笑わない探偵の事件簿
~ほほえ岬殺人?事件~
昔々、かどうかは知りませんが、空を舞う鉄の鳥が火を吹いて、海を超えて国々が争った、その少し後。兵も民も骸を重ねた戦が終わりを告げて、ようやくの平和に人々が安らぎながら、まだ癒えない傷を抱えていた時代。
海に突き出た岬が名物の宿場町に、仏頂面の陰気な男が訪れました。
男は探偵でした。周りが勝手にそう呼んでいるだけですけどね。名前は、絵馬図 偵信としておきましょう。
絵馬図は戦で顔に傷が残り、いつもどこでもしかめ面。背はそこそこ高いのですが、睨め上げているような目つきは誰が相手でも変わらず、女子どもも男衆も怯えさせてしまいます。
ですがこの町では、誰もがにこやかに挨拶してきました。
「いらっしゃい、旅人さん。湯治かい?」
「お友達に勧められて? そいつは光栄だ」
「さ、当館自慢の魚料理をどうぞ。ここの魚はよく肥えててね。美味しいだろう?」
いささか馴れ馴れしいほどでしたが、絵馬図は気になりませんでした。
海に面した宿で、勧められた露天風呂に浸かって、風情のある生け垣とまんまるなお月さまを眺めながら、あちこち傷痕の残る体を寛げます。
「ここは随分と、皆さんご親切ですね」
食事中にぽつりと絵馬図がこぼした言葉に、女将はしたり、と頷きました。
「あまり大きな声じゃ言えませんが、この町は昔から豊かでしたから。肥えた魚がよく獲れて、嵐は向こうの山で逸れて、先の戦でも結局焼かれませんでしたし。
ホホエ様のお陰だと、みんな手を合わせております」
「ホホエ様?」
「町に昔から伝わる神様ですよ。高台に神社がありますから、興味があれば参拝されると良いかと」
翌日早速行ってみた、海と岬を見下ろす神社によると、「ホホエ様」はこの時代よりずっとずっと昔に、岬に流れ着いた神様で、当時飢饉に苦しんでいた民に自分の肉を分け与えた白鯨だそうです。
最後の一片が切り取られてなお微笑みを絶やさなかった慈悲深い神様で、その骨は山に埋められ、そこからこんこんと湧き出た川が今なお土地を潤し、海へ流れて魚を肥やしているのだとか。
「ホホエ様の御慈悲を忘れぬように、ここは笑顔の町を心がけているのですよ」
「そうですか。立派なことです」
暗い時代を経ても笑顔を絶やさぬ心持ちに、絵馬図は頭の下がる想いでした。ここを湯治に勧めた友人の気遣いに感謝です。
けれどこの町とて人の住む街。人のある場所に影の差さぬ場所は無いものです。
絵馬図の滞在中、岬で他殺体が見つかりました。
それは絵馬図の心を更に病ませる、悍ましい事件の幕開けだったのです。
笑わない探偵の事件簿~ほほえ岬殺人?事件~プカプカ流れ着いたモチモチの悲劇~露天風呂の生け垣に犯人は何かの微笑みを見た~
「被害者は藁蕊 福くん十歳。岬の浜辺に倒れているのが発見された。
溺死も疑われたが、首の扼痕から殺人と断定。昨晩のうちに殺害され海に遺棄されたものの、海流で岬に流れ着いたものと見られる。
最後に目撃されたのは昨晩の十時。夕飯後に散歩に出かけたところを父親が見送って、平和な町だからと特に心配せず就寝したと。
ここまででなにか質問はあるか?」
「おまえ、なんで管轄外の町に出張してるんだ?」
「ふぁんさぁびす」
宿に駆けつけた友人の警部、中津 友和に、絵馬図は嘆息しました。
「部外者に捜査情報漏らすなよ」
「凶悪事件を七件解決した探偵が部外者は無理あるだろ。で、なんかわかったか?」
「俺をなんだと思ってるんだ」
「超能力者だろ?」
絵馬図は口をへの字に曲げましたが、否定はできませんでした。中津に連れられて一階に降ります。
関係者が集められた宿の広間には、刑事たちに女将、号泣する女と、女を慰めている男、女に責められている男がいました。
「うわああああああ福、福ぅ! あなたが、あなたがしっかりしてなかったせいでぇ!!」
泣いているのは藁蕊 緒子さん。嫁入りでこの町に引っ越してきた、福くんのお母さんです。
「緒子、落ち着いて。楽成さんのせいじゃないよ」
宥めているのが羽野路 真幸さん。緒子さんとは幼馴染みの行商人です。
「いえ、私の責任ですよ。すみませんでした、緒子さん」
謝罪しているのが藁蕊 楽成さん。福くんのお父さんで、ホホエ様を祀る神社の宮司でもあります。
楽成さんが福くんが夜に散歩に行くのを止めずに見送ったのを、緒子さんに責められているようですが……
「緒子さんは、昨晩は?」
「この宿に義姉さん……女将を訪ねて、話が盛り上がって、そのまま泊まりました。わたしが家に帰って止めていれば、こんなことには……!」
「羽野路さんは?」
「僕もこの宿に泊まっていますが、緒子さんとは会いませんでした。宿から出かけてもいません」
「楽成さんは……」
「寝付けないという福を見送った後は、そのまま寝てしまいました」
各自から話を聞いて、中津は絵馬図に耳打ちしました。
「なんかわかったか?」
