神様なんかいない

「ルーク!」  悄然と肩を丸めて歩く幼馴染みを追いかけた。  甘えていた。自分は彼に甘えていた。今になってやっと気づいた。  今までずっと、彼を見ようとしていなかった。自分の気持ちに手一杯で、彼を思いやるのを忘れていた。大切な、幼馴染みなのに。 「もしもあなたが、わたくしの為にアッシュの身代わりになろうとしているのなら、やめて下さい。  わたくしは……どちらも大切ですわ」  震える声に、ルークは俯いて、首を振った。 「違うよ。ただ俺はやっぱり……偽者だから」 「あなたは偽者ではありません!」  否定は、悲鳴のようだった。この言葉を言わせているのは自分だ。自分が、彼に、そう思わせた。彼のことを忘れて、アッシュに恋い焦がれて。  思い出して。何度もそう言った。そのたびに、ルークは嫌そうな顔をした。 「ガキの頃のプロポーズの言葉なんて覚えてない」。それが常套文句。露骨に話を逸らしたり、顔を背けたり、けれど、けれど、  ルークは一度も、ナタリアに向かって「思い出したくない」とは、言わなかった。 「あなたはわたくしの、もう一人の幼馴染みですわ……」  続いた声は、泣き声のようになってしまった。俯いてしまった。こぼれそうになった涙が、最後の矜持のように目尻に縋りつく。  ルークは気づかない。ルークは顔を上げない。俯いたまま、面映おもはゆそうに鼻をこする、その嬉しそうな声。 「そう言ってくれるのは嬉しいけど……」  その、寂しそうな声。 「あなただって、死にたい訳ではないでしょう!」  否定したくて、声を張り上げた。  ルークは顔を上げない。ルークはこちらを見ない。ルークはもう笑わない。顔をしかめて、ルークがナタリアを邪険にすることは、二度とないのだ。  死んだ人のような顔を見てられなくて、顔を背けた。背を向ける。それでも、あきらめたくなかった。 「わたくしがお父様たちを説得します。早まってはなりません」  一度だけふり返り、「よろしいですわね!」と言い捨てて、答えを待たずに駆け出した。わかっていた。私にだって、わかっていたのだ。  答えが返らないことぐらい。
*  *  *
 静かだった。重苦しくて、耳が痛いほどに静かで、なのに、熱くて、寒い。震えが止まらない。  知っている感覚だった。絶望。救いのない閉塞感。時が止まればいい。明日なんて要らない。そこには絶望しか待っていない。  向こうから現れたルークの、しょぼくれた顔を見て、アニスは、笑えなかった。 「ナタリア、泣いてたよ」 「……ああ」  短い返答に含まれた声音が、彼はもう決めたんだと悟らせた。行ってしまうつもりだ。帰らないつもりだ。どうしてだろう。どうして、こんなことに。  困った顔で立ち止まったルークに、アニスは首だけ動かして目を合わせた。 「ねえ、あたし、ルークに聞きたいことがあるんだけど、いい?」 「なんだ?」  沈黙が途切れて安堵した顔に、残酷な問いを投げかけた。 「どうして、そんなに簡単に死ぬって決められるの?」  一拍。あまりに短い沈黙。 「簡単なんかじゃ」 「簡単だよ! ねえ、ナタリア、ルークに死なないでほしいって言ったんだよね? ガイもきっとそう言ったよね? ルークはそれ聞いてどう思った? なんて答えた? 何か答えた? 死ぬのやめようかな、やっぱり生きようかなって一瞬でも考えた?」 「アニス……」 「何も、何にも答えなかったんじゃない? 何も言わなかったんじゃない? それ、人の話聞いてるって言えるの? 自分の中でもう決めちゃって、みんなが何を言っても耳も貸さなくて、そんなの、そんなの」 「アニス」 「どうしてみんなそんなに簡単に死ぬなんて言えるの? みんな駄目だよって言ってるのに! ルークも! イオン様も! どうして」  引きつった呼吸が、胸の中でもつれて、それ以上は言葉にならなかった。  泣かないと決めたのに、目の奥から勝手に熱がこぼれて、それがどうしようもなく悔しかった。 「こんなのは嫌だ。もう……嫌だよ」  しゃがみ込んで、顔を隠す。こんな顔は見られたくなかった。泣いてるなんて気づかれたくなかった。泣かないつもりだったのに。泣いたら、もう、止められないのに。  ルークが何か言う。やさしい手が降ってくる。 「アニス。……アニス、ごめん。ごめんな」  謝る言葉が聞きたいんじゃない。そんな言葉が聞きたいんじゃない。苛立ちに任せて憎まれ口を叩こうとして、しかしそれは叶わなかった。  泣きじゃくる自分の背を撫でる辿々しい手のひらが、どうしようもなく嬉しくて、腹立たしかった。