或る幼い日々の肖像

 気に食わないったら気に食わないと、カスパー・ヴォルフガング・フォルトナーは毒づいた。口に出してそれを言うのは憚られたため、胸中のみのことではあったが。 「いくら言ったらわかるんだ! 考え無しに慈悲をふりまくのは止めろ!」 「だって、可哀想だったんですもの」 「だからってあんなに食糧を渡す馬鹿があるか!」 「だって、たくさんあげた方がいいと思って」 「ああそうだな、その結果乞食が押し寄せて暴動になりかけたんだったな、阿呆が」  しばらく前に旅の一行に加わったこの女、エレオノール・ソラナ・アルフォンソは、深窓の馬鹿だった。  乞食を見ては施しを与えスリに狙われ、物珍しいものにふらふらと立ち寄っては悪漢に絡まれ、現地の風習を考慮せず神の戒律を無視する者に説教をして諍いを生む。全体的に空気を読まない、挫けない、はっきり言ってタチが悪い。  いかなる天運かそれこそ神のご加護か、当人は決まって難を逃れるのが尚のこと腹立たしい。彼女が旅に加わったのは主の決めたことゆえ反対できなかったが、そうでなかったらこんな馬鹿女とっとと路地裏に捨てている。 「カスパー、それぐらいにしておけ」  玲瓏とした声に振り向き、カスパーは恭しく礼を取った。  青い髪、蒼の目、苛烈にして怜悧な美貌。年下の少女であるミストを主と呼び忠誠を誓うことに、彼は何の不満も抱いていない。不満は別の所にあった。 「レオは賢い子だ。同じ間違いはしない。  施しをするのはレオの信念によるものだ、大目に見てやれ」 「……御意」  甘い、我が主は甘すぎる、とカスパーは思う。常日頃の主が慈悲深いわけではない。寧ろ冷淡で厳格だ。だが、彼の主ミストは、何故かエレオノールに寛容だった。はっきり言えば気に入っているようだった。この馬鹿のどこが、とカスパーは不満に思う。  近寄ったミストに、エレオノールは目を伏せて顔を俯かせた。たおやかな声がか細く紡がれる。 「ご迷惑をおかけしてごめんなさい、ミスト」 「気にしなくていい、レオ」  気に食わない、とカスパーは眉をしかめた。自分には口答えする癖にミストには殊勝に謝罪するエレオノールも気に食わないが、エレオノールに甘いミストの態度も不満だ。  エレオノールは同じ間違いはしないと言うが、それは確かにそうだが、エレオノールが反省し改善するのは「一人で行動しない」とか「食糧をばらまかない」といった細かい点のみであり、そもそもの原因である「乞食に近づく」「騒動に首を突っ込む」といった行動の反省は全くされないのだ。  俯いたエレオノールの黒髪に白い指を差し込み、ミストは艶やかに優しくその髪を梳いた。エレオノールが顔を上げ、控えめで恥ずかしげな笑みを浮かべる。  それに呼応し、ミストの唇も淡い笑みを掃いた。怜悧な美貌が和らぎ、水面に浮かぶ花のような可憐さが現れる。 「さ、食事にしよう。レオの好きそうなものを買ってあるんだ」 「まぁ。ありがとうございます、ミスト」  年頃の少女たちのような風情で立ち去る二人を、カスパーは憮然とした表情で見送った。  後ろからエレオノールに負けず劣らず不愉快な声がかけられる。 「女の友情に口出しすると嫌われるぞー」  不快さを隠しもせず、後ろの男をにらみつける。エレオノールと同じく新参者のシンは、肩を竦めて向こうの少女たちを見遣った。  飄々としたシンに舌打ちしたカスパーだったが、聞こえてきたエレオノールの台詞にそれ以上の憤激を覚えた。 「わたくしのミスト」  甘い蕩ける笑みを浮かべ、エレオノールはミストに向かってそう言った。世間知らずの小娘如きが、こともあろうに、我が主を「わたくしの」などと!  怒りのままに怒鳴ろうとして、しかしその怒りは続く主の言葉に凍りついた。 「私のレオ」  彼の主が、そう言っていた。カスパーには見せたこともない、甘くやわらかな笑みを浮かべ、エレオノールと肩を並べ立ち去っていく。  為す術もなく、唖然とした表情で二人の背が消えていくのを見送ったカスパーに、面白がっているような、同情しているような、皮肉な台詞が贈られる。 「男の嫉妬は見苦しいぞ?」 「うるさい!」  気に食わないッたら、気に食わない!!  そんな言葉を口に出来るはずもなく、カスパーは地団駄を踏み蒼穹を仰いだ。