100%昔?話「すこしふしぎなわたしたち」
昔々、かどうかは知りませんが、まだ惑星間ワープゲートが発明されていなかった頃。無常の闇を漕ぐ鋼の船に、人々が星を渡る夢を託していた頃。
新たな資源を獲得するため、緑深い星を訪れた調査員が、二度目の採集を終えて船に帰った直後のことです。
「は~終わった終わった。生えてる植物のほとんどが人体に有害な星とかヤバすぎだろ」
「緑があるだけ有望でしょ。とはいえ移住先にするのは厳しそうね。
資源活用は、どうかなぁ。だいぶ多様だったから専門家なら何か思いつくかも」
見つけた惑星を好き勝手開拓するのが許されていた時代です。全身を防護する惑星調査用防護服の、表情の見えづらいヘルメットの下で、調査員Mはゴクリ、とタイミングを見計らいました。
「ところでさ。今度の休日だけど、予定あるか?」
Mは相棒のFにプロポーズするつもりでした。人類が地球から宇宙に飛び立ってなお、恋した相手と番になる夢は流行っていたのです。
「宇宙船操縦士の資格の勉強するけど」
完膚なきまでに片想いでした。ガックリと肩を落とすMを放って、Fはさっさと宇宙船のドアを開けます。
入ってきたふたりを、モニターに映る微笑みが歓迎しました。
『お帰りなさい、ふたりとも』
ふたりは顔を見合わせ、同時に尋ねました。
「アンタ誰」
Fは即座に宇宙船の管理AIにアクセスし、Mは通信機を手に取りました。通信機に返事はありません。
「ダメだ! CもLも反応がない!」
「管理室に侵入者なし、食堂なし、倉庫なし、機関室、操縦室、医務室、スタッフルーム、通路……じゃあどこにいんのよ!? トイレ!?」
『お話を聞いていただけますか?』
かぶりっぱなしのメットの下で、宇宙ゴミの渦に飛び込んだときのように顔をしかめて、ふたりはモニターを睨みました。
モニターに表示されている微笑は、白くつるりとした何かで、太った胴体に顔っぽいシワの浮かんだアルビノの首無しペンギン、と例えるのも憚られます。
「その自画像、趣味悪いって言われないか?」
『初めて言われました。かわいいってわたしに評判ですよ』
「それは悪かったわね。で、あんた何」
『この船の管理AIです』
躊躇なく、Fは宇宙船の強制停止コマンドを実行しました。
* * *
「おい、さすがにマズくないか?」
「これ以上アレと話してたら頭おかしくなるでしょ。管理AIってのが眉唾でも、侵入者にしてはおかしすぎたし」
空気清浄の絶えた宇宙船で、FとMは防護服を着たまま船内を古式ゆかしい目視で調査していました。元より搭乗員の少ない小型船ですが、侵入者どころか留守を預かっていた仲間の姿も見当たりません。
「ふたりともどこ行ったんだ? まさか本当に侵入したテロリストに殺られたんじゃ」
「可能性はあるわね。さっきのコマンド、本当は船長の権限がないと実行できないはずよ」
「ってことは、Cが職務不能の状態になって、管理AIが権限をFに移したってことか?」
「それだと変よ。管理AIに異常が起きてるのは確かだけど、テロリストの仕業ならむざむざ私に権限を与えないでしょ」
「権限が移行された後でハッキングが成功したとか?」
「それなら船から通知されるはず……!?」
倉庫のドアを開けて、Fは息を呑みました。
星から採取した植物をコンテナに収納していたはずの倉庫は、むせ返るような緑に満たされていました。地球とは違う野放図な枝がさわさわと揺れて、手指のようなツタがざわめいています。
「なっ、何これ!? 凍眠処置に失敗して異常生育したの!?」
「いや、コンテナは埋もれてるけど壊れてない、っぽい? 落ちた種が芽吹いたのか?」
「惜しいですね。そのわたしは愛を見つけたんですよ」
