遠い温かな食卓

 何故だろう。泣きたい気持ちになる。  目の前の温かな光景が、酷く遠い。外から温かな食卓を眺めているような気分。とても遠い。  ロイドが笑い、ジーニアスが茶化し、コレットが微笑み、リフィルが叱り、馬鹿を言ったゼロスにしいなが怒鳴る。リーガルとプレセアは沈黙を守りつつ、僅かに口元が笑んでいた。  人間。神子。貴族。平民。ハーフエルフ。互いの立場を認めた上で、そんなことは関係ないと微笑み合う人々が、ここにいる。何度も夢見た理想郷が、今、目の前に存在している。  なのにその光景は、酷く遠い。  帰れない。もう帰れないのだ。賽は投げられた。道は途絶えた。扉は閉ざされた。すべては自分の手で。自らの手で選んでしたこと。  ああ、けれど。  振り向いた仲間が、何してんだ来いよ、と笑う。  傍らでノイシュが袖を引っ張った。  仲間になれて嬉しいのに、こんなにも悲しい。心が引き裂かれる。  わかってほしい。自分の理想を。  ついて行きたい。すべてを捨てて、彼らの許へ。  答えを出せないまま、現状に甘える。遠い昔侮蔑した権力者たちのように。  自分はどうしたいんだろう。ほんとうは、どうしたかったんだろう。  駆け寄ってきたジーニアスに、笑みを返す。笑顔で振られた話題に、相槌を打つ。楽しい時間。初めてできた友達。遠い遠い昔、待ち望んでいた時間。  けれど、それを望んだのは遠い日々。今の自分は別の理想を見つけ、それを叶えるために彼らと行動を共にしている。彼らを裏切るために。  だけど、本当に? 本当に望んでいたのは、何だったんだろう。自分は今、何を望んで、彼らといっしょにいるのだろう。  世界の分離を願い精霊と契約を交わす彼らに、そんなことは無駄だとは言わなかった。それが無駄に終わると知っているから。  本当に? では、何故姉さまの形見の笛を──違う! 姉さまは亡くなってなんかいない!  ……なのに、何故あのとき自分は、形見の笛だと言ったのだ? まるで、姉さまがもう亡くなっていることを、認めるように。  何故アスカと契約する手助けをした。精霊の楔が外れれば、姉さまが危ないのに。どうして。  世界の分離。果たせるのか? ウィルガイアの計算結果には多分に不確定要素が含まれていた。期待しているのか? 終わりが来ることを。ボクは。本当は。  姉さま。貴女がここにいてくれたなら。  隣のジーニアスの向こうで、ロイドが笑う。ロイドの隣にはコレットがいる。姉によく似た微笑み。  姉さま。友達ができたんだ。姉さま。ボクがハーフエルフでも、そんなこと関係ないって言ってくれる人がいるんだよ。  姉さま。  姉さま。  喉元まで迫り上がってきた言葉を、口にすることはなかった。そこにいるのはコレットで、姉ではない。  目的地が見え、ロイドが走り出す。タバサとアルテスタが扉から現れ皆を出迎える。  タバサ。ぎくしゃくとした、どこかぎこちない動き。辿々しい言葉。表情の乏しい、だが温もりと労りに満ちた声。  そこにいたのはタバサで、やはり、マーテルではなかった。  ロイドたちがすべての精霊と契約を交わして、世界の楔が外れ、それが無駄に終わったら、果たして自分はどうするのだろう。  もしオリジンとの契約を求めたら? 協力するのか? それとも、今度こそ阻むのか?  そうとも。そうに決まっている。ロイドたちと行動を共にしたのは元々はそのための……  元々は? では今は、何だというのか。  知らずと俯いた頭に温かな手が載せられた。無骨で大きな手のひら。  ミトス、どうかしたのか?  ロイド。遠い昔の自分。まだ自分の一番大切な存在を失う痛みも知らず、愚かにも殺した者と殺された者が分かり合えると信じていた、何も知らなかった自分。  だが本当に愚かなのはどちらなのか。昔の自分と、今の自分。どちらが正しかったのか。  ロイド。そこにいたのはロイドで、ミトスではなかった。自分は人間とエルフに、ハーフエルフのことを認めてもらいたかった。ロイドは単に、誰だって生きていていいはずだと思っているだけだ。  認める者と、認められたい者の違い。それは強者の傲慢か? ロイドは強かった。ボクよりも。  ああ、けれど。本当に愚かなのはどちらなのか。本当に傲慢だったのはどちらだったのか。  ボクは、ただ、ボクらの居場所がほしかった。それがほしくて、大戦を調停し、世界に、ハーフエルフを認めさせようと。  今は。人間も、エルフも、ハーフエルフもない世界を。ハーフエルフを、この世から、消そうと。  ボクは。ただ、ボクらの居場所を。  顔を上げれば、皆が心配そうにこちらを見ていた。円を囲むように、用意された居場所。  ボクの居場所。  馬鹿な奴らだ。こっちはお前たちを裏切るつもりだというのに。  顔は作り慣れた微笑を形作り、口は平静に言い訳を準備する。心の中では嘲りながら、ああ、けれど。  何故だろう。泣きたい気持ちになる。