ムゲンは
火吹き竜を夢見て生み出された憑神である。先端の青から根本の赤へ移り変わる夕焼け色の角、太くて力強い尻尾は、なるほどドラゴンらしいと納得される。
実際にはただのトカゲだが、力も本物の竜には遠く及ばないが、正直今でもドラゴンには憧れるが、でも、自分だって悪くないもんだと、二代目以降の主人たちのお陰で、今ではそう思えるようになっていた。
「ガラス玉ぁ?」
「ええ。融けたガラス玉……要はガラスの塊ですね。
それを、元のガラス玉に
鋳直してほしいのです」
「いや、そりゃできるけどよ……」
常連である覆面に黒衣の客──対神組織・
神連のけったいな要望に、ムゲンは戸惑った。クシャクシャの癖っ毛を掻きながら尻尾を揺らし、ツナギに覆われた膝を掴む。
ドラゴンに見立てて憑神にされたムゲンは、主人と同じように火の扱いに長ける権能を使える。その権能を活かして、ムゲンは代々の主人に師事して火にまつわる仕事を生業としてきた。
思えば長く生きているので、鍛冶の他にも多様な技術を修めている。料理だって火加減が絶妙と評判だ。最初の主人には、何故戦場を焼き払う業火を吹けないのだと罵られたが。
(いやいや、それはもういいんだって。
ガラス玉……ガラス玉って、要はビー玉だよな。ビー玉ぁ?)
ガラス職人の主人に師事した経験もあるし、機材があればできるだろうが、現役とは言い難い。何故わざわざ自分に注文するのか。
「まさに火加減が大事な仕事なのですよ。現物をお見せしたほうが早いですね」
そう言って黒衣が机の上に広げた包みの中身に、ムゲンは目を奪われた。
板というには歪で無秩序に砕けた、ガラスの塊。恐らく熱膨張で砕けたのだろう。ところどころ煤けて、色とりどりのガラスが飴細工のようにくっついて、ひび割れた層になっている。
「天の川みたいだ」
ムゲンの感想に、黒衣は満足そうに頷いた。ちょっと乗せられたような感じがしなくもないが、興味を唆られたのは確かだ。
よくよく観察すると、現代のガラスよりも色味が渋く、そのぶん輝きも深い。焦げたような煤が光を際立たせているし、濃淡の違う色の層と濃やかな気泡が星雲を思わせる。
だから余計、内側に走ったひび割れが勿体なかった。職人魂が疼くのを自覚しながら確認する。
「このガラス、人の気配が混ざってないか?」
「さすが、お目が高い。このガラスはある神憑きと共に火葬されて融けたものでして。
その方に仕えた憑神を神連に勧誘するのに、思い出の品を手土産にしたいのですよ」
なるほど、一昔前の製法に見えたのはそのためか。ガラスの塊に触れ、元のガラス玉を大切に思っていただろう誰かと、その誰かを大切に思っていたのだろう憑神に想いを馳せる。
素材だけでなく目的も、ムゲンの意気に火を点けた。
「このガラスに遺る気配をそのままに、ガラス玉に鋳直してほしいのです。可能ですか?」
「確かに繊細な火入れが必要だな。いいぜ、引き受けた!」
膝を叩いて了承するムゲンに、神連が嬉しげに頷く。ガラスの塊を見ながら、ムゲンはこれから取り掛かる仕事を思い巡らせた。
この色味は絶対に活かしたい。気泡はガラスが割れやすくなる欠点があるが、光に透かせて星空を思わせるには欲しい要素だ。色が混ざっている玉とは別に、単色の玉もできるようにして、全体で天の川を表現する……