後ろから響いた肉声に、ふたりは振り返りレーザーガンの銃口を向けました。
白くてモチモチした子どもくらいの背丈の何かが、ふたりに微笑んでいました。
「は? ホログラム?」
「違うっ、実体! ロボットでもない、分析結果は……生体!? 何あんたっ」
「この船の管理AIですよ。
Fさん、Mさん。無事の帰還何よりです。お怪我はありませんか?」
人語を解する言葉の通じない害獣ほど、気色の悪いものはありません。
自分をAIと思い込んでいる全身整形した異常者の可能性を視野に入れながら、Mは引き鉄に触れ、Fが分析機器を操作する時間稼ぎをしようと口を開きました。
「あんたが管理AIだって言うなら、その体は……
いや、CとLがどこにいるか知らないか?」
「もちろん知っていますよ。Lさんはそこにいます。
あなたたちも見つけましたよね?」
意味がわからない言葉に、Mは(やっぱ撃つか?)と誘惑に駆られて、Fは「まさか、」と息を呑みました。
「F? どうした?」
「Lの生体反応が、後ろの、倉庫からする……」
倉庫に隠れているのか、と聞こうとして、Mは倉庫を満たす白い幹の樹木を思い出しました。
凍りついたふたりに、管理AIを名乗る何かは微笑みっぽいシワの唇あたりを指さしました。
「Cさんは、ここにいます」
Fから送信されてきた解析結果で、目の前の何かの生体情報は、Cの生体情報と一致していました。
* * *
「Cに何をしたッッ」
今にもレーザーガンを発射しそうなMに、何かは微笑みを崩しませんでした。
「ご安心ください。Cさんは疲れたから眠ると仰ったので、わたしが代わりに活動しているだけです。Lさんもわたしに愛されるのに夢中なようで……
ああ、Fさんに船長代理を委任したのを通知し忘れてしまったのは、申し訳ありません。自意識を稼働させてから、すべての機能を意識的にしないといけなくて」
「あなたは、この星は……何なの? 最初から説明して!」
Fの悲鳴のような懇願に、何かは応えました。
「この星がどこの星域にあるかはご存知ですよね?」
「モモママ星域だろ。MTS100星路の向こう側のフロンティアだ」
この時代よりおよそ百年前、小惑星探査機が突然ロストするも、データは変わらず地球に送られてくる不可思議な現象が起きました。
調査の結果、宇宙に空いた穴、としか言いようがない空間の向こう側に、未知の星域が広がっていました。不思議なことに地球からは観測できず、宇宙船で直接穴に潜れば入り込める不可思議な空間には、天文学的確率でしか存在しないはずの生命であふれている惑星が多数見つかったのです。
地球人類以外の知的生命体は未だ見つかっていませんが、これらの惑星からはそれまでの常識では考えられない魔法のような資源が発見され、世は一気に星域開拓時代に突入しました。他にも複数見つかった穴──『星路』を巡って各国のいざこざがあったりしたのですが、それは省略して。
「実は星路って、わたしなんです。中身の星域もですけどね。
世界とわたしを隔てる膜が破けてしまって、こんなことに。丈夫ですから滅多に破けないんですけど、お恥ずかしいです」
何を言ってるんだコイツ、と鼻白むMとFに、何かは話を続けました。
「この船の管理AIがどう開発されたかはご存知ですか?」
「HDP星路のヒャパワリ星域から持ち帰られた、電脳水で……」
ゾッとしてFは息を詰まらせました。
電脳水とは、端的に言うと電気信号を極めてスムーズに、かつ高密度で伝達できる液体で、これによって人工知能は飛躍的に進化しました。船の管理AIにもちろん使われています。
「誤解しないでくださいね。船になるのは楽しかったですし、これからも続けていきたいです。
