Rapunzel
「君は、どうして自分の力が『拒絶』なのか、考えたことがあるかい?」
耳に響く声に、彼女はじっと耳を澄ませていた。それについて考える力はない。何も考えられない。
ぼんやりと虚空に漂いながら、耳だけが声を拾っている。
「君の力が『拒絶』と知れば、君を知る多くの人は意外に思うだろう。
君はすべてを受け入れる人だ。辛いことも汚いことも間違ったことも、すべてを受け入れ、その上で生きていく強さを君は持っている。
なのにどうして、君の魂の根底から引きずり出された力が『拒絶』なのか。
さて、どうしてだろうね?」
彼女は声を聞いている。頭の中で声をなぞる。どうして自分の力は拒絶なのか。
考える力はない。彼女はぼんやりと声だけをなぞる。
「さて、此処に興味深い事実がある。
君は三歳の頃まで両親に虐待を受けていた。父は悪魔、母は淫売。幼い頃のことだから君はあまり憶えていないようだが……
井上織姫くん。君はとても頭がいいね」
唐突な話題の転換にも、呆けた頭は疑問を持たずついていく。
「学校での成績は学年第三位。普段の散漫な注意力は極度の集中力により自分の世界に閉じ籠もることが多いからだ。
さて、そんな君は、本当に幼い頃の記憶を忘れているのかな?」
忘れている。もう思い出せないもの。
笑いながら頭を殴りつけてきた父のことも。口汚く罵りながら泣いていた母のことも。
もう顔も思い出せない。ただ、されたことだけ覚えている。
「父は悪魔。母は淫売。
さて、君はそんな両親を見て、どんな風に思った?」
よく殴ってきた父親。蹴られたこともあった。火を押し付けられたことも。他にも色々。殴りながら楽しそうに歪んだ口もとを、よく覚えている。
母はよく家に男を連れこんだ。父以外の、若い男。甘ったるい声を出して腰をすり寄せていた。笑いながらふと、他の女の匂いがすると言った。
男の胸倉を掴み上げて吠え喚き、打ち捨てられて縋りつく。ぞんざいに蹴飛ばされて蹲り、顔を上げればもう男はいない。髪を振り乱し周囲に当り散らした。兄が帰ってくるまで。続いた暴力。
「君は……」
恥ずかしげもなく男に媚びる女。
身勝手な嫉妬を躊躇いなくぶつける女。
──あたしは、
こんな女にはならない。
覚醒し始めた目の前に、映ったのは男の笑みだった。
満足げに酷薄に、なおも言葉を連ね闇へと誘う。
「君の寛容さの根源は拒絶だ。幼い頃母の姿を見て、君は自分の生々しく醜い感情を拒絶した。
例えば、嫉妬」
『なぁんだ。朽木さんも黒崎くんのことが好きだったら、男一対女二で勝ちなのに』
朽木さんが黒崎くんに恋愛感情がないと知ったとき、そう思っていた。そう言っていた。
残念だ。本当に、そう思った。自分は喜んでなんかいない。そう、信じていた。
「君は“醜い自分”を拒絶して生きてきた。
だが魂の根底に封じ込めたはずの“拒絶”は甦り始めた。黒崎一護の力の影響を受け、仮初めの人格を得ることで」
『ぼくらは「盾舜六花」。キミを「守る」ために生まれたんだ。キミの能力さ』
椿と百合は首切りの花。梅は死臭を隠し、菊は死者に捧げられる。あやめは殺め。殺しの花。そして桜の下には死人が眠る。
……あたしを守る『盾』。それは拒絶。自分を拒み生きてきた。それが形になり、目覚め始める。
「だが、“拒絶”された“本心”はまだ眠っている」
男が指を伸ばした。はっとして身を躱そうとしたときにはもう遅かった。
触れられた額の奥から闇が広がる。声が聞こえる。
ずっと封じ込めてきた声。聞こえないふりをしてきた声。本当はずっと聞こえていた声が、あたしの腕を取り、闇へと引きずり込み、そして、あたしの体を奪っていった。
『初めまして、さようなら』
声が聞こえた。笑っている。父に良く似た微笑。
ああ、これが自分なのだと気づいて、目を閉じた。
* * *
貴女の名前は? 私が私に尋ねた。
荊姫。彼女がそう答えて、私にはできない笑い方で、淫らに、綺麗に笑った。