灰色の日々
『お前は神子だ』
『世界を救うんだ』
生まれたときから、ずっとそう言われ続けてきた。
朝は祈りの作法を学び天使の言葉を覚え、昼はいつか来る試練のために訓練を重ね、夜はまた教典を手繰り、祈りを捧げ床に就く。
他の子と遊ぶ時間はなかった。そもそも遊んでくれる子なんていなかった。みんな、遠巻きに私を見るだけだったから。
「おまえ、神子なんだってな」
一度だけ、話しかけられたことがある。
男の子だった。私を睨みつけて、こう言った。
「おれたちがまずしいのは神子のせいだって、母ちゃん言ってたぞ。おまえのせいなんだな!」
それは、前の神子の失敗のことを言っていたんだと思う。けど、私はこう言われていたから。
『神子が不甲斐なく、試練に失敗すれば、荒廃は続き、衰退は広がる。貧困に苦しむ人々の声は己の責任と思いなさい』
「うん。ごめんね」
そう言ったら、殴られた。
夜になって、その子のお母さんが謝りに来た。顔を真っ青にして何度も頭を下げて、私はおろおろするばかりで、おばあさまが何とか村長に取り直してくれた。
そんなことがあってから、ますますみんな私に近寄らなくなった。
「だいじょうぶですか?」
私はよく転ぶ。それでときどき、神官の人が手を貸してくれることがあった。
差し出された手のひらを握り、立ち上がる。服の汚れを払う前に、顔を見上げて、頭を下げた。
『人から何かしてもらったときは謝りなさい。あなたは神子なのですから。人の手を煩わせるようなことがあってはいけませんよ。人に手を貸してもらうのではなく、人に手を貸すことを義務と思いなさい』
「ごめんなさい」
いつもそう謝った。感謝の言葉は謝罪の言葉だった。ずっと、謝り続けてきた。本当に申し訳なく思ったときも、本当は嬉しかったときも。いつも謝り続けた。
そうして日々が過ぎた。
金の輪がくるくると回り、弧を描いて戻ってくる。
迷わずにそれを受け取り、瞬時にまた投げ返す。受け取る者などいなくても、チャクラムはいつも彼女の手に返ってくる。誰かと遊んでいるようで楽しくて、コレットはそれを武器に選んだ。離れて攻撃できるから護衛の人たちの邪魔にもならない。……ほんとは、犬と遊んでる子を見て、いっしょに遊びたかっただけなんだけど。
金の輪がくるくると回り、きらきら光りながら戻ってくる。けれど、
「すっげー!!」
そう言われたことなんて、なかった。
「すっげーすっげーすっげー! なあなあなあなあそれどうやんの!?」
突然現れて勢い込んでそう尋ねてきたその子は、見覚えのない男の子だった。イセリアは小さな村で、子どもの顔はみんな覚えている。自分と同じくらいの歳なら尚更だ。
けれど、この男の子は見たことがなかった。顔だけじゃなくて、服装も。この辺りにはそぐわない格好をしている。
そんなことを考えていたから、返事が遅れた。
「あ、えっと、こう」
慌てて実演してみせると、男の子は怒った様子もなくわくわくとチャクラムを見送った。それが手元に返ってくるのを見て、また歓声を上げる。
男の子は満面の笑みで手を伸ばした。
「俺にもやらせてっ」
固まった。武器は誰かを傷つけるもので、扱いには十分気をつけなければならない。持ったこともない人間に貸し与えるなど言語道断。けれど、断ったら、この子はどんな目で私を見るだろう?
そんな風に悩む時間は、わずかしか与えられなかった。返事を待たず男の子は私からチャクラムを取ると、迷うことなく投げ放った。
チャクラムは、回ることなく直線にまっすぐ飛び、そして、返ってこなかった。
沈黙が漂った。
私はチャクラムを取られた格好のまま、男の子はチャクラムを投げ放った格好のまま、しばし固まっていた。
ややあって、男の子がおもむろにチャクラムの消えた方向を指し示す。
「ノイシュ、取ってこい!」
後ろの茂みから、緑色の何かが駆けていく。一瞬しか見れなかったけど、それは、
「……犬?」
「そう! ノイシュって言うんだ」
戻ってきたそれは、大きすぎる体と不可思議な色彩と、羽のような耳を除けば、確かに犬のように見えた。それだけでコレットには十分だった。
ノイシュが咥えてきたチャクラムを受け取り、言葉は自然と喉から漏れた。
「ありがとう」
恐る恐る頭をなでようとすると、ノイシュは逃げるように男の子の背に隠れた。大きすぎて頭が男の子の肩からはみでている。
男の子が笑った。
「こいつ人見知りするんだよ。馴れたら平気だけど」
触れることなく伸びたままの手に、男の子の指が触れた。そのまま動かされる。
温かい、どこか湿った感触が、手のひらに触れた。今度はノイシュも逃げなかった。
「なあ、俺ロイドって言うんだ。お前は?」
いっしょに手を動かしながら、男の子が尋ねる。初めて向けられた温かい無邪気な笑顔。
自分も似たような、きっと神子らしからぬ表情を浮かべていると知りながら、それを堪える気は起きなかった。
「コレット」
初めて浮かべる笑顔を噛みしめる。男の子が私の名前を呼んでくれる。
「一緒に遊ばないか?」
差し出された手のひらを、しっかりと握りしめ、
そうして単調な日々は終わりを告げた。