ペアントリのグルメ日記
「輝く瞳の花」

「世の中のために私の本を広めたい?」  その日ペアントリの本屋を訪れたのは、輝く目をした女の人でした。 「恥ずかしながら、わたしの国では女は男に劣ると思っている人が多くて。  ペアントリさんの本が広まれば、女性を尊敬する人も増えると思うんです」 「私の本はただの物語だよ? 人喰いが書いた話を道徳の手本にするのもどうかと思うし」 「だからこそ、男も女もないお話を書かれるのでしょう? あなたより不道徳な人間なんていくらでもいます。  わたしは、あなたの物語なら、女に生まれたことを嘆く心を照らせると信じているんです」 「君のほうが照らせそうだけどなぁ」  そうこぼしながらも、熱心な言葉に説得され、ペアントリは彼女の国での出版を許可したのでした。   *  *  *  それから幾年過ぎたでしょう。  ペアントリの本は人間の国でたくさん売れて、輝く目をした人は大金持ちになりました。結婚をして、孫もできて、そろそろ隠居する年頃です。  後任に、と彼女が連れてきた男の人は、会ったその日にペアントリに食べられました。 「ねぇ、後任は良い人にしてって言わなかった?  女性に甘い言葉で近づいて貢がせて捨てる男なんて、君、嫌いじゃなかったっけ?」 「そ、う、だった、ですか。ごめんなさい、知らなくて」  顔を青くした彼女は、次から顔を出すことはなく、やって来た候補者たちは、みんなペアントリの眼鏡に叶いませんでした。 「先生の本はすべて拝読しています! 是非おれを後任に」 「嘘ばっか。本を読んだことなんてない、後任に選ばれたら大金がもらえるからそれ目当てなだけ。  まぁ今はお腹も空いてないし、帰してあげるよ」 「わっ、わたし、あの、後任、ぇっと」 「そんなガチガチに怖がってたら仕事なんてできないでしょ。帰りなさい」 「よぉバケモノ。俺はテメェみたいな人喰いを狩るハンターだ。覚悟しな!」 「う〜ん、お隣さんにお裾分けするか」 「こんにちはっ。ペアントリさんですか?」  雑貨屋から帰ると、店で待っていた幼い女の子に、ペアントリはしゃがんで目線を合わせました。 「初めまして。私がペアントリだけど、君は?」 「お祖母ちゃんから、ペアントリさんから本を受け取って来なさいって言われたの。できたらおこづかいくれるって!」  何も知らない女の子の無邪気な笑顔に、ペアントリは空洞の目を細めました。 「そう……わかった。  本はあげれないけど、私がお小遣いをあげるから、お祖母ちゃんに伝えてくれる?  本がほしいなら自分で来なさいって」   *  *  * 「残念だなぁ。とても残念」  それからしばらくして。  顔を青くして店に現れた、輝く目だった老婦人に、ペアントリは思い出話をしました。 「あの日の君は輝いていた。叶うなら私の胃袋に収めて、その魂を芯まで味わいたかった。  まさか、孫娘を生贄にしようとするほど腐ってしまうなんて」 「ちっ、ちがいます! あなたは子どもに優しいから、もしかしたらって、それだけで」 「それで幼い子どもを人喰いの町にひとりで行かせたと? 大した怯懦だ。そこまで恥知らずになれるとは。  君は全く、私を理解してないね?」  ドレスを脱ぎ捨てるように、ペアントリは人の姿を纏いました。前髪で目元を隠した、胸の大きい小柄な女の人の姿です。 「私は男でも女でもないけれど、人に化けるときは女になるようにしているわ。だってそのほうが悪人が寄って来やすいのだもの。  だから男に比べて女が苦労しやすいのは知っている。その現状を変えようと立ち上がったあの日の貴女は、本当に勇敢だった。老いて萎びたのが、本当に残念」  唇を老婦人に向けて、ペアントリは微笑みました。 「というのは、実は嘘なの」  老婦人は目を瞬かせました。 「貴女が腐り始めていたのは知っていたわ。大金持ちになって欲に溺れ、初心を忘れ、保身に走り、日に日に増長していった。  でも別に、残念ではなかったの。どうしてかわかる?」  老婦人が首を横に振ります。ペアントリは距離を詰めます。 「後任を良い人にしてほしいというのはね、何も好みだけの話ではないのよ。だってどうでも良い人のことなんて、覚えてられないでしょう? 他の住人から守ってやる気も失せるし。私にだってご近所付き合いってものがありますからね。  かといって悪人だと、ねぇ。ごちそうを前に我慢するのって、本当に大変で」  間近で匂いを嗅ぐ仕草に、老婦人は腰を抜かして、ガタガタ震え始めました。自分がどこに来てしまったのか、やっと思い出したのです。 「あの日の貴女に免じて、一度は見逃してあげるつもりだったのよ。なのにまさか、自分からのこのこ来てくれるだなんて。  本当に嬉しいわ。ありがとう」  老婦人は悲鳴をあげました。ペアントリの腹の中で。  いつまでもいつまでも。いつまでもいつまでも。二度と光の差さない無明の闇の中、尽きることのない辛苦の底で、助けを求めて泣き続けました。   *  *  *  老婦人をすっかり食べ尽くした後。  ペアントリは老婦人の興した会社に出かけて、むしゃむしゃ社員を食べました。  だってほら、ハンターとか差し向けられましたし。悪人でいっぱいな会社なのは候補者たちでわかりましたし、遠慮することなんかありません。 「スランプ中の売れっ子作家の名前で新人作家の本を出版。なおどちらの作家にも無断。  女性作家を飲み会に呼んで複数人で狼藉。なお常習犯。  女性雑誌部署唯一の男性社員に部署ぐるみで嫌がらせ。理由は部長の求愛を断ったから。  酷い有り様だねぇ」  理想から立ち上げれた組織も、時が経てばこんなものです。  人間の愚かしさに性差はないという信条に則って、ペアントリは男も女も老いも若きも区別なく腹に放り込みます。たまには暴食もいいものです。 「やっ、やめて、謝るから、ゆるしてぇっ!」 「別に怒ってないよ? 美味しそうだから食べてるだけ。  ええと、なになに? 作家の原稿を無断で書き換え。……私のも?」  前言撤回。無言になったペアントリは、編集部を丸ごと飲み干しました。普段はあまりしないんですけどね。料理は一皿ずつ味わいたい派なので。  ペアントリが念入りに腹の中で悲鳴を味わっていると、小包を抱えて逃げようとしている女の人が見つかりました。 「君。それ、何?」 「ひっ、来ないで!!」  悲鳴をあげて、怯えながら、女の人は包みを離そうとしません。自分を鼓舞するために叫びます。 「これは、わたしが、初めて受け取った原稿なの! これを本にするの! 命に換えても!!  だから、絶対、化け物なんかに、渡すもんかぁっ!」  放られたハサミを甘んじて受けて、ペアントリは空洞の眼を女の人に向けると、ぐっと手袋の親指を立てました。 「合格!」 「……はい?」  わけがわからず、涙に潤んで輝く目を瞬かせた女の人の前で、ペアントリは新作を執筆し始めました。  まばゆく咲き誇る炎の花が萎れて大地に帰り、やがて芽吹いた新たな花が、日の出を照らして輝く物語でした。