うたた寝ふわふわ今日も晴れ

「ねぇ、聞いた? 新しく入ってきた子。PSI保持者サイオニックなんだって」 「ああ、代表直々にスカウトしたってやつ?」 「それがさ、読心系って噂」 「こわっ。頭の中覗かれちゃうの?」 「あ、聞いた聞いた。そんな大したことないらしいよ。  近づかないと読めないし、気ぃ張ってたらよくわからないってさ。秘書課の友達が言ってた」 「秘書課、なら信憑性あるか」 「要は居眠りするなってこと? あんたヤバいんじゃない? 推しのスケベな妄想見られちゃうぞ~」 「ちょっとセクハラやめて~」  自分のPSIの情報が社内に広まっているのに、蓋に書類を積まれた段ボール箱の中でユメミヅキは満足した。  事前に諜報課に頼んでおいて良かった。今も一般社員の中に紛れた彼らが、指示通りに情報を流してくれている。 (変に警戒されるより、侮られたほうがやりやすいですもんね。  こんなふうに)  段ボールの中で目をつむり、リラックスして、ユメミヅキは心を広げた。  頭の中にうっすらと張った泡が、ふわふわと膨らんでいくイメージ。自他を隔てる幔幕が広がって、頭の中に用意した舞台が世界に広がる。  ユメミヅキのPSI《夢幔幕》は、使うと強い眠気に襲われる。夢の形で人の意識を受信するので、必然的に眠ってしまうのだ。  展開した夢の舞台に、幔幕の中に引き込んだ意識を招待する。舞台から客席を見るイメージ。座っているのは意識の泡で、みんな舞台に背を向けている。  その顔を舞台に向けさせる。それができるのは一度だけで、泡はすぐ背中を向けて、幔幕の中から出ていこうとする。  どのくらいの間舞台を見ていてくれるかは、招待した泡の意識の緩み具合にかかっている。警戒している意識はあっという間に背を向けてしまうが、眠っている意識はゆっくりで、じっくりと泡に浮かぶ夢を眺められる。  当然、一つの泡を集中して見るほうがじっくり眺められるが、一人ずつ調べていたのでは時間がかかりすぎる。  客席に浮かぶ無数の泡に向かって、ユメミヅキは一言こぼした。 「不正」  その単語に、一斉に泡が連想した夢が広がる。 『噂で聞いた』 『経理の辻褄が合わない箇所が見つかったって』 『監査が探してる』 『どうやったんだろう』 『おれもやりて~』 『ミトメさんが動いてるって』 『こわい。また人が死ぬのかな』 『こわい。みんなピリピリしてる』 『こわい。でも大丈夫。きっとバレない』  見つけた。  ニコリと笑って、ユメミヅキは泡たちに夢を見せてやった。  変わらない日常が続く夢。明日も同じ日々が続く。誰も死なず、罪は発覚せず、悪は暴かれない。そんな夢を──
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「残念ね」  呼び出された先に代表がいて、重い肩の荷が下りた。  崩れ落ちるように膝をつく。何度も思い浮かべた通りに、三つ指を揃えて、きちんと頭を下げることができた。 「申し訳、ございませんでした」 「貴女には期待していたのだけれど」  その期待を裏切ったのが、ずっと申し訳なかった。  真面目に働いていた。人に頼られ、褒められるのは喜びだった。それだけで良かったのに。どうして、私は、あんなことを。 「お金は、必ず、お返しします」 「どうやって? 貴女が働いて返せる額ではないと思うのだけれど」  冷たさのない、あどけなささえ感じる代表の詰問に、丸めたままの背中が震えた。 「全部、全部は無理かも、無理でも、少しずつでも、必ず」  自分が都合の良いことを言っていると、自覚していた。それでも、他にどうすればいいかわからない。  馬鹿だった。こうなるとわかっていたのに。どうして。私は。 「そうね。じゃあ、働いて返してもらおうかしら」  代表の言葉の意味がわからず、顔を上げた。  成熟した女盛りの顔に、女児のようなイタズラっぽい笑みを浮かべて、テンセイ代表は私を見下ろしていた。 「貴女の働きぶりは天晴れだったわ。真面目に働いていたのは不正を隠すための強迫観念もあったのでしょう。