いと怨めしき この世界

 繁栄に富んだ機械都市ザナルカンド。そこで彼女は育った。ユウナレスカ。歴史上初めてシンを倒した召喚士。究極召喚の創始者。この悲しみの螺旋を造り出した、忌まわしい聖女。  優雅に指先を操り、シーモアは完成したスフィアの映像を中断した。まばゆい摩天楼の景色は過ぎ去り、寝室が姿を取り戻す。  ゆったりと寝台に身を横たえ、映像を見るのではなく、目蓋を閉じることで、シーモアは過ぎ去った世界に想いを馳せた。  まばゆいあの世界。機械に守られ、思うまま人が地上にはびこった時代。まだシンがいなかった時代、それでも人々は争った。殺し合い、焼き尽くし、憎悪を喚んで、そしてシンは生み落とされた。  あらゆる機械は蹂躙され、人は瞬く間に姿を減らし、今は狭い土地に身を寄せ合って、シンに怯えながら暮らしている。そんな時代でも、人は争っている。否、虐げ合っているのだ。  薄い唇が微笑をかたどった。優美な曲線を描く切れ長の眼差しは天井の虚空を見つめている。作り慣れた本心を覆い隠す笑みではなく、冷え切った憎悪があふれた微笑だった。  シンという抗いようのない厄災に怯えながら暮らす人々は心の支えを必要とする。召喚士、スピラの教え、ブリッツ。  だがもっと容易いものがある。それは簡単に絶望に生きる人を支え、守り、腐らせる。  差別。簡単なことだ。あれは自分たちより弱く愚かで邪悪だ、自分たちはあれよりはマシだ、自分たちはあれを虐げていいのだという想いは、簡単に人を強くする。まるで呪いのように。簡単なのだ。  虐げられていた小さな己の腕は、今では強く、逞しくなっていた。   *  *  *  手繰り寄せた毛布を貫き、凍気が肌を浸食する。湿った空気は暗闇の重さを増して、かじかんだ手は小さな吐息では癒せなかった。  合わない歯の音に泣きそうになると、自分のものではない手に頭を撫でられた。そっと抱きしめられる。手のひらは自分以上に冷たく、抱き寄せられた胸元の温もりも儚いほど僅かだった。  それでも、胸のどこかが暖かく、それに縋りつく。重く冷たく、体を突き刺すような暗闇の中、二人で身を寄せ合った。  闇に浮かぶのは自分を見捨てた父親、嘲りながら笑っていた人々、親しかったはずの、けれど目を逸らし顔を背けた知人たち。投げつけられた言葉。頬に当たった礫。  震える体を、二人で暖め合った。世界には母と自分、二人しかいなかった。二人だけでいいと、いつからかそう思うようになっていた。  けれど。 『わたしを召喚して、世界を救いなさい』  母は。 『世界なんてどうだっていいよ。母さまがいたらそれでいい』  悲しそうに。 『わたしにはもう、時間がないのよ……』   *  *  *  究極召喚。想いの力、二人を結ぶ絆がその力となる。  母が生み落とした召喚獣は、しかし、究極召喚獣ではなかった。なぜだろう。絆が足りなかったのか、自分が旅をしなかったからか、自分が、世界を救おうとは思っていなかったからか。  思っていた。この力さえあれば。見返すことも。復讐。今は違う。ユウナレスカの教えた真実。死は安らぎ。この苦痛に満ちた世界で、死の安息だけが、人にもたらされる唯一の救い。母のいなくなった世界で、ただ死だけが、私にもたらされる、唯一の。  目蓋の暗闇に浮かんだ女性の姿を、シーモアはそっと撫でた。母ではない。もっと髪が短く、年も幼い、明るい印象の女性。母がどこか陰を落とした美しさだったのに比べ、彼女はこの悲しみに満ちた世界の中でも、陰を落とさず、透き通った美しさを失わないでいる。  大召喚士の娘。世界のために、父を犠牲にされた少女。  あの少女なら、この想いをわかってくれるだろうか。  薄暗い闇の中で、シーモアはそっと微笑み、目蓋に浮かぶ少女の姿をなぞり続けた。