100%昔?話「大福様とお坊様」

 昔々、かどうかは知りませんが、飽食の時代は遠く、飢えが田畑に蔓延っていた頃。冬の厳しさで人が死に、涙も日照りで乾いた頃。  厳しい冬を越すために、生贄に捧げられることになった童がおりました。 「この冬を乗り切れば、なんとかなる。どうか神様のところに行って、実りを願ってきておくれ。  代わりにおまえは、きっと楽土でご馳走をたらふく食べられるから」  そう言い聞かせる母の言葉がまやかしだと、もうすぐ七歳になる童にはわかっていました。  去年には、双子の妹が生贄に捧げられました。ところがこの凶作。きっとあの子が粗相をしたのだろうと、片割れの自分が新たな贄に選ばれたのです。  きっと自分は神様に叱られる。わかっていても、逃げるすべなどありません。  白い着物を着せられて、神輿に乗せられてえっちらほっちら。山の中腹で下ろされて、帰っていく神輿を見送って、ひとりぼっちになった童は、こわごわと神様を見上げました。   更けていく夜闇の中、お月様に白々と照らされているのは、丸くて白い、村では大福様と呼ばれているお岩様です。  辺りには滝も川もないのにつるりとしたお肌に触れようと、童がこわごわ手を伸ばすと、下卑た声が聞こえてきました。 「やっと来たか」  神様の声かと思いましたが、違いました。岩陰から現れた男たちは見るからに野卑で、その中の一人に見覚えがあります。 「にいちゃん?」 「よ、よう」  血のつながった兄ではありませんが、もっと小さい頃に遊んでもらっていた、今は町に出稼ぎにいっているはずの兄貴分が、男たちに囲まれて情けなくへつらっていました。 「その、最近はどこも厳しくてさ。故郷では今ごろ生贄やってるかもなって話したら、案内しろって言われて」 「神様なんて迷信だろ? 着飾ったかわい子ちゃんが無駄死にさせられるなんて、かわいそうじゃないか」 「そうそう。俺たちが有効活用しないとな」 「あの、そいつ男ですよ?」 「田舎もんだなぁ。都じゃ陰間が人気なんだよ」  言ってることの意味の半分も童にはわかりませんでしたが、男たちが人攫いなのはわかりました。 「まさか、妹も……」 「あ〜去年の子! 妹ちゃんかぁ」 「実はな、妹ちゃんには逃げられちゃったんだよ」 「そうそう。おっかぁ〜! おっとう〜! にいに〜! って叫んでて、かわいかったなぁ。  すぐに捕まえられると思ったのに、この岩の辺りで見失っちまって」 「だから今年は反省して、岩の近くで待ってたんだよ。な〜?」  童は辺りを見渡しましたが、男たちに囲まれて逃げ道はありません。  捕まったら、なにか、ひどいことをされる。わかっていてもどうにもなりません。  懐かしい兄貴分を、縋るように見上げます。 「……」  兄貴分は何も言わず、目を逸らしました。男たちの一人が、童に手を伸ばします。  飛んできた錫杖が、男の手を強かに打ちつけました。 「いってぇ!? 誰だてめぇっ!!」  一体どこから現れたのか。月明かりを白く輝く面の、禿頭のお坊様が、にこやかに仰いました。 「強盗です。有り金全部出してください」   *  *  *  お坊さんが錫杖を鳴らしながら歩く理由のひとつは、そうすることで虫や獣を遠ざけ、無益な殺生を避けるためです。 「つまり警告を聞かない方をしいするのは有益ですよね」  暴論を吐きながら拳を振るうお坊様は滅法強く、あっという間に岩場にはあちこち砕かれた男たちの死体が積み上げられました。 「なっ、なんだよおまえ。なんで坊主が強盗なんかするんだよぉ!?」 「麓の村が飢えて大変だそうなのですが、私も蓄えが乏しくて。  ですので、持ってるところからもらおうと」 「俺たちも貧乏だよ!!」 「それは賭場で使い果たしたからでしょう?」  逃げた男に追いついて首の骨を折りながら、お坊様は穏やかに仰いました。 「知っていますよ。あなたたち、常習犯ですよね? 日がな遊び暮らして、懐が寒くなれば追い剥ぎで温めている。  ここに来るまでにも稼いだらしいじゃないですか。無駄遣いする前に貰い受けます」 「無茶苦茶だ……たっ、助けてくれっ!!」  童と目が合って、兄貴分は叫びました。 「な、なぁっ。小さい頃、遊んでやったろ?  妹のことは気にするなよ! 俺も嫌だったんだけど、凄まれて、仕方なくて、だから」 「何か勘違いしているようですが」  兄貴分の頭を掴んで、お坊様は仰いました。 「私があなたたちを殺しているのは金目当てで、その子を助けるためじゃありません。  というわけで、御免」  兄貴分の頭蓋を手頃な岩に叩きつけて、むにゃむにゃ念仏っぽいものを唱えると、お坊様は血を浴びても白い面を童に向けました。 「おれもころすの?」 「あなた、お金持ってるんですか?」 「この着物、いいやつ」 「ください」  童の白い着物を剥ぎ取って、月明かりに透かして艶を確かめ、満足げに懐に入れると、お坊様は代わりに黒い衣を童に着せてやりました。 「さて、私は村に行って喜捨するかわりに廃寺をもらい受けますが、あなたはどうしますか?」 「あ、ほんとに強盗なんだ」 「ええ。この格好は無害と思われやすいからしているだけです。  でも、そろそろ定住したくなりまして。都合よく暴力で解決できそうなところを見つけたので、不意打ちできる機会を待っていました」  神様の遣いかと思ったのに、そんなことはなかったようで。  童は妹の仇たちを眺めて、何もしてくれなかった大福様を見上げて、お坊様のくれた粗末だけど温かい衣の裾をつかんで、尋ねました。 「麓の村って、おれの村のこと?」 「いいえ、反対側ですね」 「じゃあ、いっしょにいく」 「いいでしょう。小間使いがほしかったところです」  そう仰ると、エセ坊主様は童と手を繋いで、山を反対側に降りて行きました。   *  *  *  厳しい冬が過ぎ去り、春。ある晴れた朝のこと。  男たちの遺骸が獣に食われ、流れた血も雨に洗い流され、すっかり元通り白くなった大福様のところに、人目を忍んでお参りに来た女がおりました。童の母です。  真っ白な大福様を見上げる女の目には、涙が浮かんでいました。岩場に膝をついて、深々とお辞儀して、女は大福様に訴えます。 「大福様。春の豊漁のお陰で、村はすっかり豊かになりました。厚いお恵みに感謝いたします。  ですから、恥知らずなのは百も承知ですが、ですがどうか、娘と息子を返してください」  早くに夫を亡くして、弱い立場だから、子どもたちを犠牲にしてしまった。そんな弱い母だけど、どうか。  涙に暮れる女が顔を上げると、どうぞ、と大福様が微笑んで、白い着物の女の子を差し出していました。 「……え?」  呆然と受け取ると、娘は温かく、生きています。安らかだった寝顔がむずがって、ぱちりと目を開けます。 「おっかぁ?」  おにいさんもお元気なようですよ、と、そんな言葉に母が顔を上げたときにはもう、大福様は元通り背を向けて、物言わぬ真っ白な岩になっていました。  今は昔、かなたのこなた。春の雪解けに、涸れた涙があふれた頃。  神ではない何かの懐で、一年寝過ごした童の話。