宣戦布告

「さて」  アラスカの雪原を思わせる白髪がふり返り、吹雪を思わせる笑顔が姿を現した。 「弁明はあるか? ウォルター」  言い残すことはあるか? と、ほぼ同義だった。   *  *  *  すべてが終わって、それなりに感動的な一幕があって、さあ帰ろうかというときに勃発したのがこの問題だった。 『ウォルター。こんなバカ女、あなたには不釣り合いよ』  エマ。  あの台詞は、少なくともウォルターとエマが親密な仲にあると思わせるには十分だったろう。あのときは話し合う余裕がなかったが、事後処理が一段落して一息つけるようになったとなれば、話は別だ。  煮えたぎるほど凍りついた空気を察するまでもなく、リンは怒り狂っている。視線が、微笑が、それを伝えている。  典型的な修羅場だなと、ウォルターは呑気に考えた。  どうして抱いたんだろうと、思わなくもない。リンのことは、大切だった。でもそれは男女のそれではなかったはずだ。  それなりに女と遊ぶことはあった。でもリンとそうしようとは思わなかった。今更考えるまでもなく、リンは一夜の相手には不適切だ。一途で、強情で、乱暴で、遊び相手には相応しくない。  好かれているのはわかっていたが、好かれているからこそ尚更、リンとそういう仲になろうとは思わなかった。  ウォルターの最優先事項は、グレンとケリをつけることだった。  ウォルターはランディの死から逃れられなかった。結局はそういうことだ。ランディの最期を忘れることも、仕方がなかったんだとあきらめることも、戦争だからと納得することも、ウォルターにはできなかった。  もう二度と仲間を死なせるものかと死に急いだ。リンを守れてから、その悪癖はなりを潜めたはずだった。リンを守れたことで、あのとき救えなかったランディも、自分のことも、救えたような気がした。  それは間違いではないが、それだけでもなかったのだろう。あのときリンを撃ったのはグレンだ。久方ぶりの再会。まだ死ぬわけにはいかないと、どこかでそう考えたのかもしれない。  どうして俺は、リンを抱いたんだろう。後悔などは微塵もない。ただ不思議だった。  帰る場所を作ろうとは思わなかった。そう考えていた辺り、やはり、死に急いでいたらしい。  なのに、すべてが終わって真っ先に考えたのは、ストライク・ワイバーンズに『帰る』ことだった。 『いい、ウォルター。青筋を立てながら微笑むリンを思い浮かべるのよ。  そうすれば、どんな誘惑にも耐えられるわ』  視線を戻すと、かつて同僚が言った通りの光景がそこにあった。青筋を立てて微笑むリン。  恐ろしいというよりも可愛らしいと思う俺はどこかおかしいのだろうかと呑気に思いながら、さてどう言ったものかとウォルターは考えた。  エマとのことは、ウォルターの中で最早問題ではない。俺はストライク・ワイバーンズに帰る。それは決定事項であり、何が起ころうとも変える気はない。ヘクターの勧誘も正式に断った。 『お前、本気で俺の部隊を継ぐ気はないか』 『これが終わったら考えさせてもらう』  そう言ったのは嘘ではなかった。すべてが終わったら考えるつもりでいた。  そしてすべてが終わって、あっさりとウォルターは思ったのだ。ストライク・ワイバーンズへ、リンの元へ帰ると。  ウォルターの中で、リンはずっと妹だった。離れていても家族は家族だ。大切だから、そばにいなくていい。そんな対象だと思っていた。  でもそれは、俺の『帰る場所』はリンだと、そう感じていたということなのかもしれない。  死に急いでるつもりはなかった。でもあのとき、死んでもいいと思った。  すべてが終わって、預かっていたライターも、コクピットの写真も、グレンも、すべてが光に消えていく。ここで俺は死ぬんだと受け入れた。死に急ぐのはもう卒業したはずだったのに。 『目を開けろ。死ぬことなど許さんぞ』  リンを守れてから、死に急ぐのは卒業したはずだった。 『急げ。ウォルター』  死に急いでいたウォルターを引き留めてくれたのは、いつも、リンだった。 「リン」  名前を呼ぶ。リンがこめかみを引きつらせる。  覚悟を決めて胸を張り、堂々とウォルターは言い放った。 「惚れ直した。結婚してくれ」  殺してやる、とリンは思った。