頭がぼうっとする。
街のガラスの煌めきに目を奪われながら、深夜は歩を進めた。先を行く黒衣が、同じ黒衣を纏う深夜に指示を出す。
「今度の任務は──だ。──で、──ために……
深夜? わかったか?」
「……おれの、コート」
「コート? ああ、あの年代物の。
随分ほつれてたから、神雛のひとが修繕してくれるってさ。終わったらちゃんとおまえの部屋に置いておくよ」
ほっとして、着せられた神連の制服を撫でる。やっぱり、あのコートとちがう。
零時のコート。早く戻るといいな。アレを着てないと、さびしい。
「でも、任務で着ていくのはもうやめろよ?」
どうしてそんないじわるを言うんだろう。
ムッとして顔を上げた深夜に、白布で隠れた顔が笑いかけた。
「汚れたり破れたら嫌じゃないか。大事なものなんだろ?」
言われて、頷く。それはそうだ。
どうしておれは、どこへ行くにもあのコートを着ていたんだろう。大事なものなのに。汚しちゃダメなのに。どうしてあんなに、血を吸わせてしまったんだろう。
俯いた深夜の手を引いて、神連が言い聞かせる。
「ほら、集中集中。大事な任務なんだから。
俺たちの肩に、人々の平和がかかっている! 気合い入れていけよ?」
深夜は頷いた。そういえばおれは、なにをすればいいんだっけ。あとでもういっかい聞かなきゃ。
腹の中がポカポカして、深夜は少し笑った。
* * *
頭がぼうっとする。
血塗れの老人が、足元の木床に倒れ伏している。なんでだっけ。誰だっけ。
神連の黒衣が、肩で息をしながら毒づく。
「くっそ、殺るしかなかった。
大丈夫か? 深夜」
頷く。そうだ。このお爺さんは悪い人だ。憑神を使って悪いことをしていた。だから殺した。良いことをした。
本当に? 深夜は俯いた。
血の海に沈んだ老人が、深夜を見上げていた。
『儂が何をした』
息を呑む。足首を掴まれ、体が凍りつく。動けない。
『孫が何をした。妻が何をした。答えろ。
慎ましく、幸せに、人をもてなして暮らしていた。儂らが、何を』
色鮮やかな毬が足元の砂利を転がる。夕暮れを背に、幼い娘が、パクパクと口を動かす。
なんと言っているのか。聞こえなかった。はずなのに、深夜は童女の唇を読んでしまった。
『いらっしゃいませ、お客さま。
今日はね、じいじがお魚を釣ってきてくれたの。ばあばのお料理、とっても美味しいのよ。
ぜひ泊まって──』
小さな胸に穴が開いて、血があふれる。止まらない。悲鳴が聞こえる。
老婆が泣いている。羽をむしられて。足蹴にされて。血の海に溺れている。
零時のコートを血に浸して、黒い影が吐き捨てる。
『怨むなら、憑神になった己を怨め。雀』
「深夜? どうした?」
黒衣に肩を揺さぶられ、深夜は我に返った。薄暗い館。板張りの廊下から見える、青い空と白い庭。
足元を見る。老人の亡骸がある。
そうだ。このお爺さんは悪い人だ。だから殺した。けど。
深夜が殺した人たちは、悪い人だったんだろうか。
「ウッぶぉええええええええええ」
深夜は嘔吐した。
鈍い輝きを帯びたビー玉が、涙のようにこぼれて落ちた。
* * *
頭がぼうっとする。
誰かが怒鳴っている。(こわいな)と思いながら、深夜は床にこぼれたビー玉を拾い集めた。
ひとつ、ふたつ、みっつ、たくさん。口に運ぼうとして、誰かに手首を握られる。
「やめろ深夜。体に悪いだろう」
懐かしい感じがする声音に、動きが止まる。神連の黒衣が、覆面越しに、心配そうに眉をしかめて、こっちを見ている。
どうして邪魔するの。泣きそうになる。
別の黒衣が、深夜を邪魔する黒衣を窘めてくれる。
「ダメですよ。それは深夜の報酬なんですから」
「限度ってモンがあるでしょう。
深夜、こんなにビー玉食べたら、体が重くなって飛べなくなるぞ。嫌だろ? 飛べないの」
別に構わなかった。零時といっしょにいられるなら。
飛べなくなったおかげで、零時といられたから。
飛べるようになったせいで、零時のそばにいられなかったから。
黒衣を振り払い、深夜はビー玉を錠剤のように呷った。
ガチガチと歯に当たったビー玉が、ジャラジャラと喉に流れ込んで、腹の中に収まっていく。
ごめんなさい、零時。ビー玉、こんなに美味しいのに。食べるの邪魔してごめんなさい。何度も邪魔してごめんなさい。
