ペアントリのグルメ日記
「白鳥になれなかった男の子」

 その日ペアントリの本屋を訪れたのは、小さな男の子でした。 「本屋さん、ぼくを食べて、本にしてください」 「どうしたの? 坊や。まだ若い身空で、そんなお願いをするなんて」  ペアントリが尋ねると、男の子はポロポロと泣き出しました。 「ぼく、ピアノのコンクールに落ちちゃったんです。お父さんがあんなに教えてくれたのに。  ぼくは、お父さんが願ったような、永遠に語り継がれる音楽家にはなれない。こんな人生なら死んだほうがマシです。  だから、本屋さん。あなたの手でぼくを食べて、物語にしてください。永遠に語り継がれる、傑作に」  そう願われて、ペアントリは困ってしまいました。 「う〜ん、たしかに、私の綴った本は有り難くも好評だけどね、百年二百年先も語り継がれるかなんてわかんないよ。  傑作は書こうと思って書けるものではないし、作品の評価を決めるのは作者ではなく読者だからね」  そう諭すと、男の子がボロボロ涙をひどくするので、ペアントリは困ってしまいました。 「ほら、とりあえず帰ろう。私に食べられるかどうか決めるのは、お父さんに結果を報告してからでもいいだろう?」  そう言って、ペアントリは男の子と手を繋いで、男の子をお家に送ってあげました。  家に帰ると、男の子は驚きました。お父さんが見当たりません。靴はあるのに。  先に家に入ったペアントリが、「こっちにもいないよ」と言いました。 「出かけてるのかな? 私の知ってる心の清い人がいるから、とりあえずはそこで暮らしなさい」 「そんな、そんなご迷惑をおかけするわけには」 「いいんだよ。ねぇ君。正直に言うとね、私は子どもは食べないんだ。だってまだ、味わうに足る『人生ものがたり』がないからね。  君はコレから大人になって、人生の甘さや苦さを味わって、どんどん美味しくなる。  そうなって、まだ私に食べられたかったら、また訪ねに来なさい。ふつうに本を買いに来るのでもいいけどね」  これは約束のお守りだよ、とペアントリは男の子の指を三日月の矢でちくりと刺しました。傷はすぐに塞がって、赤い三日月のアザが男の子の指に浮かびます。  それから男の子を預かってくれるお家に送って、家主にこっそりお金を渡すと、ペアントリはいそいそと商店街へ帰っていきました。 『おい、助けてくれ』  ああ、良い買い物をしたな、とペアントリはご機嫌です。  あの三日月はペアントリとの約束の印、ペアントリの獲物だと示すマーキングです。あれがある限り、他の人喰いは男の子に手出しできません。  いえ、破ってもペアントリの本屋を出禁になるだけですけどね。まぁまぁ効果があるのです。 『出してくれ。なぁ頼むよ。おいっ!』  男の子が食べられずに天寿を全うしても、それはそれで構いません。青田買いは確実性を期待するものではないのです。  いつか大人になった男の子の子どもが、そうでなくても縁を紡いだ誰かが、ペアントリのご馳走になるかもしれない。なら投資する価値はあるというものです。 『たのむ、おねがい、むすこに、むすこにあわせて。さいごに、ひとめ……』  それに、自分が叶わなかった夢を子どもに押しつけて、何度も鞭で叩いて、食事を抜いて、レッスンを強要するようなクズを味わえる礼としては、安いくらいなのですから。 「ああ、美味しい」  インスピレーションが湧いてきました。父から大空を飛べと無理強いされた水鳥が、深海を潜り誰も知らない海の底を旅する物語。  いい物語が書けそう、と浮かれた足取りで、ペアントリは家路を急ぐのでした。