魔女の爪弾く煉獄

 星空の下で奏でられる竪琴の旋律に、耳を澄ませ存分に溺れてしまい衝動に駆られながら、メフィルは休みなく手を動かした。空白の五線譜に、今まさに奏でられている名曲が木墨で書き殴られていく。  サーシャは思い立ったらすぐに演奏を始め、奏でる曲はほぼ即興曲。一度弾いた曲はすぐ忘れるか、また弾いてくれたとしても音の響きや拍子が変わっていて、全く別の新しい曲になっている。素晴らしい音楽の数々を後世に残すには、メフィルが書き記しておくしかない。  お陰で演奏に聴き惚れながら手を動かすのがめっきり上達してしまった。旋律が星空に溶けていき、主人が竪琴を下ろすのを聴き届けて、ようやくメフィルも木墨をしまった。  出来上がった音符をしげしげと眺め、耳に残る旋律をなぞる。 「これは、星空を奏でたもの、ですか?」  壮麗な主旋律がくるくると回りながら星屑のような強音を散らす音色を、メフィルはそう捉えたが、サーシャはおかしそうに笑った。 「やだ。昼間のメフィルの曲よ。ほら、街の人から逃げたときの」  昼間、酔っ払いに絡まれた主人を助けるために、メフィルは暴力を振るわざるを得なかった。  初代主人である城主に武術を習っていたのが幸いして、恵まれた長身は心得のないゴロツキくらいなら片付けられる。 「では、ここの音符は」 「メフィルがあの人たちの骨を折ったときの音。  骨が折れる音って、ひとりひとり違うのねぇ」  のほほんと感心する主人に、メフィルは俯いた。権能によりメフィルが授ける楽才は、音感を捉える聴力に重きを置いているらしく、サーシャは細々とした音を耳で拾ってはそこに音楽を見出す。  同時に与えてしまう、対面した人間に嫌悪される呪いのため、こういった揉め事はしょっちゅうだった。  申し訳なさに肩を縮こまらせるメフィルに、主人が一つ一つ音符を解説する。  ここは顎に拳が当たったときの音色。ここは股間を蹴り上げたときの。ここは踏まれた人が「いっで〜〜おかあちゃーん」って泣いたとき。 「ご主人様には、世界がこのように聴こえているのですね」  野蛮で醜い狂乱が、主人の手にかかると華麗で鮮烈な音色になる。  醜いものを覆い隠すのではなく、醜さに隠れた美を拾い集めた美しさ。闇夜に瞬く星のような。 「気に入った?」 「はい、とても」  心から頷くと、主人は嬉しそうに笑った。メフィルは不思議に思う。  呪いが嫌わせるのは主人だけ。その手が紡ぐ旋律が、胸を打つのは変わらないはずなのに、どうして人は、彼女の曲を厭うのだろう。  このときのメフィルには、主人が奏でる音色の美しさが真実で、真実とは誰もが賛美し心打たれるものだと信じていて、その音色の残酷さに気づいたのは、ずいぶん後のことだった。