融ける前そのままの姿を蘇らせるのは無理だ。でもその輝きが、在りし日を思い出させたらいい。
「そうだ。大きさは小粒にしてほしいのですが」
「ええ? いいけどよ、全部おんなじ大きさにするんじゃなくて、変化を付けたいんだが」
「構いませんよ。そうですね、喉で飲み込めるくらいなら、それで」
「その憑神、ガキンチョじゃないよな?」
「違いますよ」と言われ、物騒な喩えを訝りながら頷く。熔かして細かく寸断するのは手間がかかるが、そのぶん色の変化も多彩になるだろう。
(綺麗に直した思い出で、少しでも心が満たされるといいな)
恐らくは自分が会うことはないだろう誰かのために、ムゲンは全力で腕を振るうことを誓った。
ムゲンが自分の仕事の成果を確認できたのは、それから幾分か時が過ぎた後のことだった。
「すみません、武器の手入れをお願いしたいのですが」
「おぉー。って、あれ? 新入りか?」
訪ねてきたいつもの黒衣の後ろに見慣れない神連がいるのを見つけて、ムゲンは訝しんだ。
神連の面布は認識阻害の術がかけられているが、憑神であるムゲンには通じない。それに憑神としての勘が、この神連は人ではないと告げていた。
「ええ。『深夜』という子です。
深夜、こちらはムゲンさん。あなたのガラス玉を鋳直してくださった方ですよ」
黒衣の紹介に、深夜という神連は弾かれたようにこちらを向いた。
ガラス玉という単語に、ムゲンも以前受けた仕事を思い出す。
「ああ、アレ、あんたのか! 気に入ってくれたか?」
「うんっ。ありがとう!」
見た目より無邪気な弾んだ声に、ムゲンはやや面食らったが、そういうこともあるだろうと納得した。憑神は元が獣の霊魂、歳月を重ねて歳経た振る舞いをするようになる者もいるが、一向に変化しない者もいる。
覆面越しでもわかる好意的な視線に、ムゲンは少し照れた。神連からの仕事は憑神退治のための武具造りなど物騒なものが多いが、こういった心温まる仕事のほうがムゲンは好きだ。
「今日は顔見せついでに、深夜の武器も調整をお願いしようかと。
ああ、呪祖蛇の件も改めて、ありがとうございました。とても素晴らしい仕事でしたよ」
「そっか。そりゃなにより」
少し前に依頼された、呪祖を封じるための刀作り。渡した刀は無事役目を果たしたと報告をもらっていたが、誇らしさよりも安堵のほうが大きかった。
件の呪祖蛇はとんでもない悪神だったそうで、封印されて良かったと思うし、刀工の主人といっしょに浮雲の気を纏う名刀を陽光の気を発する短刀に打ち直すのは、やり甲斐がある仕事だった。が、ただただ仕損じなくて良かったというのが本音だ。
根が小心者なんだよなぁと独りごちながら、矛を受け取って刃こぼれを確認し、深夜の膂力や腕の丈を参考にどう調整するか思案する。
重すぎてはダメだ。深夜はカササギの憑神だそうで、その翼に重い刃は枷になる。
でも軽すぎてもダメだ。深夜の体は軽く、矛を振り下ろさなければ攻撃に威力が乗らない。適度に重く、長く、振り回した力が矛先に乗るのが良いだろう。
しばらく話して、方向性がまとまった。後日、実際の仕上がりを手にしてもらってまた調整することになるだろうが、今日のところはこんなものだ。
「それと、深夜は相手を傷つけない技が不得手なので、何か捕縛のための武器が欲しいのですが」
「捕縛? 捕縛なぁ……矛とは別にだよな?
