「ルーク!」
悄然と肩を丸めて歩く幼馴染みを追いかけた。
甘えていた。自分は彼に甘えていた。今になってやっと気づいた。
今までずっと、彼を見ようとしていなかった。自分の気持ちに手一杯で、彼を思いやるのを忘れていた。大切な、幼馴染みなのに。
「もしもあなたが、わたくしの為にアッシュの身代わりになろうとしているのなら、やめて下さい。
わたくしは……どちらも大切ですわ」
震える声に、ルークは俯いて、首を振った。
「違うよ。ただ俺はやっぱり……偽者だから」
「あなたは偽者ではありません!」
否定は、悲鳴のようだった。この言葉を言わせているのは自分だ。自分が、彼に、そう思わせた。彼のことを忘れて、アッシュに恋い焦がれて。
思い出して。何度もそう言った。そのたびに、ルークは嫌そうな顔をした。
「ガキの頃のプロポーズの言葉なんて覚えてない」。それが常套文句。露骨に話を逸らしたり、顔を背けたり、けれど、けれど、
ルークは一度も、ナタリアに向かって「思い出したくない」とは、言わなかった。
「あなたはわたくしの、もう一人の幼馴染みですわ……」
続いた声は、泣き声のようになってしまった。俯いてしまった。こぼれそうになった涙が、最後の矜持のように目尻に縋りつく。
ルークは気づかない。ルークは顔を上げない。俯いたまま、面映ゆそうに鼻をこする、その嬉しそうな声。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……」
その、寂しそうな声。
「あなただって、死にたい訳ではないでしょう!」
否定したくて、声を張り上げた。
ルークは顔を上げない。ルークはこちらを見ない。ルークはもう笑わない。顔をしかめて、ルークがナタリアを邪険にすることは、二度とないのだ。
死んだ人のような顔を見てられなくて、顔を背けた。背を向ける。それでも、あきらめたくなかった。
「わたくしがお父様たちを説得します。早まってはなりません」
一度だけふり返り、「よろしいですわね!」と言い捨てて、答えを待たずに駆け出した。わかっていた。私にだって、わかっていたのだ。
答えが返らないことぐらい。
静かだった。重苦しくて、耳が痛いほどに静かで、なのに、熱くて、寒い。震えが止まらない。
知っている感覚だった。絶望。救いのない閉塞感。時が止まればいい。明日なんて要らない。そこには絶望しか待っていない。
向こうから現れたルークの、しょぼくれた顔を見て、アニスは、笑えなかった。
「ナタリア、泣いてたよ」
「……ああ」
短い返答に含まれた声音が、彼はもう決めたんだと悟らせた。行ってしまうつもりだ。帰らないつもりだ。どうしてだろう。どうして、こんなことに。
困った顔で立ち止まったルークに、アニスは首だけ動かして目を合わせた。
「ねえ、あたし、ルークに聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「なんだ?」
沈黙が途切れて安堵した顔に、残酷な問いを投げかけた。
「どうして、そんなに簡単に死ぬって決められるの?」
一拍。あまりに短い沈黙。
「簡単なんかじゃ」
「簡単だよ! ねえ、ナタリア、ルークに死なないでほしいって言ったんだよね? ガイもきっとそう言ったよね? ルークはそれ聞いてどう思った? なんて答えた? 何か答えた? 死ぬのやめようかな、やっぱり生きようかなって一瞬でも考えた?」
「アニス……」
「何も、何にも答えなかったんじゃない? 何も言わなかったんじゃない? それ、人の話聞いてるって言えるの? 自分の中でもう決めちゃって、みんなが何を言っても耳も貸さなくて、そんなの、そんなの」
「アニス」
「どうしてみんなそんなに簡単に死ぬなんて言えるの? みんな駄目だよって言ってるのに! ルークも! イオン様も! どうして」
引きつった呼吸が、胸の中でもつれて、それ以上は言葉にならなかった。
泣かないと決めたのに、目の奥から勝手に熱がこぼれて、それがどうしようもなく悔しかった。
「こんなのは嫌だ。もう……嫌だよ」
しゃがみ込んで、顔を隠す。こんな顔は見られたくなかった。泣いてるなんて気づかれたくなかった。泣かないつもりだったのに。泣いたら、もう、止められないのに。
ルークが何か言う。やさしい手が降ってくる。
「アニス。……アニス、ごめん。ごめんな」
謝る言葉が聞きたいんじゃない。そんな言葉が聞きたいんじゃない。苛立ちに任せて憎まれ口を叩こうとして、しかしそれは叶わなかった。
泣きじゃくる自分の背を撫でる辿々しい手のひらが、どうしようもなく嬉しくて、腹立たしかった。