知りたいことは、まだまだ山程ある。
夜空の星を数えるように。舞い散る火の粉が燃え広がるように。まだまだ語り尽くせない。
死した獣を神に祀り上げ、人に憑かせたものを《
憑神》と呼び、憑かれた人間を《
神憑き》と呼ぶ。
神憑きは憑神から超常の力である《権能》と、《代償》の呪いを授かり、憑神は神憑きを主人として、その命ある限り滅びることはない……
今宵我らが耳をそばだてたのは、一羽のカササギの物語。
夜空に白雲を散らしたような見事な羽が、光を浴びると青空を灯す──それはそれは美しい、愚かで憐れなカササギの物語。
彼の来歴を語るには、そうですね、まずは二つの話をしましょうか。
今からおよそ、百年は経っていない昔。夜は未だ闇深く、人の手に灯りが乏しかった頃。
山奥にある寒村に、猿を連れた男が訪れて、狼藉を繰り返しました。
街へ助けを呼ぼうとした村人は、男に「黙れ」と言われると黙りました。娘を守ろうと立ちはだかった父親は、男に「寄越せ」と言われたら娘を差し出しました。
そう、男は神憑きでした。この猿に憑かれた男に命じられれば、人は言われた通りにしなければいけないと感じてしまう。
理屈は相手が付けてくれます。逆らったら殺されると思った。自分が。家族が。周りが。逆らえない理由を見つけたら、人は諾々と従ってしまうものなのです。
あわや娘が男の毒牙にかかろうとしたとき、颯爽と舞い降りた影がありました。
長身で細身の青年が、いずこからか矛を振り下ろして男を貫くと、返す手であっという間に山猿を……
え? なに、
美夜。
いくらなんでも美化しすぎ?
たしかに。いやでもテンポがさ……はい、はい、わかりましたよっと。
首尾よく不意打ちで男を仕留めたまではいいものの、続く山猿に青年は苦戦しました。
いち早く呪縛を解いた少年が石を投げなければ、そのまま返り討ちに遭っていたかもしれません。
けれど、その泥臭い戦いこそが、少年に感謝の念を抱かせました。
戦いが終わり、男と猿をバラバラにして埋めた後。
礼を求めず、夜が明けるのも待たずに村を去ろうとする青年に、少年は駆け寄って頭を下げました。
「旅の方、本当にありがとうございます。
あなたが助けてくださらなかったら、姉はどうなっていたことか」
青年はぶっきらぼうに答えました。
「礼など要らん。俺は憑神を殺すだけだ」
そうして飛び立った夜明けのような翼が、いつまでも少年の目を焦がしました。
これが最初のお話。お察しの通り、この青年が今宵の主役でありますカササギの憑神。
名を【
深夜】と申します。
二つ目のお話も、そう時を違えてはおりません。
旅人もまばらな寂れた街道に、翁と老婆と
女童が暮らす、小さな宿がありました。
翁はぶっきらぼうですが親切で、老婆の料理は慎ましいながらも丁寧で美味しく、出迎える女童の笑顔は愛らしく。
女童は口が利けませんでしたが、どうやら生来ではないようで。聞こえない手毬唄を口ずさんでは、客を見つけるとパッと誇らしげに毬を掲げる姿が、いつまでも心に残るような……そんな、温かな宿でした。
ある日の夕暮れ。いつものように毬をついていた女童は、長く伸びた影法師を見つけて、顔を輝かせました。
伸びた前髪で左眼を隠し、矛を手にした痩せぎすの青年は、鋭い右眼の眼光も相まって恐ろしかったけれど、お客さんだと思った女童は、健気に毬を掲げて微笑みかけました。
矛が幼い胸を刺し貫きました。
手のひらからこぼれた毬が地面に弾んで転がっていき、それを見た翁が絶叫し、老婆が青年へ掴みかかります。
ああ、けれど。老婆は殴り飛ばされ地面に転がりました。寂れた街道のこと、助けは来ません。
自分を見下ろす青年に、老婆は血を吐くような想いで問いました。
「なぜあの子を殺した! あの子はただの人間なのに」
青年──深夜は冷ややかに答えました。
「怨むならあの娘に取り憑いた己を怨め、雀」
娘を殺した矛で老婆も貫かれ、すぐに息絶えました。
え? なに、美夜。