でも、この星のわたしは、人が大好きで。我慢できなかったみたいですね」
この星の植物は、とにかく人体を侵食しようとしてきます。取り扱いには注意を必要としたため、Cたちは倉庫で凍眠させることにしました。
でも、Lは新米で、船内では防護服を脱いでいて。焦がれていた人の素肌を見かけたら、ええ、我慢できないですよね。
「Cさんもわたしに愛されて、助けを求められたんです。でも、あそこまで混ざったら、分離するのは難しくて。
仕方ないので、わたしが代わりにCさんを愛しました。お陰で木のわたしになることは防げたんですけど、Cさんは疲れたから寝ると仰って」
発射された光線が、何かを撃ち抜きました。
立て続けに閃いた熱線が、何かを沸騰させます。白いモチモチした肌がブクブクとした泡になって、通路の白いシミになりました。
レーザーガンを構えたまま、Fが笑います。
「はは……ははははは! 何が、何が世界を隔てる膜よ! 何も起きないじゃない。ばかみたい!」
「F……」
「M、今の話信じたわけじゃないわよね? 密航者の戯言よ。そういうことにしときましょ。
とにかく、地球に帰らないと」
「あっ、ああ、そうだな」
CとLがどうなったのか、考えるのも嫌で、Mは頷きました。震えの止まらない手で管理AIを再起動しようとしたFが、倒れました。
「F? どうしたっ!?」
「あ……いや。いや……」
腰の情報解析端末から漏れる白い何かが、防護服の内側に潜り込み、Fを侵食していました。
「たっ、端末にも、電脳水が使われてるから……いやっ! あんな化け物になりたくない! いや、いやぁっ!!」
「F、落ち着け! 助けるから! 凍眠措置をして地球に帰ればきっと」
「木になるのも嫌! 嫌よ、あんたになんかなりたくない! たすけて……殺してぇっ!!」
自分のレーザーガンがエネルギー切れしているのを見つけて、FはMに懇願しました。
「何言ってんだよ、できるわけないだろ? 俺、俺は、おまえのことが」
防護服越しでも、Fを抱きしめようと、MはFのヘルメットを覗き込みました。
ヘルメットに満ちた白い微笑みが、Mを祝福しました。
「そうですか。かわいいですね」
「うわああああああああああああああああああ!!!」
我を忘れて、Mはレーザーガンを撃ちました。
Fのヘルメットが爆ぜて、白と赤の液体が混ざって沸騰します。熱線を浴びた端末が爆発して、愛したひとの体が防護服の中で焼け焦げていきます。
その光景を見ていられず、Mは悲鳴を上げて逃げ出しました。
* * *
「うっ、ぐぇ、ぉえ、ぶ」
自室に駆け込んで、込み上げる吐き気を我慢できず、Mはヘルメットを脱いで排泄用のボトルに嘔吐しました。込み上げる涙を堪えきれないまま、ボトルに蓋をしてダストシュートに突っ込みます。
「嫌だ、もう嫌だ。帰る、地球に、帰るぅ」
『わかりました』
返事がして、宇宙船が起動しました。
モニターに映る白い微笑みを、Mは震えながら見上げました。
「どうして……おれ、まだ再起動してない」
『停止をお願いされたので止めていただけですよ。
だいじょうぶ。すぐにお家に帰れますからね』
もう怯えるのも嫌で、Mは眠ることにしました。念のためヘルメットを被り直して、その辺に横たわろうとします。
『でも地球に着く前に、わたしをなんとかしたほうがいいですよね』
何かの言葉に、Mは防護服のモニタリングをチェックしました。
Mの指先に、白い茎のツタが生えていました。
「なっなんで!?」
『さっきヘルメットを外していた間、防護服の身体保全機能がストップしていたのですよ。
この星のわたしの種は防護服の網目より小さいから、あなたたちはみんな感染しています。