分銅とか投網とか……深夜は何か好きなのあるか?」
「がらす」
「いやそうじゃなくて……ああでも、いいかもな、ガラス」
ズレた深夜の回答にインスピレーションが湧いて、ムゲンは考え込んだ。
「ガラスの鎖……無色透明にして、深夜にしか見えないよう術をかけた……これなら矛と併用もできるし……他の神連にも見えるようにすると隠蔽が甘くなるな。深夜と、深夜の主人がせいぜいかな……」
「ああ、深夜の主人は戦闘員ではないので……任務では他に相棒がいますから、彼にだけ見えるようにしていただけますか?」
「りょーかいっ。
深夜、楽しみにしてろよ。とびっきりのやつを作ってやるぜ!」
請け負うと、深夜は嬉しそうに頷いた。最初の主人は魔術師で、ムゲンにいろいろな術を教え込んだ。少しでもドラゴンに近づくように。
結局は失望して匙を投げられたが、あの頃習い覚えさせられた技が、今こうして役立てられている。
「っし! じゃあ、深夜が飛んでるとこを見せてもらえるか?」
「わかりました。深夜、できますか?」
「うん」
ふたりが外に行くのを見送って、テスト用の重石を台車に乗せて運ぶ。ある程度目星はつけたが、ほんの少しの重みの違いも、武器を手にするものにとっては大きい。
胸に火が点ったような心地で、さあやるぞとツナギの袖をめくり、ムゲンは台車を押して外に出た。
「ヴッゲェえええええええええ」
工房の外で蹲った深夜が、地面に向かって嘔吐していた。
「深夜っ!?」
台車を壁際において慌てて駆け寄り、ムゲンは深夜の背をさすった。背に生えた翼を避けて、その付け根を軽く叩く。
神連は黙ってそれを見下ろしている。なぜ介抱してやらないのか。文句を言おうとして、ムゲンは地面に広がる吐瀉物に、見覚えのある光を見つけた。
「え?」
ムゲンが鋳直した、あのガラス玉だった。
星空のような光を灯すよう工夫した。焼き付いた誰かの残滓が消えてしまわぬよう、慎重に煮熔かした。ひび割れないよう、丈夫に固まるよう、ゆっくりと冷ました。
誰かの喜びになればいいと願った、あの。
「どうかなさいましたか?」
「あの、えっと、こいつが、ガラス玉吐いたんだけど……俺が、この前、鋳直した………」
なぜ、そらとぼけるのか。わからなくて、ムゲンは聞いてしまった。
それが、このガラス玉がどう使われたのかを知るか否か、その選択だったのだと気づかずに。
「それはですね……」
神連が説明する。誠実に、丁寧に。
このガラス玉にどういった呪いが籠められているか。かつて魔術師の主人に教わった知識が、神連の説明が真だとムゲンに思い知らせる。
深夜がガラス玉を拾う。胃液に濡れた鈍い輝きを、迷わず口に運ぶ。ムゲンは肩を揺すった。
「おい、止せよ。バッチィって。なぁ」
深夜は聞かない。ムゲンの手を払い除けて、ガラス玉を飲み干す。小さな粒に、喉が膨らむ。深夜の覆面、顔に垂らした白布が剥がれ落ちる。
露わになった深夜の顔は、目付きの悪い青年だった。左眼は義眼。黙して睨めば冷ややかな気配を灯すだろう面差しが、安堵に濡れて、幼い笑みをこぼす。
その笑顔が、とても痛ましいものに見えて。
絶句したムゲンに、涙で潤んだ右眼を向けて、深夜が首を傾げた。
「……だぁれ?」
「ムゲンさんですよ。あなたのガラス玉を綺麗にしてくれた方です」
「本当? ありがとうっ」
「ええ。とても素晴らしい出来でしたよ」
神連の称賛は、ムゲンの胸に響かなかった。あんまりじゃないか。そう思う。
こんなことのために、あのガラス玉を作ったんじゃない。こんなことのために、あの仕事を受けたんじゃない。
だけど、晴れやかな深夜の笑顔に、ムゲンは何も言えなかった。
仕事はつつがなく終わった。矛を手に空を飛ぶ深夜を、ムゲンは地上で見守っていた。