うずくまって泣きじゃくり始めた深夜の肩を、黒衣が起こす。
「ご苦労様でした、深夜。
ほら。ご褒美の、新しいビー玉ですよ」
キレイなビー玉をひと粒手渡され、深夜は泣き腫らしたまま破顔した。
青いビー玉。星空色のビー玉。天の川みたいだ。零時もきっと喜ぶ。ビー玉を受け取って、深夜はすぐに口に運んだ。
唇で摘んで、舌で喉に転がす。美味しい。嬉しい。だってこれは、零時だから。これでずっと、いっしょにいられるから。
「おい! 深夜をどうするつもりなんだよっ」
「ご存知でしょう? 私たちが彼を調伏したのは、彼を改心させるためではなく、使役するため。
人の世に尽くしてもらいますとも。それが彼の贖罪にもなります」
「そんなの、あんまりじゃないかっ」
「そうですね。でも……もう、手遅れだと思いませんか?」
ふたりに見下ろされて、深夜は首を傾げた。
彼らが何を話しているのか、よくわからなかった。だって、深夜が手遅れなのなんて、当たり前のことなのに。
深夜はもう、零時に嫌われてしまったのに。
「討伐は様子見したほうがいいって、どういうことですか!!」
若い男の怒鳴り声に、深夜は目を覚ました。
薄暗い骨董店で、ソファに腰かけている。空調が効いていて、涼しい風が汗ばんだ額を撫でる。
子守唄のような優しげな旋律が響く店内で、神連の黒衣がふたり、カウンターにいる四方木 美夜に詰め寄っている。
「暁月。こっち」
「はぁい」
夢の中で聞いた気がする声に、深夜はふり向いた。
一瞬だけ唇に人差し指を当てた暁月が、いそいそと美夜の隣へ移動する。
それを睨みつける若いほうの黒衣を抑え、歳経たほうの黒衣がのんびりと店内を見渡した。
「素敵な音楽ですね」
「ああ。夜寝れないって愚痴ったら、ヘルメスさんが紹介してくれたのよ」
店内に響く音楽は、確かに美しかった。海辺に咲く花のような、芳しい旋律。穏やかな潮騒の音に軽やかなピアノの音色が重なり、耳を撫でて吹き抜ける。
血生臭い夢の残り香が洗い流されるような心地に、深夜は耳を澄ました。
黒衣が話を続ける。
「四方木さん。改めてお礼を言わせてください。
先の呪祖蛇の事件の折、貴女は進んで被害者の身元を特定してくださいました。惨い断末魔に耳を澄ませるのはお辛かったでしょうに」
「聴こえてきたから伝えただけよ。感謝するなら、ご遺族への報告とカウンセリングの手配を早目にお願い」
「ええ。犠牲者が多く、呪祖蛇のことを隠さないといけませんので工作に時間がかかっていますが、年内には必ず。
それだけに解せません。慈悲深い貴女が、何故、人を喰らう悪しき狐の討伐が必要ないと?」
「最終的な判断はそちらに任せるけど……
聴こえた限りじゃ、神連が危険を犯してまで急いで退治しないといけないほど、差し迫った状況ではなさそうなのよ」
人を喰らう悪しき狐。深夜の脈拍が少し乱れた。重くなった目蓋に、燃え立つ夕暮れがよぎる。
美夜に促され、暁月が黒衣に書類を手渡した。
「日常的な暴行に、SNSでの誹謗中傷……これは、狐の被害者の行いですか?」
「ええ。最初に山で発見された中学生たちね。いわゆるいじめっ子だったみたい」
登山中に行方不明になっていた男子中学生五名が、獣に食い散らかされた姿で発見された。それが神連の網に引っかかった最初の事件だった。狐と思しき噛み跡はすべて同じ個体のもので、人間の噛み跡も混在していた。
遺体が発見された山の、管理者が不在となり放置されていた廃神社が、前々から心霊スポットとして肝試しに使われていた。そこに狐の憑神が棲み着いているのがわかり、憑神を連れてきた人間も喰い殺されていたと判明したが……
「そいつの所業が、これ」
「被害者が起訴を断念したため表沙汰になっていない婦女暴行の常習犯、ですか」
「攫ってきた女性を廃神社で乱暴するのが趣味で、狐もそのつもりで連れ込んだみたい。故人の悪口は品がないけど、死んで心が痛むやつじゃないわ。
あの狐、成人した悪どい男が好みらしいのよ。好みじゃなければ喰わないってわけじゃないけど、中学生のほうは発育が良かったし、気分的に飢えてたんでしょ」
「……つまり、定期的に反社会的な人間を生贄にすれば、退治の必要はない、と?」
「そこまでするかは任せるけど、人気のない場所に居着かせておいたほうが隔離も監視も容易でしょう?
