落ちる昇る心のままに
女らしさとか、可愛らしさとか、そんなものへの憧れも、確かにあるのだ。
こんなときに、助けて、とか、あなたのこと好きだったのとか、そんな陳腐でみっともないことを、少しは言ってみたかった。
(けどねえ……しょうがないじゃないかい?)
それは憧れで、敢えて言うなら羨望で、嫉妬ではない。それができる人間を羨ましいと思っても、それをやる自分を想像したら、違和感に苦笑する。
(これが、あたしなんだ……そうだろ?)
コレットに──あの可憐で、女の子らしい、しかし少女らしい脆さや弱さとは無縁の少女に、嫉妬したことはなかった。断言できる。嫉妬するにはあまりにロイドは鈍感で、あまりにコレットは嫌いになれなかった。本来なら自分と敵対するはずの、シルヴァラントの神子。自分を殺そうとした相手を助けようとする、底抜けにお人好しの。
ロイドのことで、彼女に感じたのは共感だった。こっちは我ながら好意を抱いているのが見え見えなのに、向こうは全く気づかない。そういうことをまだ意識していないのだろう。
おかげで自分ばかり気持ちをかき乱されて、たまに思わせぶりなことを言われたかと思えばこっちの考えすぎで肩透かし。恋心に夢中になる暇なんてありゃしない。
コレットは苦労するだろうなと、素直に思った。たまに期待することがなかったわけではないけど、ロイドは恋愛に関して子どもすぎるくせに、コレットを一番大切にしてるのは、よくわかった。あの気持ちが恋心に成長するのは、多分そう遠い日のことではないだろう。
その日が来るのを待ってる。あの、自分の苦しみを全く表に出さない少女が、あの鈍感なくせにやたらと人を見透かす男と幸せになるのを、自分も見たいのだ。
そのために戦った。悔いはない。嫉妬はなかった。ロイドを独占するのではなくて、ロイドからもらったものを大切にしたい。この気持ちはきっと恋だけど、でも、温かく、優しいものだった。
思考が止まった。心が体に追いつく。地面のない、底なしの暗闇に投げ出された自分。マナを使い果たし、体は無力で、抵抗する術を持たない。
闇の底に落ちるのを待つだけになった背中に、温もりが触れた。
逞しい、男の腕。
いつの間にか、落下が止まっていた。宙に浮いている。
顔を上げれば、まず赤が目に入った。嫌味かというほど色艶の良い、波打つ赤い長髪。きめ細かい白い肌の、無駄に整った顔立ち。切れ長の碧い目。高い鼻。艶めいた桜色の唇。よく見知った顔。聞き覚えのある声。
「な~に無抵抗で落ちてんだ。あぶねーでしょうが」
「……ゼロス」
殴った。
ゼロスの無駄に美形な顔が音を立てて吹っ飛ぶ。当然自分も再び落下することになったが、構わなかった。ゼロスには羽がある。自分と同じようにこのまま落ちることにはなるまい。
落下するゼロスから目を反らさず、懐から札を取り出して、しかし落下は再び止まった。今度の感触は、やけに堅い。自分の背中に触れたものの正体もわからぬまま、気がつけば地面に下ろされていた。
振り向いた先に、今度は蒼。
「リーガル!!?」
「大丈夫か、しいな」
先ほど天使の大群に一人立ち向かっていったはずの仲間がそこにいた。
見たところ大した怪我もなく、五体満足と言って良いだろう。狐に化かされたような心地で答える。
「あ、ああ。何とか平気だよ。そっちこそよく無事だったね」
「ああ。ゼロスに助けられてな」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「ゼロスに?」
呆然としてる間に、ふわふわと当の本人が降りてくる。
「おー痛ぇ。せっかく助けてやったのに殴るこたぁないでしょーがよぉ」
腫れ上がった頬をさすり、顔をしかめて愚痴る様は、いつものゼロスだった。いつもの、ほんの数刻前のゼロス。いつもの飄々とした態度。いつもの。
「あんた……裏切ったんじゃ」
「裏切ったふりしただけだっての。ああすりゃ向こうさんも油断するでしょーが。あーもう痛ぇったら」
しきりに頬を撫でさするゼロス。ほんの少し前、自分たちに別れを告げたときの冷えた様子は、もうない。
拗ねた様子でこちらを伺う眼差しに拒絶の色は見えず、ずっと胸にわだかまっていた凝りが、安堵と共に溶けていくのを感じた。
「ゼロス……」
我知らず、名を呼んだ。ゼロスは返事をしない。ただ頬を撫でながら、上目遣いにこちらを見ている。
尖った唇にやっと気づき、慌てて駆け寄った。
「わ、悪かったよ。大丈夫かい?」
「大丈夫じゃない。痛い。俺様の美貌が損なわれたらどうしてくれんだよ」
「だ、だから悪かったって」
無理もない反応だったし、姿勢が悪かったこともあって痣になるほどの打撃ではなかったが、助けてもらったのに殴ってしまったのは事実だ。裏切り云々に関しては、レネゲードのこととか、いくつか追求したいことがあったが、安堵の方が先立ち何も言えなかった。
今そこに、いつもの仲間が、いつもの様子で、そこにいる。知らない内に強張っていた体がほぐれたようだ。体が軽い。ゼロスがぶつくさ不平を続けるのさえ懐かしかった。
「ったくしいなって凶暴~。ことあるごとに殴るんだから。ちょっとふざけたら殴るし、口説いたら殴るし、立派な胸を褒めてんのに殴るし、助けても殴るなんてある意味筋金入りだよな。
この間なんてセレスのこと聞かれたから答えただけなのにいきなり」
「アレはあんたが勝手にあたしをハニー呼ばわりしてたからだろうがっ!」
今度こそ、青痣が出来るほどのパンチがゼロスを襲った。役立たずの羽ごと地面に殴り倒された馬鹿を無視し、さっさときびすを返す。
「さ、行くよ、リーガル。コレットを助けないと。他のみんなも心配だ」
「ちょっ、待てよ! 俺様がいないと道わかんないでしょうーが!」
「だからさっさと案内しな」
「鬼ィ!!?」
ぶつくさ言ってる馬鹿を先頭に歩き出す。
思いだせばムカついてきた。この馬鹿は、よりにもよって、自分の妹に、他人のことを、ハニーと紹介したと抜かしたのだ。勝手に。誰がハニーだ、誰が。暇さえあれば女を口説く尻軽男の分際で、身の程知らずも甚だしい。ミズホの民は一夫一妻制なのだ。ハーレムは男の夢だとか抜かす馬鹿に用はない。
そうとも。あんなゼロスが神子だというだけで群がる馬鹿女共と同じ扱いを受けるのはまっぴらごめんだ。人をハニー呼ばわりするなら、まずあの脳軽女全員とスッパリ縁を切り、それから誠心誠意こちらを口説いて了承を得てから呼ぶのが筋というものではないか!
そこまで考えて、何だか変だと首を傾げる前に、たかだか顔の痣を治すためだけに決戦前にマナを無駄遣いしているアホ神子が見えて、飛び蹴りをかました。いい音が鳴り響く。
恋ではない気持ちが、恋に変わるのは、多分、そう遠い日のことではない。