でも、それだけであれほどの辣腕は振るえない。  これからも天晴財閥のために、貴女の能力を活かしてほしいの」 「わた、私は、自首して、罪を償わないと」 「あら。ここは埼玉国の天晴財閥よ?  貴女の罪を裁くのは司法ではなく私。どんな罰を与えるかもね」  畏れていた冷たい罵倒と裁きの代わりに、柔らかな称賛と赦しが降ってくる。  この人は、きっと私を裏切らない。確信に、ほろりと、熱い血飛沫のような涙が頬を伝った。産声のように泣き声を上げる。  天の赦しを与える聖母のように、天晴テンセイ トナエは不正を働いた社員を抱きしめた。 「貴女にはこれから監視が付くし、給料はずっと天引きされる。  でも、罪を償い、天晴財閥に尽くす意志がある限り、私は貴女の味方よ」 「はいっ、はい……! テンセイ様!!」  テンセイにすがりつき、女は泣いた。  不正を働く原因になった男のことは、頭からすっかり洗い流されていた。
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「ふわぁ。おはようございます、ミトメさん」 「おはよう、ユメミヅキさん。もう起きて大丈夫なの?」 「あのくらいなら三十分ってとこですね。体調にもよりますけど」  夜更かししてる最中に寝落ちするような感覚だ。覗いた夢が長く深いほど眠気も強くなるが、表層を漁る程度なら昼寝程度で醒める。  不正を働いていた社員に「テンセイ代表はずっと自分を裏切らない」という夢を見せて、不正させてまで貢がせていた男への不信感を煽った。テンセイのPSI《擬説得》も合わさって、かなり深い忠誠心を植え付けられただろう。  それが永続するかはテンセイ次第だが、「このくらいで忠誠心の厚い有能な社員を得られるなら安いものね」と笑っていたのだ。これ以上はユメミヅキの関与することではない。  伸びをして、ユメミヅキはミトメの足元に縛られた男がいるのに気付いた。 「あれ? まだ処分してなかったんですか?」 「うん、それがさ」 「あっ、アンタ! 助けてくれっっ」  男の命乞いに、ユメミヅキはゴキブリと目が合ったような顔をした。 「じゃ、ミトメさん。ボク仕事終わったんで、失礼します」 「待って待って。この人、不正で貢がれたお金をどうしたか、教えてくれなくてさ」 「え。覗けと。ボクに?」 「ダメ?」  ユメミヅキは、苦虫を噛み潰したような顔をした。 「ミトメさん。汚物の浮かんだゲロの海に潜るのって、どんな気分になります?」 「嫌だけど、仕事ならするかなぁ」 「あ~~~そうですね仕事ですもんね、はぁぁぁぁあああああああ」  深く深く息を吐いて、ユメミヅキは見たくもない虫けらを見下ろした。  男は死の恐怖に怯えている様子で、このまま夢幔幕を使ってもロクに意識を覗けそうにない。 「……ギロチンってあるじゃないですか」 「? うん」 「アレで首を落としたらしばらく脳が生きてるって話、ほんとだと思います?」 「まてっ、まて! たす、助けてくれよ、なんでもするからっ」 「じゃあ死んでほしいんですけど」  尺取り虫のように縄で縛られた体をくねらせて騒ぐ男に、嫌悪感が無限に湧いてくる。どうせギャンブルかなにかで使い果たしているだろうと思うとやる気も湧かない。  時間をかけないとどうにもならないがなるべくさっさと済ませたい。義務と忌避感で板挟みになっていると、男がまたわめいた。 「おっ、おまえ、処女だろ? オレ、上手いぜ? 天国見せてやるよ、なぁっ……」 「……彼女さんにもそういうこと言ったんです?」 「彼女じゃねえよっ! むっ、向こうはそのつもりだったかもだけど、ただのセフレだぜ? 金だってくれるからもらっただけだよ!  天国だってホントに見せてやったから、正当な対価だろ? クスリも使わずにあんだけ乱れさせたのはオレのテク」 「もういいです」  何もかもを放り投げて、ユメミヅキはねだった。 「ミトメさん。それ、窓から落としてください」 「ん~、わかった」 「へっ? おっ、おい、待て、オレが死んだら、金の在り処は」  命乞いを聞かず、ミトメの影が膨らんだ。