老いたる美しきメランコリィ

 仄暗い闇の中、月明かりだけを頼りに、エレオノールは鏡に映った自分の姿を眺めていた。  年をとった。素直にそう思う。肌には数え切れないほどのしわが刻まれ、緑がかった黒髪は見る影もなく雪のように白くなっていた。  カスパーみたいね。前触れも無しにそんなことを思い、エレオノールは苦笑する。もう顔も思い出せない男だったが、髪が真白く、目が赤々としていたのは覚えている。深緑の目を細め、エレオノールは鏡に映った自分の姿を眺めた。  姿見の自分を見て、美しいかどうかは、もう考えない年齢に達していた。それよりは、見苦しくないかどうか考えることが多い。みっともなくないかしら。年甲斐のない格好をしてと笑われないかしら。そんなことをよく考える。  綺麗に年をとれたかしら。そんなことを考える。年をとると、経てきた人生が顔に現れると言うけれど。刻まれたしわが醜くないか、頬がみっともなく弛んでないか、エレオノールは考えてしまう。  あの人たちが生きてたら、どんな老人になっていただろう。そう考えるたびに、エレオノールはわけもなく罪悪感に苛まれる。  かつて旅をした四人の中で、自分だけが、この歳まで生き残った。そうして今、彼らのことを悼むたびに、思い浮かぶのは亡くなったときの若々しい姿だけで、もしも彼らがもっと年をとっていたら、なんて想像は、上手く実を結ばない。 『彼女』は美しい人だった。絶世の美女、傾城の美貌、人ならざる至高の美だと、誰もが褒め称えた。けれど、それ故にか、彼女が老婆になった姿というのは、上手く想像できなかった。そのたびに、エレオノールは己の無力を噛みしめる。  あの人が生きていたら。どんな老い方をしただろう。そう思うたびに、あり得ない、という確信だけが、胸に刻み込まれた。  美しい人だった。強い人だった。けれど、長く生きられない人だった。強く、誇り高く、厳しい人だった故に、自分にも厳しく、己を苛み、命を削ってしまう人だった。そしてその我が身を灼く強さが、彼女の美しさを、あれほどまでに際立たせていた。  長く生きられない人だったと、あの頃は想像もしなかった考えを思い浮かべるたびに、エレオノールは彼女に対し不実を犯している気分になる。もっといっしょに生きたかった。その想いが嘘なわけではないのに。  鏡の中の年老いた自分の姿を眺めて、彼女はきっと、世界一美しい老女になったはずだと、エレオノールは祈るように呟いた。刻まれたしわの一つ一つに経てきた歳月が彩りを与え、老成した精神は空よりも深い青となって彼女の瞳を輝かせたはずだと、エレオノールは自分に言い聞かせた。  自分はどうだろうか。綺麗に年をとれただろうか。彼らに、恥じない生き方が出来ただろうか。後悔がないとは言わない。罪を犯さなかったとは言わない。幼い頃や若い頃の自分を思い返すたびに、焼きつくような羞恥と後悔が身を苛む。  自分は天国に行けるのか、それとも地獄行きなのか。答えのでない問いに、エレオノールは微笑んだ。  罪がないとは言わない。許されると自惚れるつもりもない。自分は善良で清廉な人間だと、思うはずもない。だが、どうでも良いことだ。 「貴女は笑うかしら?」  彼女と二人、神について語り合った過去を思い、エレオノールは鏡の中の微笑をなぞった。信心深い宗教家として、生涯を過ごした。自分がこんな罪深い思いを抱いていることを知る人間は、もう随分と少なくなってしまった。 「今は、神の御許に召されることより、貴女にまた逢えることが嬉しいの」  彼女がいるのは天国か地獄か。罪のない人だったとは言わない。例え天に召されたとしても、自ら罪を許さず地獄に堕ちる、そんな高潔な人だった。  彼は間違いなく地獄行きね。ふとそんなことを思い、エレオノールは楽しげに笑った。神のもたらす裁きが如何なるものであれ、構わないのだ。神のまします天に貴女がいないなら。自分もまた、喜んで地獄に堕ちるのだから。  そこに貴女がいるならば。今度こそ、二度と離れない。 「あなただけに彼女を任せるわけにはいきませんからね、シン」  鏡の中のレオは微笑み、背を向けてしずしずと虚像から離れていった。