半裸で様子のおかしい女に近づくのは大体下半身に頭をヤられてる男だし、性犯罪者が何人喰われようがどうでもいいわ」
「心配した人の可能性もあるでしょう!?」
「その可能性をそっちで潰せばいいって言ってるの。混ぜ返さないで」
「まぁまぁ、美夜。人命を重んじるのが現在の神連の良いところなんだからさ」
険悪に睨み合う美夜と若いほうの黒衣を、暁月がなだめる。歳経たほうの黒衣が話を戻した。
「それだけなら、『討伐の必要なし』と仰るには足りませんね。何かあるのですか?」
「単純に、危険だからよ。あの狐の話が、ほとんど聴こえなかったの」
「聴こえない?」
四方木 美夜が暁月に授かった権能《遠耳》は強力だが、他の憑神や神憑きの情報は互いの呪いに遮られて聴こえない。
しかし人伝の記録ならその限りではなく、そういった目撃情報や前主人の逸話から来歴を探るのが、いつもの美夜のやり方だったが……
「はだけた格好の若い女と暗がりに歩いていった男が、翌朝獣に食い殺されたような死体になって発見された、って話はいくつか聴こえたわ。でも、あの狐のものなのかは確証が持てない」
「あれだけ雑に食い散らかしを放置する憑神が、そういるとは思えませんが……」
「現代ならね。あの狐の話だって確信できた一番古い情報は、大正時代よ」
「大正……」
大正時代。乱れた服装の女。暗がりについて行って、獣に食い殺された男。
深夜の脈拍が乱れる。歳経た黒衣が考え込む。
「あんな粗暴な憑神が、これまで人の世に隠れ潜んでいたと?」
「頭が悪そうに見えるけど、振る舞いは狡猾みたい。今回捕捉できたのは、主人にされたっていういじめられっ子が特別だからよ。
あの狐がいつ、どこで、どんな経緯で憑神になったのか、さっぱり聴こえなかった。人間並みの知能の猛獣ってだけなら神連が仕損じることはないでしょうけど、調査を頼まれた身としては最悪の可能性を考慮せざるを得ないわね」
最悪の可能性。最悪の獣。最悪の事態。
深夜はふらつく頭を押さえた。黒衣たちが話を続けている。
「理由は以上ですか?」
「もう一つ。例のいじめられっ子、狐の今の主人なんだけど……」
四方木 美夜の話を最後まで聞いて、しばし考え、歳経た黒衣は深夜を振り返った。
「深夜。あの狐に、勝てますか?」
深夜は考えるより先に答えた。
「勝つ」
勝つ。勝てる、勝てないではない。おれはあの狐を、狩らないといけない。
黒衣たちが頷いた。
「四方木さん。神連は人の世を守るため神に抗う組織。人を裁く組織ではないのです。
必要に駆られて憑神や神憑きと戦うこともありますが、法で裁ける悪は司法に任せます。私たちが人命を選別し利用するのは、他に手がない状況での最後の手段であるべきです。
これは、貴女にも納得していただける道理のはずです」
「そう。
繰り返すけど、わたしは集めた情報から求められたアドバイスをしただけ。最終的な判断はそちらにお任せするわ」
張り詰めた空気を断ち切るように、暁月が柏手を打った。
「じゃ。そういうことで、皆さんご武運を。
……美夜を悲しませないでね?」
暁月が美夜に肘鉄を食らっているのを尻目に、店を後にする。
外に出て蒸した空気を浴び、青空から降り注ぐ陽射しを眩しく感じていると、若いほうの黒衣が悔しげにアスファルトを蹴った。
「っンだよあの人は! 神連をなんだと思ってんだ!!」
「四方木さんは、私たちを心配してくださったのですよ。
根拠に乏しいから言わなかっただけで、最悪の可能性が高いと判断しているのでしょうね」
憤っていた黒衣が気まずそうに身動ぎをする。窘めた黒衣がその肩を叩いた。
「だから勝って、言ってやらねばなりませんね。
貴女が思っているよりも、我々は弱くも非道でもないと」
「おうっ!! 目に物見せてやる!