巨漢の形に盛り上がった影法師──ミトメのPSI『おしのび用心棒』が、男を軽々と持ち上げる。 「まて、まてまてまてわかった教える、教えるからっ! 金の在り処は」  窓が開いて、風が全身を包んだ。  一瞬の浮遊感。くるりと体が宙に転がる。視界が空に、地面に移ろって、意識が細切れに。スローモーションの中で、走馬燈を見る。  金。金がほしかった。理由なんかない。あればあるだけほしかった。  女。女も抱きたかった。都合の良い財布のつもりで、飽きたら捨てるつもりだった。泣いて縋ってきたから金を出させた。  そしたら、いっぱい持ってきたから。ずっと。持って来いと言った。それだけだ。オレが、不正をしろって言ったわけじゃない。俺が悪いんじゃない。だから。 「はい、ストップ」  ガシッと足首を掴まれ、落下が止まる。髪が地面をこすれる感触がする。  上下が逆になった視界で、さっきの地味な、眼鏡の女がこっちを見下ろすのが見える。 「お金はどこです?」 「かっ、金は、返す! 賭けを外しちまって、今はすっからかんだけど、当たったら必ず」 「はー、予想通り。  他は? 埼玉国の自宅や車、ご家族に配った分は押収させてもらいましたけど、どうせ見栄を張るのに人に奢ったりもしましたよね?」  行きつけの店や友人の名前を思い出せるだけ叫ぶ。  つまらなさそうに聞いていた女が、一通り聞き終えて尋ねる。 「で、奥さんは、どちらに?」 「っ……つ、妻は国外にいる。手を出したら、日本の警察が黙っちゃ」  足を掴んでいる指が緩むのを感じて、呆気なく妻の名前と住所が喉から漏れた。  自分が一番大切にしていると自負していたものを裏切ったことに、何の痛痒も覚えなかった。死にたくない。生きていたい。  今日は、浦和でデカいレースがある。券ももう買ってある。きっと当たってる。女からもらった金を返して、あまりある額だ。  それで、人生をやり直す。埼玉なんか出て、妻と日本の外に行って、幸せに。だから。 「はー、ほんっとに気が進まないんですけど、不正してた社員さん、素直に取り調べに協力して、あなたの命乞いしてるんですよねぇ。  だから、命だけは勘弁してあげます。彼女さんに感謝してくださいね?」  ゆっくりと地面に降ろされる。助かった。涙が落ちる。  助かった。助かった。助かった。ありがとう。感謝する。何かに。すべてに。目の前の女に。ずっと財布としか思ってなかった女に。  今までで一番、初めて、心からの感謝を捧げて。  地面が消えた。 「へ?」  つま先が空を掻く。頭上が地面になる。欠伸をしながら、窓から女がオレを見下ろしている。  ゆっくりな視界で、聴こえるはずのない女の声が聴こえた。 「助かったと思いました?  残念。夢オチです」  イタズラが成功したような明るい声に、怨みを感じる暇もなく命乞いしようとして、  ぐしゃりと音がして、目の前が真っ暗になった。
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「ふわーぁ。おはようございます。  案の定、虹霓会の賭場で使い果たしてました。いいカモだったっぽいですね。  奥さんは埼玉の外です。住所と名前メモりますね」 「うわぁ、回収めんどうだなぁ。  ありがと、ユメミヅキさん」 「いえいえ、掃除が面倒な手を取らせちゃったんで、すみません」 「いいよ、予定外の業務させちゃったしね。  代表から伝言。今日はもう直帰でいいってさ」 「は~い。うわ、もう夕方だ。寝すぎた」  日が暮れ始めている窓の外にぼやきながら、ユメミヅキは携帯枕から空気を抜いた。  今夜は眠れるだろうか。まぁ寝れなかったらPSIを使えば良い。どうせ隣接する部屋の社員の夢を覗くよう指示されてるし。 「あ、ユメミヅキさん」 「? まだ何か?」  ミトメはマスクの下で苦笑した。 「天晴財閥にようこそ。これからよろしく」  意表を突かれ、ユメミヅキは目を見開き、それから、年相応の少女の笑顔ではにかんだ。 「はい、よろしくお願いします」