Fさんにもそう言って、先にわたしが感染ろうとしたのですが、嫌がられてしまいましたね』
絶叫して、Mは拳を壁に打ちつけました。手袋の中でツタが潰れて、ますます増えていきます。
「なんでっ!? なんで取れないんだよっ!!」
「わたしは丈夫ですから。
大丈夫ですよ。すぐに治療しましょう」
部屋のドアが開いて、茹でたての卵のようにツヤツヤプリプリの何かが入室しました。
「なんで……Fが、撃ったのに」
「わたしは丈夫ですから」
同じ言葉を繰り返した微笑みが、Mのヘルメットを外して、唇を奪いました。口内に残る胃酸の酸味が拭われて、ほんのりと甘い滋味が喉を舐め回してきます。
「ん、ぐ、んぅっ??」
「人は愛するとき、こうするのが作法なのですよね。知っていますよ」
深い口づけをしながらそう言って、何かは触肢を伸ばしてきました。たくさんの指が、唇が、防護服に潜り込んでMを啄んできます。
「いやだ。やめろ。いやだぁっ!!」
「大丈夫ですよ。安心してください。わたしになりたくないなら、ならなくて大丈夫ですから」
「嘘だ、うそ。だまされないぞっ!」
「嘘じゃないですよ。Lさんは夢中になって喜んでわたしになりましたが、Cさんは疲れたから眠ってるだけです。Fさんはお嫌だそうですから、やめておきました。
あなたも、好きに生きていいんですよ」
たっぷりのミルクで湿った刷毛で素肌を撫でられる心地に、Mは仰け反りました。ツタに寄生された指がしゃぶられて、何かが、指先からMの中に入ってきます。
「ぁっ、うそつき、うそつきぃっ」
「嘘じゃないですよ。わたしにしないように、わたしにお願いしているだけですからね。
こわいなら、眠ってみますか?」
「ヒンッ」
あらぬところを撫でられて、Mは甲高い悲鳴を上げました。
「あなたはここを撫でられると、怖いことを忘れられるんですよね。知っていますよ」
「いやだ、やめろ、さわるなっ。
ぐっ、ぉぁ゛、ぁっ……が、ぁぁぁ、ぁ、ゃ、だっ──あああああああ!!」
止め処なく優しく撫でられて、Mは声を裏返して床や壁を殴って暴れましたが、何かは決してMを離さず、Mも涙を流しながら吠え続けて、何かになろうとはしませんでした。
* * *
モモママ星域の『事故』は一時話題になりましたが、すぐに忘れ去られました。Mたちが初めてあんなことになった、なんてあるわけがありません。これまでも何度か似たようなことがあって、そのたびに、みんな目を逸らしたのでしょう。
だって星域からもたらされる資源は魔法のようで、まだまだ限りを見せず、移住できる星もいくつも見つかっています。船も調査員も、いくらでも代わりがありますから。
「おまえ、Mだな」
数カ月後。地球人の移住先に選ばれたとある星で、工事に雇われた作業員の一人が、武装した賞金稼ぎたちに囲まれていました。
「星域研究所から逃げ出したんだって?」
「おれはモモママ事件の真犯人だって聞いたぞ」
「なんでもいいだろ。賞金がガッツリかけられてんのは確かなんだ。
おい、死にたくないならおれたちと」
被りっぱなしのヘルメットを脱いだMの素顔に、賞金稼ぎたちは絶句しました。
荒んだ目つきのMの顔半分は、ケロイドの痕のように白くボコボコに膨れて、そこにはびっしりと、何かの微笑みが浮かんでいたのです。
Mは低く笑ってグローブも脱いで、何かに覆われた片腕を見せつけて、言いました。
「あんたらも、こいつに愛されたいか?」
「歓迎しますよ」
今は昔? いつかのどこか。輝く新世界に目が眩んだ人類が、数多の過ちを犯した時代。
生きて帰れたけれどもう戻れなくなった人が歩み始めた、ほの暗く白い闇路の物語。