なぁ、深夜っ」
深夜は頷いた。狐。狐の女。燃え滓のような女。人を喰らう、悪しき憑神。
討たねばならない。腹が燃えるように熱かったが、吐き気はこみ上げなかった。
山の麓に無数の神連が集まっている。黒い装束と白い面布は、霊視のできない一般人にはごく普通の服装に見える幻術が施されている。
七夕祭りの開催。工事の偽装。警官のパトロール。細々としたイベントで、人の流れと耳目を誘導する。内部協力者や神連の工作員=
神梳を総動員した仕掛けは、深夜の初めて体験する規模の包囲網だった。
「おーい、ちょっといいか?」
「
千渦。どうかしたか?」
「いやさ、ちょっと人が足りてるというか過剰だから、報告に上がってた
狸の憑神もこの機に狩っておこうって話になって」
白兎の憑神 千渦の言葉に、指揮を取る黒衣は面布の下で渋面になった。
いささか油断がすぎると思わなくもないが、戦闘員の連携はデリケートだ。憑神の討伐は数が多ければいいというものではない。余った人員で不確定要素を排除するのは悪い案ではなかった。
それに、千渦は狸の憑神に主人の妻を殺され、その仇を討った縁で神連に入った憑神だ。平和を脅かす憑神は何であれ容赦しないし、人畜無害な狸にまで敵意を向けるような見境なしではないが、人に仇なす狸の憑神には普段よりずっと根深い怒りを見せる。断れば士気が下がるだろう。
「わかった。
報告によると狸も主人も戦闘技術は修めていないようだが、権能は戦闘向きだ。油断はしないように」
「了解っ。あんがとな」
笑顔を見せた千渦が、深夜を見て顔を顰める。
深夜はポツリと言った。
「きをつけて」
「……そっちもな」
言い捨てて去っていく背中を、深夜は見送った。
千渦は悪を憎む。その志には共感するが、千渦は善を尊び、罪なき者に怒りを向けることは決してない。深夜に対しても、顔を顰め嫌悪を口にすれど、理不尽な振る舞いをしたことはなかった。
「ちかみたいになりたかった」
「深夜?」
訝しげな黒衣に深夜は首を振った。千渦みたいになれたらよかった。そんなのはもう、取り返しがつかない今更の話だ。
神連の指示に従い、翼を広げ風を拾い、空へ舞い上がる。神連の術師に教わった隠形の術は以前よりずっと洗練され、地上に影すら残さない。
数多の憑神と神憑きを屠り、ムゲンに鍛え直された矛を手に、深夜は決戦の場である廃神社へ向かった。
* * *
「
皇 光輝くんだね?
ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
中学校からの帰路で二人組の警察官に呼び止められ、光輝は逆らわず彼等に挟まれた。手を引いてくれるというのを断って、白杖を手に道路を歩く。
光輝は視覚障害者だ。いわゆる全盲で、光の明暗すらわからない。
そんな光輝を他人は見下す。光輝が視覚を欠いた他の感覚で、どれほど多くの情報を読み取っているのか、気づきもせずに。
『あら、あの子。皇さんちの息子さん。可哀想よねぇ、とっても頭がいいのに』
『ちょっと、失礼でしょ。あの制服、進学校のじゃない。たくさん勉強したのね、偉いわねぇ』
『すごいわよね、いつもニコニコ笑顔で、挨拶もちゃんとしてくれて、一人で学校も行ってるんでしょ? お母さんも鼻が高いわねぇ』
『光輝ちゃん、光輝ちゃんは頭が良いから、学校はここがいいわ。大丈夫よ、先生方もサポートしてくれるって。
お友達、たくさんできるといいわね、光輝ちゃん』
お気楽な母。哀れんで見下し、褒め称えているつもりで見下し、そのことに無自覚な近所の住人たち。
『おい、ヘラヘラしてんじゃねぇよ、スナギツネ』
『テスト、せんせーに教えてもらってんだろ。贔屓だ贔屓、カンニングー!』
『ちょっと、怖いから目ぇ開けないでよ。キモい』
勉強漬けの毎日でストレスを溜め込み、憂さ晴らしに難癖をつけて、幼稚な嫌がらせをしてくる同級生。
