魔女の爪弾く煉獄

「女なんぞにまともな演奏ができるはずがなかろう」  祭りに参加する楽士を募集していたので訪ねたところ、主催者の返答にメフィルは息を止めた。 「演奏に性別が関係あるのですか?」 「何を馬鹿馬鹿しいことを。  演奏だけではない。知性、体力、芸術、すべてにおいて女は男に劣っておる。神がそう定めたのだからな」  それが人間の常識なのか。主人のほうを見ると、サーシャはポンと手を叩いた。 「そういえば、だから頭巾フードを被るよう言われてたんだったわ。うっかりしちゃった」  最初は肌がくすんで髪もボサボサだったサーシャは、メフィルの甲斐甲斐しい努力でハリのある肌とサラサラした髪を取り戻している。  良かれと思ってしたことだったが、柔和な面差しは男と言い張るには無理がある。サーシャは女性にしては背が高いし、胸も服で隠れる程度なので、頭巾を目深に被っていればごまかせるのだが、公的な行事に参加するとなれば素顔を見せないわけには行かない。 「仕方ないわ。行きましょメフィル」 「よろしいのですか?」 「演奏を聴くのも好きだもの。  どんな音楽が聴けるのかしら。楽しみ!」  次の候補者がチラチラとこちらを見ている。これ以上留まれば、嫌悪の呪いでまた揉め事が起きるだろう。  主人が気にしてない様子なのもあり、メフィルは大人しく引き下がったが、内心は忸怩たる想いだった。  確かに、最初の主人ニコライから習った楽曲も、その後ヨーロッパを旅して耳にした音楽も、ほとんどが男性が作曲したものだった。出会う演奏家も男性ばかりで、女性の演奏は賑やかしという扱いに過ぎなかった。  人間の文化が、女より男を尊んでいるのは知っていた。だが。 (女なんぞにまともな演奏ができるはずがなかろう)  そんなことはないと、サーシャ様の演奏を聴いてもらえたらわかるのに。  メフィルは悔しかった。   *  *  *  祭りは大成功を収め、主催者の男は上機嫌で町を歩いていた。そこかしこから余韻を味わう声が聞こえてくる。  自尊心がくすぐられ、男は胸を張り大通りを闊歩した。自ら選び抜いた最高の楽士たちが、最高の演奏を披露してくれた。天にも届く旋律の余韻が、今も男の足を軽くしてくれる。 「本当に、素晴らしい演奏だったわね!」 「然様ですね、ご主人様」  聞き覚えのある声に、男は足を止めた。少し考えて、楽士の応募に身の程知らずにやって来た女だと思い出す。  女は熱心に祭りの感想を従者に語っている。楽団の披露した音楽を褒めちぎる様子に、主催者は(世間知らずで頭の足りない馬鹿だが、耳はそこそこだったらしいな)と鼻を高くした。 「ああ、だめ。興奮が抑えられない!  一曲弾いていいかしら? 皆さんの余韻を台無しにしちゃわない?」 「よろしいのでは。そこかしこで口ずさんでいる方がおりますし」  たしかに、興奮醒めやらず、あそこが良かったここが良かったと言い合う声が、今も止まない。女もその手合なのだろう。  満足して男は通り過ぎた。下手な演奏を聴いてやる義理はない。  女が従者と共に路地裏へ駆けていく。どうやら人に稚拙な演奏を聞かれるのを恥じ入る気持ちを、ようやく得たらしい。  そのまま、男は路地の脇にある教会へ入ろうとして、  天使が舞い降りる音を聴いた。 (……え?)  祭りで絶賛された聖歌が、祭りよりも輝かしく響く。天から降り注ぐ、絶世の調べ。  さほど大きな音ではない。楽器も弦を爪弾く旋律がひとつ、楽団の重厚な合奏とは比べるべくもない──なのに、耳を震わせる。高らかな鐘のように響く、轟く、竪琴の。 「……ッ!!」  誰もが足を止める中、男は路地裏へ駆けて、見つけてしまった。  夕陽を浴びながら竪琴を奏でる女と、うっとりとそれを見守る従者の姿を。  女が弦を爪弾くたびに、斜陽が喜びにさざめき、風が不可視の羽根を散らす。  ただの一音一音が、男の鼓膜を叩き、祭りの余韻を打ち壊し、瓦礫となって吹き荒ぶ。 『女に、まともな演奏はできない?』  恐ろしく美しい声が、頭蓋を刺した。  天使だ。天より舞い降りた御使いが、男を蔑み、糾弾している。  ちがいます。男は心の声で訴えた。  わたしはただ、聖書の教えを信じただけです。あれは、あの女は、女ではない。悪魔だ。 『悪魔に、こんな調べが奏でられると?』  女が口ずさむ。清澄なハミングが唱えるのは、天への賛美。神の御言葉。  空気が唱和する。見えざる天使たちが喜びを輪にして女と歌う。天の栄光、神の愛、大地の平和を。 『これでもまだ信じられないと?』 『これでもまだ、女に演奏はできないと?』 『ならばあなたは何を信じるというのか』 『あなたの賛美する音楽とは何なのか』 『あなたは今まで、何を聴いていたのか』  糾弾する天使に囲まれて、男は叩頭した。  何も言えない。何もできない。心の声が天へと届き、男の罪を暴き出す。 (お父さん、あたしも音楽家になりたい)  娘の言葉。自分はなんと返したか。 (身の程を知りなさい。女に音楽はできない)  聴こえてくる旋律が男の言葉を両断する。 (先生。わたしの演奏、どうでした?)  教え子の声。自分はなんと返したか。 (まぁ良かったんじゃないか。女にしては)  聴こえてくる旋律が、男の罪を数え上げ、天に焚べる。  違う。やめてくれ。わたしはただ。みんなと同じように。  そうだ、みんな言っていた。女は劣っている。女は罪だ。女に音楽はできない。  わたしだけじゃない。わたしのせいじゃない。わたしはまちがってない。  顔を上げた男は、女が演奏を終えるのを目撃した。  天使が去っていく。安堵に笑う。  助かった。そう思う。  演奏の達成感に頬を火照らせた女が従者を振り返り、微笑む。 「あぁ、楽しい。  もう一曲、いいかしら?」 「御心のままに」  天使が再臨した。  雷鳴のような鐘の音。嵐のような軍馬の蹄の音が、男を引きずり、裁きの場へと運んでいく。  男は心の中で悲鳴を上げ続けたが、耳を塞ぎ旋律を遠ざけることも、絶叫して音楽を打ち消すことも、殴りかかって演奏を止めさせることも、終ぞできないままだった。   *  *  *  その日の祭りは、伝説に残っている。  楽団の素晴らしい旋律に感動した天使が、教会に舞い降りて竪琴を奏でたと、複数の証言が記録されている。  しかし、限りない栄誉を浴びるはずだった主催者の男が、教会の天使像に頭を打ちつけて亡くなったことは、伝説から取り除かれた。  信心深い男のことだ。自殺であるはずがない。きっと祭りの余韻に足を滑らせたのだろう。  親しい人はそう語り、その通りに処理された。  魔女と蝙蝠は早朝に町を後にしたので、いつものように、その顛末は知らず終いだった。