記録No.■■■:雨に陽だまり
「あ……?」
雲一つない青空の下で、サニーは目を覚ました。快晴の原っぱに、ぽつんと寝そべっている。
わけがわからず、ひとり立ち上がる。どうしてここにいるのか。目覚める前、何をしていたのか。
ひとつも思い出せずに、サニーは飛び込んでくる景色に目を奪われた。
風が吹いて、頬を撫でる。
眩い陽射しが暖かい。
花の匂いがする。夢見た情景に、一歩踏み出す。
草の柔らかな踏み心地に浮き足だったサニーは、草原の向こうに懐かしい笑顔を見つけた。
加齢で弛んだ頬の、柔らかな笑顔。丁寧に編み込んだ、洒落た髪。サニーを撫でる、優しい手のひら。
「ちなつ……」
沸き立つ感情のまま駆け寄ろうとして、サニーは立ち止まった。
千夏が笑顔を向けているのはサニーではなく、千夏の隣にいる少女だった。
会ったことはないが、知っている。名前も。その笑顔も。
千夏の娘が、嬉しそうに、幸せそうに、母に甘え、笑っている。
幸せそうな母娘の間に、サニーが入る隙間はない。
サニーは一歩後ずさり、自分の姿を見下ろした。
返り血を浴びた、薄汚れた白衣。泥だらけでボロボロの素足。千夏の夫を殺した、荒れた手のひら。
ああ。サニーは顔を覆った。自分はシミだ。そう悟る。この美しい世界を汚す、醜い汚点。寒気が胸の奥からやって来る。
ここに来てはいけなかった。夢見た世界に、自分の居場所はなかった。
消えてしまおう。この世界を汚してしまう前に。大好きな人たちを傷つける前に。
それでも、最期に一目と、サニーは顔を上げた。
千夏の娘と、目が合った。
「「あ……」」
ふたりして口を開けて。
それから、千夏の娘は。
輝くように、笑った。あの暗い通路の先で見つけた、光のような。
娘がサニーのところまで駆けてくる。手を振りながら、一生懸命に。
逃げることも、避けることもできず、サニーは手を握られた。
自分よりずっと背が低い少女が、陽だまりのような笑顔で告げる。
「初めましてっ。わたし、雨月!
ずっと、ずっとあなたに会いたかったのっ!」
ぶんぶんと両手を上下に振られ、サニーは戸惑った。
会いたかったって、そんなはずはない。サニーと雨月に、生前の接点はない。
そのはずなのに、雨月の潤んだ目が、強く握られた手が、火傷しそうなほど強い鼓動が、否定を蹴飛ばした。
腕を引かれるまま、導かれるように頷いて、返事をする。
「はじめ、まして」
嗚咽が漏れる。体の中に溜まった澱が、流れ出ていく。
心臓を鼓動が叩く。強く、強く。言葉が転げ出る。
「わた、し、サニー。
わたし、も、あなたに、ずっと、会いたかった」
会いたかった。ずっと、会ってみたかった。
会わせてあげたかった。千夏に。時雨に。
わたしにそんな力があったら、きっと、何もかもを救えていた。
そんなことはいいのだと、背中を叩くように抱きしめられる。
言葉を失う。膝から崩れ落ちて、強く抱き合う。
向こうから、千夏が駆けてくる。雨月と同じように、泣きそうな笑顔で。
名前を呼ばれる。雨垂れのような涙が頬を伝う。景色が滲んで、何も見えなくなる。
初めて出会った女の子に支えてもらって、サニーは彼女とふたり、おいおいと泣きじゃくった。
涙は熱く、陽だまりのように熱く、雨のように止め処なく、産声のように高らかに、少女たちの泣き声は青空を超えて、遠く、遠く、どこまでもどこまでも渡っていく。
それは絵本作家の描いた夢物語。深く暗い地の底で、青空の下を自由に歩く夢を見た、蛇の姫君の物語。
彼女の救いを夢見た者たちが、晴れた空に垣間見た、遠く、暖かな御伽噺だ。
