかだった。愛する相手の一番敏感で柔い部位を預けてもらえる信頼に、喜びながらも応えようと必死に舌を動かしている。
いっそ代われ、と《共感》は怒鳴りたかった。熱心なのは身に染みてわかったが、《夢想》の舌遣いは不慣れで、刺激が足りないのが口の中の感触だけで伝わってくる。
これなら、自分がしたほうが早く終わる。茹だった頭にそんな考えがよぎった刹那、《夢想》の頭に手を乗せて椅子に腰を下ろした《先導》が、《夢想》の手を掴んだ。
「真似してみろ」
指先を含んで、ぺろりと舐める。
ただそれだけで腰の奥まで届きそうな刺激に固まった《夢想》は、《先導》に促されて口淫を再開した。表面を舐める動きに、息を吸い込んで啄むような動きを加える。
(おい、やめろ)
心臓に氷が降りたような心地で、《共感》は囁いた。盗み見られていることなど露知らず、《夢想》は指をしゃぶる《先導》の動きを真似た。
チュウチュウと塩辛い先走りと唾液を飲み込み、淡く、本当に淡く、触れ合うくらいにそっと、《先導》の亀頭に歯を立てる。息を飲んだ《先導》の男根がぷくりと膨らんで上を向く。唇から逃れて頬を叩いた愛しい男の分身に、《夢想》が嬉しげに頬ずりして立派な硬さと脈打つ熱を堪能する。
(やめてくれ)
《共感》の手のひらで抑えた口の中で、悲鳴と肉汁の味が渦巻いた。《先導》の指示に従って裏筋から根本まで唇を滑らせた《夢想》が、肥えた陰嚢を片玉ずつ口に含んでは舌の上で転がす。
蒸れた雄の臭いが鼻の奥まで充満して嘔吐きそうになり、《共感》の目尻から涙がこぼれた。
《夢想》は明らかに性知識に乏しく、性経験もこれが初めてだろうが、朴念仁で堅物の《先導》だってそんな慣れてないはずだ。
だから、《先導》の口淫の指導は、間違いなく、《共感》がかつて《先導》にした動きを参考にしていた。
厳しい訓練の合間の、お遊びだった。
訓練で昂ぶった体を鎮めるためとか、ほとんど罵倒に近い鬼教官の指導で泣きそうになったのを誤魔化すためとか、色々理屈を付けて、訓練生だった頃の自分は《先導》を誘ってそういうことをした。
熱心なのはもっぱら自分のほうで、《先導》は嫌々とまでは言わないまでも、どちらかというと消極的に《共感》に付き合った。
だから、こんなにはっきりと《先導》が《共感》の技を覚えてるなんて、思わなかった。
「はっ。あむ、ちゅぷ、ぷはっ」
水に顔を付けては息継ぎするように、《夢想》が涎まみれで《先導》の男根に奉仕する。
蒸れた雄の臭いに酩酊する《夢想》の頬に、《先導》が触れる。トロンと蕩けた《夢想》の目が、《先導》の静かに熱を帯びた視線と交わる。
「《夢想》。熱心なのはいいが、こっちを見ながらにしろ。自分のに嫉妬しそうだ」
大真面目な《先導》のセリフに、《夢想》の瞳が一気に正気に返った。上気していた頬が羞恥で真っ赤になり、唇の先の男根に負けず劣らず熱くなる。
恥ずかしさのあまり目元を伏せそうになるのをこらえて、《夢想》は両手で《先導》の根元を握った。上目遣いに《先導》を見上げながら、縦笛を吹くように先端に口づける。
《先導》も《夢想》の柔らかい髪に指を添えて、ゆっくりと腰を動かし始めた。頬の浅いところに擦り付けて、柔らかい粘膜を堪能する。舌ではなく男根でキスをするような仕草だった。
湿った音が、戸の外ではなく鼻先で響いてる気がして《共感》は強く唇を噛んだ。血が滲むが、舌に感じるのは血の味ではなく、《先導》の塩辛い性器の感触だけだった。
どうしてこうなった。明らかにおかしいと、《共感》は喚きたくなった。強く目をつぶると、目蓋の裏に広がるのは暗闇ではなく、《夢想》の見上げる《先導》の汗ばんだ顔だった。
ここまで強烈に権能が暴走したことは久しくなかった。確かに制御は不安定なままだが、制御薬は常用している。不意に暴発してしまうことはあったが、能動的に使おうとしない限りここまで感覚が流れ込んでくることはないはずだ。
(だって、お前が望んだことじゃないか)
頭の奥で声がして、《共感》は目を見開いた。目蓋を開いても視界は相変わらず《夢想》のもので、髪を撫でる《先導》の大きな手のひらまで感じてくる。
(《先導》の留守中に部屋に入り込んで、弱みを探すんだなんて息巻いてさ。本当は、アイツのことを少しでも知りたかったんだろう?)