絵馬図は嫌そうな顔をしましたが、気になることがあったので尋ねました。
「羽野路さん。緒子さんと会ってないと嘘を吐くのは、おふたりが不倫関係にあるからですか?」
「なっ、何を根拠に!?」
「先ほど、緒子さんはあなたを頼りにして、夫の楽成さんを敵視していました。事件のことで愛憎が反転したにしては、その感情はやけに馴染んでた。
いずれにせよ、警察が調べればすぐにバレますよ?」
「わっ、わたしは……」
青ざめた緒子さんを問い詰めることはせず、絵馬図は羽野路に視線を戻しました。
「宿の部屋で事に及べば、関係はすぐに露見する。女将さんは楽成さんのごきょうだいですからね。逢引の現場は露天風呂でしょう。
女将さん。露天風呂は夜十時には閉まってますね?」
「はい。暗いので九時には閉めています。ただ、裏口からこっそり入るのはそこまで難しくは……緒子さんは旅館で働いていたこともありますし……」
「痕跡を隠すのもお手の物、と。
緒子さん。昨晩、羽野路さんはあなたを置いて部屋に戻りませんでしたか?」
「それは、いっ、いつものことです! いっしょにいるところを見られないように……」
「でも、見られたんですね?」
緒子さんはきょとんとしましたが、絵馬図は緒子さんを見ていません。
広間の視線が、一点に集中します。
「昨晩、緒子さんとの逢引を見られたと気づいて、あなたは一足先に戻ると言って、福くんを口封じに殺して、宿から海に捨てた。
あなたが犯人です。羽野路さん」
「ちっ、違う……違うんだ緒子。僕は、誰かに見られた気がして、外に出たら、あの子が、うわああああああああ!!」
羽野路さんの慟哭が、宿に響き渡りました。
* * *
後からわかったことです。
あの晩の逢引中、羽野路さんは露天風呂の生け垣から、誰かが笑っている気がしたそうです。
気のせいかと裏口から出たら、ちょうど散歩していた福くんと鉢合わせして……
「あの子も笑ってたから、見られたと思って、気づいたら、首を……」
だそうです。気の毒ですね。
事件が解決した翌日、絵馬図は神社を訪れました。
「ああ、探偵さん。昨晩はありがとうございました」
「いえ……緒子さんは」
「家内は伏せっております。元気を取り戻してくれると良いのですが」
そう言う楽成さんに、絵馬図は気になっていたことを尋ねる決意を固めました。
「楽成さん。俺は、戦時中に色々あって、人の感情が読めるようになりました。
この人は笑顔だけど怒ってる、悲しんでるけど腹の底では笑ってる、そういうのがわかるようになったんです」
「それは、さぞ苦労されたでしょう」
「ええ。見事に人間不信になりましたよ。信頼できる友人は中津くらいです。
でも、この町は居心地が良かった。みんな、心から笑ってて……」
楽成さんは微笑んで頷きました。
「この町があなたの安らぎになれたなら、何よりです」
「……ありがとうございます。ひとつ、お尋ねしたいんですが」
絵馬図は笑えずに、尋ねました。
「どうして、ずっと笑っているんですか?」
息子が殺されたときも。妻の不倫が発覚したときも。妻が伏せっている今も。
楽成さんは首を傾げました。
「おや。表情は作っていたつもりなのですが。
ああ、あなたは感情がわかるのでしたね」
「ええ。あなたも、町の人も、みんな心から笑ってる。いつも。
違うのは町の外で生まれた人だけです」
最初は快かったそれが、今は悍ましい。子どもが死んでも笑っている楽成が、気色悪い。
嫌悪を露わに睨みつけてくる絵馬図に、楽成さんは目を細めました。
「事件をすぐに解決してくださったお礼に、真実をお教えしましょう。
まず、福は死んでません。岬には自分で泳いできたのです」
「何を……遺体は警察がきちんと調べたぞ」
「ええ。人としての器は死んでしまいました。緒子さんが一生懸命産んでくださったのに、申し訳ないことです。
ですが、私たちはここから湧き出るものですから。福もそのうち、別の身体で帰るつもりですよ」
風が吹きました。木々の梢が鳴いて、川のせせらぎと潮騒が聴こえてきます。
「ホホエ様は自分を食らった住人たちと混ざり合い、埋められたこの地と溶け合いました。ですからこの町では、よく私たちが生まれるのです」
「私、たち?」
「ええ。怖がらなくていいのですよ。風も、水も、魚も、すべて私たちですから」
楽成さんが何を言っているのか、絵馬図はわかりませんでした。
でも、口は勝手に動きました。
「緒子と羽野路を目撃したのは……」
「ああ、羽野路さんにも申し訳ないことをしましたね。人の営みを見るのが好きなものですから」
微笑んでいた、生け垣の陰。微笑んでいた福くん。福くんとそっくりの楽成さん。楽成さんとよく似た女将さん。緑深い山の美味しい空気。美味しい水。よく肥えた魚たち。それに混ざっている、何か。
それを、口にしてしまった、自分。
楽成さんが、絵馬図を見て、微笑みました。
「おや、探偵さん。そんな顔をして」
かわいいですね。