終わりの音

 終わってしまったのだという思いと、これから始まるのだという思いが、悪寒となってセエレを震わせた。  終わりが始まる。予感ですらない。それは絶望だった。  震える膝の望むままに、地面に崩れ落ちたかった。だがそれは叶わない。抗わなければならない。最後まで。ああ、けれど。  鍵は壊れてしまった。最後の鍵が。解放の、破壊の音が響き渡るのを聞いてしまった。終わりは始まったのだ。 「ああ……遂に」 「ええ」  絶望の声音に、応えたのは歓喜に打ち震えた声だった。 「これで赤き竜は、自分の逢いたい人に逢いに行ける。  人間の身勝手な思惑に縛られることなく、愛する人の側にいることが出来るんです」  セエレは眼前の妹を見遣った。勝者の笑みを浮かべ、マナは微笑んでいる。  美しく成長した双子の妹の前で、十八年前と同じ姿をさらしている、惨めな自分。大罪を犯したあの頃のまま、自分の時は止まってしまった。  恐らくは妹も。十八年前に囚われている。 「違うんだ……マナ」  セエレの掠れた声音を、マナはわずかに訝しんだようだった。  妹に、言えていたら。自分を信じてもらえていたら。世迷い言だ。信じてもらえたはずがない。気づくのが遅すぎた。  遅すぎたのだ、すべてが。ヴェルドレの陰謀も、カイムの襲撃も、レオナールの真意も、アリオーシュの行方も、自分は気づくのが遅すぎた。もう遅いのだ。何もかも。 「違うんだ、マナ」  もう一度繰り返す。先ほどよりは、しっかりとした声が出せた。錯覚かも知れない。目の前が滲んでいた。 「最終封印は」  マナは赤き竜を救おうとしたのだ。そのために鍵を壊した。十八年前、契約者カイムのために自ら封印の女神となった赤き竜を、仮初ではなく永劫の封印にするためにヴェルドレが施した、五つの鍵を。  気炎の鍵は竜の炎を封じていた。活力と魔力を封じられた赤き竜は、温もりを感じることもなくなった。  神水の鍵は竜の血を封じていた。体を巡る血が凍てついた赤き竜は、涙を流すこともできなくなった。  宝光の鍵は竜の光を封じていた。五感を封じられ盲いた竜は、記憶すらも闇に沈んでいった。  明命の鍵は竜の命を封じていた。心臓を封じられた竜は、契約者に《声》を伝えることもできなくなった。 「封印の女神は」  けれど五番目の、セエレが守っていた天時の鍵は、壊してはいけなかった。あれだけは、赤き竜を守るために、セエレが造った鍵だったから。  信じてもらえたはずがない。マナを見捨て、マナから逃げ続けた自分が、信じてもらえたはずがない。だからこれは当然の結末。けれど。  自分は今、八つ当たりしようとしている。何も知らず最後の鍵を壊した妹に、罪をなすりつけようとしている。自覚して、セエレは泣きたくなった。  十八年前と何ら変わらない偽善者のまま。結局自分は、何一つ守れなかった。 「赤き、竜は」  己の無力に泣き腫らした子どもの風情で、セエレは告げた。 「カイムのことを、忘れてしまったんだ」  遠い寂れた城で、竜が吠えた。