『はぁ、皇くん、確かに成績はいいけど、気を使うのよねぇ。支援学校行ってくれないかしら』
『ほんとだよな。何かあれば責任取らされるのはこっちだし』
『おーい、本人に聞こえないようにしろよ? いつもニコニコしてて、良い子じゃないか。手がかからなくて』
生徒と保護者と同僚の板挟みになって無責任に拍車がかかり、仕事を押し付け合い保身に走る教師たち。
彼らは光輝が聴力まで欠けていると思っているのだろうか? いや、自分たちの耳が鈍いから気づかないだけだろう。
唇を持ち上げる。ただそれだけで、光輝が穏やかで優しい少年だと勘違いする彼らが、光輝を理解することはない。
『光輝、いつも笑顔でいなさい。人はひとりでは生きられないから、愛想の振り撒けない人間は生きづらいんだ。
おまえは特に人の助けが要る子だから』
父の言葉を思い出しながら、周囲から人がいなくなったタイミングで、光輝は警察官に質問を切り出した。
「あの、僕に何を聞きたいんですか?」
口には出さず疑問に思う。
彼らは、本当に警察官だろうか? 通行人が訝しむ気配はなかったが、歩き方の重心が違う。衣擦れの音も、警察の制服ではない。
「ああ、ごめんね。
光輝くん、廃神社によく行ってるよね? そのことでちょっと……」
その言葉に、光輝は作り笑いの下で警戒を跳ね上げた。
街外れの廃神社。そこは人気のない処刑場だった。程度の低い同級生たちは、放課後そこに光輝を引きずって、暴力を振るった。
殴る。蹴る。ズボンを脱がして、自慰を強要する。本当に馬鹿だ。見えるところに怪我があったら光輝の母が騒ぐとか、光輝が裸でうろついていたら騒ぎになるとか、光輝のほうでアドバイスしないといけなかった。
感謝されるどころか生意気だと蹴られたが、顔は殴られなくなったし、ズボンは返してもらえた。白杖を折られることもなくなったが、暴力と嫌がらせが止むことはなかった。
それで。だから。あの日。光輝は。
「?」
人が倒れる音に、光輝は戸惑った。光輝を挟んで歩いていた警察官? が、前触れもなく膝をつき、地面に倒れた。
寝息が聞こえる。命に別状はないようだ。だが、突然、なぜ?
「やぁやぁこんにちは。いい天気だね! 絶好の七夕日和だ。織姫と彦星も感激だろうねぇ。
ところで今、ちょっといいかい?」
「ッッッ」
初めて、演技ではなく光輝は驚愕した。
誰かがいる。だが、声を発するまで、光輝はそこに人がいることに気づかなかった。
足音も衣擦れの音すら立てずに現れた誰かが、陽気に喋り続けている。
「ああ、その人たちは寝てるだけだよ。
神連ってわかるかな? 憑神を狩る組織なんだけど。
君、廃神社の狐の主人だろう?」
「っ、
燐子のこと?」
「ああ、それが狐の名前かい? 君の命名かな? ピッタリだ」
口が滑った。動揺を自覚して、光輝の表情から作り笑いが消えた。
目を開ける。光を映さない黒々とした焦点の合わない目が、誰かの声を見る。
「その神連って人たちが、燐子を狩ろうとしているんですか?」
「その通り。行くかい? やっぱり決戦には役者が揃ってないとね」
「行きます。連れて行ってください」
迷わず頷いて、光輝は躊躇なく手を伸ばした。
大きな手が光輝の手を握ったかと思うと、流れるような動きで光輝を背負う。
「そう来なくっちゃ! しっかり掴まってなよ?
私は
十五。面白い話が大好きな狸のお兄さんさ。
いやぁ、こんなに大きな狩りを目にするのは久々だ。楽しみだなぁ!」
胡散臭い自己紹介を頭に留めつつ、光輝は焦る鼓動を抑えた。
自分が駆けつけて、燐子を助けられるなんて自惚れているわけじゃない。きっと何もできない。
だけど、燐子が狩られるなら。その前にしてもらわないといけないことがある。
暮れていく街を音もなく駆け足で進む背中に、光輝は白杖を握ったまま懸命にしがみついた。