深夜が羽ばたく姿は、前に見たときより軽快で、手にしているはずのガラスの鎖は、ムゲンにさえ気配を掴ませない。
あの矛で深夜が何をしてきたのかは、聞いた。正気なら、きっとムゲンも深夜に襲われているだろう。神連は人と、人と生きる憑神のために、深夜を封じた。それは、わかる。
だけど、あんまりじゃないか。俯いたムゲンの元に、深夜が舞い降りた。
「ムゲン、びょうき?」
「や、ちがっ……ちがう。俺は元気だよ」
深夜の顔が見れなくて、顔をそらす。
あんまりじゃないか。繰り返す。非道でも、正義の行いであることは、わかる。
だけど俺は、喜んでほしくて。あの仕事を。
屈んだ深夜に下から覗き込まれて、びっくりしてムゲンは飛び上がった。無表情でじっと見られると、深夜の鋭い目つきは迫力がある。
「ムゲン、げんきない」
「いやっ……うん、そうだな。
でも大丈夫。深夜が心配することじゃない」
首を振る。洗脳で思考に制限がかかっていても、深夜は本来の聡さを窺わせた。その賢い憑神が、なぜ蛮行を働くようになったのか。
主人のことが、大好きだったからだ。それがわかるだけに、ムゲンは沈黙した。
自分だってそうだ。役に立ちたかった。認められたかった。愛されたかった。
それが叶わぬことだったと理解して、長い歳月が過ぎてなお、今も寂しさが胸を掻きむしる。
「ビー玉、みる?」
ムゲンを元気づかせるためか、深夜が舌を出した。
その舌にあのガラス玉が乗っているのを見つけて、びっくりする。自力で吐けるのかよ、おまえ。
「いや、いいよ。大事なものだろ? しまっとけ」
「うん」
素直に頷いて、深夜が舌を引っ込める。
なんなんだと脱力して、ムゲンは尋ねた。
「深夜。ガラス……ビー玉、好きか?」
「すき。きれい」
にっこりと笑う深夜の笑顔には、ヒビがある。一見曇りのない笑顔に見えても、無視できない傷が、その心に影を落としている。
だけどムゲンには何もできないのだ。だって、深夜をそういう形にしたのは、ムゲンなのだから。
そんなことをしたかったんじゃない。俺は。本当は。
「ごめんな、深夜」
「……? ムゲン、ありがとう」
深夜はお礼を言ってきた。謝罪を拒まれたような気がして、ムゲンは顔を歪めた。
これは良くない。心を歪まされてはいても、これは深夜の真心だ。受け取ってやらないと。受け取ってやるには。
衝動のままにムゲンは尋ねた。
「なぁ、深夜。ビー玉、新しいやつ作ってやろうか?」
「あたらしいの?」
深夜は髪から覗く右眼を瞬かせた。
このままだと、きっと断られる。それがわかって、ムゲンは言い募った。
「ああ、前のビー玉は、星空みたいだったろ?
だから、今度は夜明けみたいな……暁色のビー玉だ! どうだ?」
「ビー玉、あたらしいの……零時にあげる……」
深夜の言葉は、小さくて聞き取れなかった。
考え込んで俯いた顔を、ムゲンは固唾を飲んで見守った。
「あかつき……ムゲンみたいな色?」
「あっ……ああ、そうだな! 俺の赤と、青を混ぜたビー玉だ!」
胸を張ると、深夜は頷いた。
「うん。ほしい」
「ッし! じゃ、次に会ったときに渡してやる。
握り拳くらいでっかいやつにするからな。飲み込むなよ? 約束だぞっ」
「やくそく」
大真面目に頷く深夜に、ムゲンはようやく笑った。
そうだ。気に食わない仕事があったなら、好きな仕事を自分で探して売り込めばいい。代金はあの神連に請求してやる。文句は言わせない。
神連に呼ばれて、深夜が空を飛ぶ。その黒と白の、青くきらめく翼を見送って、ムゲンはツナギの袖をまくって工房に戻った。
とびっきりの、宝石みたいなビー玉を作ってやるのだ。深夜の心の傷が塞がるくらい、キレイな光を。
火を点すムゲンの目は、迷いなく輝いていた。
* * *
ムゲンが深夜と会ったのは、これが最後になった。