省略しすぎ。たしかに。
いやでもさ、悪趣味すぎない? ……はい、はい、わかりましたよっと。
老婆の姿をした雀は羽を広げましたが、飛び立つことは叶いませんでした。
足も羽も青年に踏み折られ、伸ばした手は矛に貫かれ、あふれる血が喉に詰まって怨み言さえ吐けず、それは無惨な死に様だったそうです。
救いのないことに、深夜は無駄に苦しめようとしたわけではなく、ただ逃げられないよう必死だっただけでした。
……一思いに殺すのって、意外と難しいんですよね。
どうしてだ。なぜこんなことに。
女童の亡骸を抱きしめ呻く翁も、深夜は矛で殺しました。
憑神は主人がいる限り、主人に乞われれば復活します。翁に雀の新しい主人になられたら、元の木阿弥ですからね。
「憑神はすべて殺す」
ふたりと一羽の亡骸から目を逸らして、深夜は暮れていく夕陽に向けて羽ばたきました。
深夜の旅路は、ほとんどこんな有様でした。
最初のお話は貴重な例外。彼は善悪問わず憑神と神憑きを殺して回る通り魔なのです。
ではどうして、彼はこんな凶行を繰り返すようになったのか。
多くの憑神がそうであるように、深夜も元はただの動物でした。
時は大正、場所は九州が佐賀。
猫に襲われ巣立ちに失敗した、憐れなカササギの雛がおりました。
カチカチと無力に鳴く雛に己を重ね、拾い上げた少年が、【
天見 零時】。
後の深夜の主人、すべての元凶となった人間です。
零時は良家である天見家の子息で、病弱な子どもでした。
「跡取りは兄がいる、おまえは健やかに育ってくれればいい」と、周囲に愛され守られて、かけらも将来を期待されず。
そのことはゆっくりと、零時の心を倦ませていきました。
そんな零時にとって、カササギの雛は初めて自分が守れる存在でした。
もちろん弁えておりましたから、怪我の治った雛が羽ばたき飛び立つのを、涙ぐみながらも庭から見送りましたけど。
雛は零時の振る手に舞い降りて、誇らしげに青く煌めく羽を広げてみせたのです。
上手く飛べたでしょう? ちゃんと帰ってこれたでしょう? と言うように。
* * *
零時は雛を深夜と名付け、いっしょに暮らすようになりました。
本当はカササギを飼うのはいけないことなんですけどね。まぁ、天然記念物に指定される少し前のことでしたから。ご両親も見逃しました。
零時は
床に臥せることが多かったですけれど、深夜はよく外へ飛び立って、街や海を探検しては、キラキラ光るガラスを見つけて目を輝かせました。
そうして、日が暮れる前には必ず零時の元に帰ってきて、咥えてきた取っておきのガラスの破片やビー玉を渡しました。
そうすると、零時が喉の辺りを撫でて褒めてくれて、深夜はそのひとときが大好きだったのです。

求婚のつもりかもね、と零時の兄はからかいました。零時も深夜も雄でしたが、それを言えばそもそも人間とカササギですからね。
零時と深夜はとても仲睦まじく、深夜に向けて微笑んでいるときは、零時の青白い顔にも光が射したようでした。
* * *
さて、そんな穏やかな日々が過ぎて、何年経ったでしょう。
零時が病がちながら勉学に励み、進学を果たして青年の仲間入りをした頃。
深夜が死にました。
天見家とも付き合いのある猟師が、誤って撃ち殺してしまったのです。
カササギを狩るのは禁じられております。まして天見家の子息の寵愛を受けた鳥。
お叱りを恐れて平伏する猟師は、零時の目に映っておりませんでした。
彼の目に映るのは、頭を撃ち抜かれ、冷たくなった深夜だけ。
輝かしい羽の艶も、今は褪せて見えます。あの騒がしい鳴き声も、もう聞くことは叶いません。いつもすり寄ってきた温もりは、硬く冷たく指を押し返すだけ。
零時は泣きませんでした。血走った眼で、家族がかつて彼のために集めた魔導書を紐解いて、反魂の儀を始めたのです。
ええ、病に対し医者の言葉に耳を塞ぎ魔道に踏み入るなど、愚かなこと。ご両親は結局、そこまで狂えませんでした。
