ペアントリのグルメ日記
「天使に会えなかった蝉」

「天使様、おれを食べてください」  その日ペアントリの本屋を訪ねて来たのは、なんか勘違いしてるっぽい男の人でした。 「おれはもう、人生に疲れました。  親しい人に裏切られ、借金まみれで、働いても働いてもお金を返すのに精一杯、もう生きていたくありません。  ここに来れば、苦しみなく死なせてもらえると聞きました、どうか……」 「うぅ~ん、まずはっきりさせたいんだけど、私は天使じゃない。君たちと違う種族ってだけ。  それと君、嘘ついてるよね?」 「う、嘘なんて」 「嘘は言いすぎかな? ごまかし。見栄っ張り。私はそういうのがわかるんだ。  ああ、噂は本当だよ? 心が清い人は苦しみなく食べてあげる。でもそうじゃなかったら」  ペアントリの胸元の、空洞の瞳が男を射抜きます。  男の口が、勝手に動き始めました。 「い、いやだ、もう、嫌なんだ。もう疲れた。なんでおれだけ、こんな。  でも、おれが死んだら、おふくろとおやじに、借金が。でも、疲れて、いやで、だから」  とにかく死んで、楽になりたかった。  そう告白した男に、ペアントリはうっとりと囁きます。 「美しい」 「え?」  怒りを、鬱屈を、他者にぶつけず、ただ安寧を求めて旅に出た。  その心がけを賛美して、ペアントリはペロリと男を平らげました。   *  *  *  何がなんだかわからないうちに、男は暖かい闇の中にいました。  すみれ色の暗闇ぎゅっと抱きしめられて、ウトウトと眠くなります。まるで昔、ずっと昔、母の腕の中で、絵本を読んでもらってるうちに、お昼寝したときのような。  強ばった体が溶けるような心地よさに、男は目を閉じて、覚めない眠りへと落ちていきました。 「私が人間の言うところの天使様なら、『君は疲れてるだけだよ、ご両親とよく話し合いなさい』って諭してあげたと思うなぁ」  そうこぼしながら、ペアントリは男の経歴を調べていました。  大体わかりました。裏切ったのは男の恋人と親友。彼らと繋がったマフィア。背負った借金は……ペアントリなら払える額ですが。 「それは、物語としては片手落ちだなぁ」  そう独りごちると、ペアントリは通話をかけました。 「もしもし、管理人さん? ちょっとピクニックを企画したいんだけど……  そうそう、スオウノスミさんとことか、お子さんまだまだ食べ盛りだし、いいかなぁって。  はい。は~い。よろしくお願いしますね」 「これでよし」と伸びをして、ペアントリは腹の中で溶けていく男を味わいながら、次回作の構想を練りました。  生きていくのに疲れたと泣くセミが、地面から這い出てみると、生の本番はこれからだったという物語が、お腹の奥から湧いてきました。