違う。首を横に振ろうとしたが、視覚も触覚も朧で、実際にできたかは定かでない。
頬に触れる《先導》の熱を、はっきりと感じる。自分の感覚は溶けて上書きされ、耳を塞ぐことすらできない。
(アイツのことを一番よく知っているのは自分だ、なんて心のどこかで自惚れてるくせに、離れていく距離に怯えてる。
関係が途切れないように喧嘩を売って、本当、惨めだよ、お前は)
違う、違う、違う。そんなことは思っていない。そんなことがあるはずない。だって、アイツの一番近くにいるのは、自分のはずだったのに。
同じ年に生まれた兄弟だった。同じ戦闘用素体として教育され、訓練を受け、将来は戦闘指揮官として肩を並べ合うはずだった。
あの初陣で、敵味方双方の感覚を無差別に受信して恐慌状態になった自分を抱えて安全地帯まで逃がしてくれたのは、《先導》だった。肩を抱いてくれた腕の温もりを、今でも覚えてる。
《先導》はその後も戦い続け、期待された通りに誰よりも早く強くなり、その強さを皆に分け与えるようになり……自分は生活改善課に回されて、くすぶり続けてる。
「っ、《夢想》、そろそろ離れろ。出る」
「ぁ……」
飲みたい。が、どう言えばいいかわからない。そんな気持ちで見上げた《夢想》の視線を、《先導》は正しく読み取った。
いつも冷静な面差しが、汗ばみ、紅潮している。乱れた髪が額に張り付いて、雄の色気とも言うべき魅力が膝の間の《夢想》に向けられる。《共感》にではなく。
潰れそうな心臓の鼓動だけが、最後に残った自分の感覚だった。腰を疼かせる欲望も、頭を茹だらせる幸福も、すべてが混然と溶け合って、どこまでが自分のものだったのか判別できない。
こんなやつ、好きじゃない。そう頭の中で呟けば、冷徹な反論が返ってくる。では何故、ろくに接点のない《夢想》に共感した? 《先導》に共感して口淫の快感を味わうほうが、男として自然じゃないか? そうならなかった、その理由に、もう気づいているんだろう?
「出る、ぞっ」
「ふぁっ」
腰を引いた《先導》が、《夢想》の鼻先で性器を弾けさせた。白く濃厚な精液が青臭く生臭い熱気を撒き散らしながら《夢想》の顔いっぱいに着地した。
手のひらの下で肉筒が膨らんでは痙攣する。余さず搾り出そうと指を動かし頬を擦り付ける。垂れてくる精液を舌で舐めとり、嚥下する。冷めてきた子種はお世辞にも美味しいものではなかったが、それでも愛おしく、喜びが喉に絡みつく苦味を心地よく感じさせた。
「ぇっと、どう、だった?」
「上手かったぞ。さすが情報統合局の有望株、飲み込みがいいな」
珍しい軽口に、《夢想》が《先導》の脛を殴りながら立ち上がる。
顔を洗い口を濯ごうと洗面台に向かうその背中を、《先導》が捕まえた。
「お前はまだだろう?」
「いっ、いや、僕はいい!
いいってば! 聞けよ!!」
イチャつく《夢想》に、もう《共感》は共感していなかった。ズボンに包まれた下肢に、べっとりとした滑りと青臭さを感じる。
口に感じた《先導》の絶頂で、射精したのだ。《夢想》はそこまでは至らなかった。歪んだ優越感が、闇の中で苦い唇を持ち上げる。
仲睦まじく抱き合う《先導》と《夢想》は、背後で一翼の堕天使が誕生したことに気づかなかった。