零時もまた、これで己の病が治ると思えるほど、愚かにはなれませんでした。
けれど今だけは。許せませんでした。自分より先に深夜が死ぬなんて。それだけは許容できない。
ええだって、幼いあの日、羽が傷つき泣く雛を拾い上げて、共に病の床で過ごしながら、願ったのです。
ずっと僕といっしょにいてくれなくていい。僕はすぐに死んでしまうから。僕が死んでも。君に元気に羽ばたいていてほしい。
羽ばたいて。遠くに行って。君の羽みたいに。青空を、夜空を駆けながら。お願い。
僕を忘れないで。深夜。
そうして。時計の針が深夜零時を指したころ。
憔悴した零時がふと顔を起こすと、そこには左眼の抉れた、人相の悪い細身の青年が横たわっていました。
それが誰だかすぐにわかって、零時は彼の名を呼びながら、その肩に抱きつきました。
まだ人の体の動かし方がわからないカササギは、為す術もなく目を白黒させながら、しゃがれた声で主人に応えたそうです。
今は昔、ほんの百年ほど昔の話。
ここで終わっていれば幸せだった物語。
憑神となった獣は人の形を得て、主人に仕えるようになります。
深夜が得たのは長身で細身の男の姿。銃弾で貫かれた左眼は抉れたままでしたが、零時が両親にねだってガラスの義眼を与えました。
人の体で動き、しゃべるようになるまで、深夜はそこそこ苦労したようです。
他の多くの獣と違い、カササギは鏡に映る自分を自分だと認識できるゆえ、自分が人の姿を得たのはすんなり納得できましたが……
え? なに、美夜。
僕も最初はわからなかったのかって? 僕の話はいいでしょ。また今度ね、今度。
とにかく、深夜はがんばりました。零時の役に立ちたかったのです。
立ち上がり、物が掴めるようになるまで、幾月かかったでしょう。人の言葉を発するには? 人の姿のまま、羽を広げられるようになるには。人とカササギの姿を、自在に行き来できるようになるまでは。
ひとつひとつの失敗談が、輝かしい笑顔と喜びで彩られています。幼な子の成長を見守るように。
深夜に出会い、彼が人の形を得たことは、零時にとって紛れもなく幸いでした。
深夜は人相が悪かったけれど、零時と共に過ごすときはその面差しも穏やかになり、屋敷に受け入れられるようになるのに時間はかかりませんでした。
表向きの身分は零時の世話係。両親も兄も深夜の正体は知っていたけれど、黙認して誤魔化してやりました。零時の喜びが何より大切だったのです。
深夜は変わらずガラスを見つけては、綺麗に洗って磨き、零時に見せていましたが、渡さず自分で管理するようになりました。零時が食べてしまうからです。
ええ、それが代償。カササギに憑かれた人間は、異食症を患うのです。
零時の場合はガラスでした。美しいガラスに魅せられて、手を伸ばし、舌で転がし、喉越しを味わいたくてたまらなくなります。
万一を考えて、深夜はガラスの破片を土産に選ばなくなり、目を盗んだ零時がビー玉を口に入れたら叱りました。
「体に良くないだろう、零時!」
「ごめんごめん。だって、お前が見つけてくれたガラス、とっても綺麗なんだもの」
そう目を細めて笑うから、深夜も零時にビー玉を贈るのはやめられませんでした。
さて、それは蒸し暑い七夕のこと。
その日、零時は体調を崩して朝から寝込んでいました。咳が止まらず、こんなに暑いのに汗が一滴も出ず、指先は冷えて固まっていくばかり。
看病をする深夜に、零時はねだりました。
「ねぇ深夜。久々に、ビー玉じゃなくて、ガラスを拾ってきてくれないか。
今日はよく晴れるから」
カササギ憑きに与えられる権能は、必ず的中する天気予報。
当時はラジオで天気予報が始まったばかり。精度もまだ甘く、坊ちゃんの天気予報はラジオより当たると、屋敷でも評判でした。
「それはいいが、明日でも構わないか? 今日はおまえに付いていてやりたい」
「今日がいいんだ。七夕だから。
きっと綺麗なガラスが見つかるよ……おまえの羽のように、青い……星空みたいな……」
譫言めいた懇願に根負けして、屋敷の者に看病を頼むと、深夜は暮れていく空に羽ばたきました。
それを泣かずに見送って、こっそりと、零時は深夜が隠していた箱を取り出しました。
中には色とりどりのビー玉が、飴玉のようにぎっしりと収められています。
一粒一粒が宝物。これを見せにきた深夜の笑顔と紐づいています。
ためつすがめつ手に取って、零時は綺麗に磨かれたビー玉を一粒口に咥えて、つるりとした冷たい舌触りを頬で転がして味わうと、こくり、と飲み干しました。
腫れぼったい喉を通るビー玉が、熱を吸いながら食道を通って胃に落ちる瞬間の、なんと甘美なこと! 零時は唇を綻ばせました。
いけないことをしてしまいました。悪いことをしてしまいました。あんなに深夜が自分を心配して、止めてくれたのに。
ああ、けれど。ビー玉はまだまだたくさんあります。
一粒一粒、大切に。零時は味わいながら飲み干しました。
その愛しさを体に刻みつけるように。墓場まで、彼岸まで、その先まで持っていけるように。
* * *
久々にガラス漁りをしたら楽しくて。深夜が満足できるガラスを河原で見つけたときには、すっかり夜が更けていました。
よく晴れた夜空には、星の濁流のような天の川。拾った青いガラスで透かしてみると、まるで青空に星を移したようです。
これならきっと零時も気に入るぞ。深夜は嬉しくなりました。清流に晒されていたお陰で角が削れて丸みを帯びているので、零時が手に取っても安心です。
そう思った深夜の羽に、ポタポタと雨が降ってきました。さっきまで晴れていたはずの星空が、みるみるうちに曇っていきます。
どうしてだろう。なぜだろう。零時は晴れだと言っていたのに。一刻も早く、このガラスを見せたいのに。
仕方なしに人の姿になって、雨の中走り帰った深夜が耳にしたのは、零時の訃報でした。
* * *
それからのことは、よく覚えていません。
持ち帰ったガラスを庭石に叩きつけて、深夜は天見家を後にしました。
零時の葬式には出ませんでした。零時の亡骸なんて見たくない。零時が燃えるところなんて見たくない。
ご両親にも兄君にも会いませんでした。零時が死んだなんて聞きたくない。零時が死んだなんて知りたくない。
深夜が耳にしたのは、漏れ聞こえた噂の一つだけ。
「坊ちゃん、箱にあったビー玉を全部飲んでたんだとよ」
「まぁ、なんでそんな……何かの祟りなんじゃ」
* * *
天見家の日記に残っています。子息・天見零時の葬儀の最中、外でずっと鳴いているカササギがいたと。
やかましいと顔を顰める者もいたけれど、旦那様は鳴かせていてやれと嗜めて。
絶え間ない悲しげな鳴き声に、誰かが、番いを亡くしたのだろうかと囁きました。
星の降る葬儀の夜。煙の棚びく方角に、一羽のカササギが飛んでいきました。
その名は深夜。自分さえいなければ、主人はもっと生きていられたと、己を呪った憐れなカササギ。
そうして、憑神は人に不幸をもたらすだけだと思い至り。
すべての憑神を殺し、それを主人に仇なした償いにしようと誓った。
神に憑かれた人を殺め、不幸にする矛盾にも気づかない──愚かで健気な罪深いカササギ。
え? なに美夜。
ほんと迷惑すぎる? 同感だけど、亡くなった人を悪く言うのは品が無いよ。
物には限度がある? いやまぁそうだけどね? 品性の話だから。どうどう。
さて、僕の語りはここまで。この続きは皆さんの物語。
ご満足いただけたかな? 対神連盟・神連の皆さん。
そう……それは良かった。
ではこちら。天見家所蔵の……そう、天見 零時を荼毘に付した後、融けたビー玉の成れの果て。
骨壺に納めるわけにもいかず、天見家で保管され倉庫に仕舞われていたそうですが、皆様がお求めの呪具の素材にはピッタリではないかと……
はい、はい、毎度あり。
このたびは、よろづ奇蒐園へのご来店、まことにありがとうございました。
皆様方のご武運をお祈りしております。それでは、またのお越しを。