人殺し

殺し屋

 昔々、あるところにある殺し屋がいました。  殺し屋はたくさん人を殺してきました。  男の人、女の人、男の子に女の子、おじいさんおばあさんをたくさんたくさん殺しました。  殺し屋はたくさん人を殺してきたので、大勢の人から怨まれておりましたが、殺し屋はとってもおくびょうでたいへん用心深かったので、無事天寿を全うできました。  できましたが、世の中そんなに甘くありません。  生きてる間に罪を償わなかったものは、死んだ後、罪をあがなわなければならないのです。  そんなわけで、殺し屋が死んでから最初に目にしたのはすごく偉そうな天使さまで、死んでから最初に耳にしたのは、その天使さまのおごそかな声でした。  天使さまは、こう言っていました。 “おまえは今までたくさん人を殺してきた。だからその償いをしなくてはならない。  おまえはこれから地上におりて『生きる価値のない人間』をひとり殺さなくてはならない。  もし『生きる価値のある人間』を殺してしまった場合、おまえは地獄に落ち、おまえがこれまで殺してきた人々の苦しみをそっくりそのまま受けることになる。  それと、地上ではおまえは『人を観察すること』と『人をひとり殺すこと』以外は何もすることができない。  わかったな? じゃあ行け。”  そう言われ、殺し屋はいきなり天国(だったらしい)ところから地上に落とされました。  いきなりそう言われても……殺し屋は困ってしまいました。  でも、とにかくやらなくては何も始まりません。  殺し屋は歩き始め、やがて、ひとりの男を見つけました。  その男は悪人のようでしたので、殺し屋はその男を観察することにしました。
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強盗

 その男は強盗でした。  しかも、血も涙もないやつです。  男は(以後、強盗と呼ばせてもらいます)かつての殺し屋と同じように、男の人を女の人を男の子を女の子をおじいさんおばあさんをたくさんたくさん殺し、お金を奪っていました。  その様子を見て、殺し屋はこいつは『生きる価値のない人間』かな? と思いましたが、偉そうな天使さまが『生きる価値のある人間』を殺したら地獄行き、と言っていたのを思い出して、もうしばらく強盗を観察することにしました。  そうして殺し屋が強盗を見かけてから三ヶ月が経ったある日(なにしろおくびょうでしたから!)、強盗はある女の人に出会いました。  その女の人は、お医者さんでした(ですから、今からこの女の人を女医さんと呼びます)。  女医さんは、強盗とは正反対の人でした。  女医さんは男の人を女の人を男の子を女の子をおじいさんおばあさんをわけへだてなく助けていました。  貧乏な人も裕福な人も、悪い人も善【よ】い人も、わけへだてなく救っていました。  ですから、もちろん女医さんは、血塗れで倒れていた強盗を助けたのです。  強盗は目覚めてびっくりしました。  盗賊たちに捕まえられて命からがら逃げ出して、でもたくさん怪我をしたからもうだめだ、と思っていたのに、まだ生きていて、しかもきれいな女の人(女医さんのことです!)が看病してくれているのです。  強盗はびっくりして、おれが強盗だと知って助けているのか、と聞きました。 「うーわーまぬけだなーこいつー」とか思わないであげてください。大怪我をして頭がもうろうとしていたんです。  女医さんは、知っています、と答えました。  強盗はじゃあどうして助けたんだ、と聞かずにはいられませんでした。  女医さんは助けられるのに助けないと目覚めが悪いからです、と答えました。  でも、と女医さんは続けました。これからも人を殺すというのなら、わたしが責任をもってあなたを殺します。  強盗はなぜか、もう殺さない、と答えました。  このときなぜそう答えたか、あとから考えても強盗にはわかりませんでした。  ただ、口が滑った、そんな感じだったのです。  強盗の口はどんどん滑ります。  もう二度と強盗はやらないし人も殺さない。もちろん盗んだり人を殴ったり騙したりもやらない。だっておれは、  強盗は、ここで働くから、と続けました。  女医さんは、いいんですか、と聞きました。  それでいい、と、強盗の口が最後のとどめと言わんばかりにきっぱりと滑りました。  それから強盗は、一生懸命女医さんのもとで働きました。  お給料は少なかったけど、強盗はなぜか気になりませんでした。  どうしてかって聞かないで下さい。  強盗にもどうしてだかわからなかったんです。  どうして、もう誰も殺さないと答えたのか。  どうして、女医さんのところで働くなんて言ってしまったのか。  どうして、怪我が治ったとき女医さんのうちからとんずらしなかったのか。  どうして、怪我が治ってからも女医さんのところで一生懸命働いたのか。  どうして、今まで自分が殺した人よりもっと大勢の人を救おうと思ったのか。  強盗にはわかりません。  ただ、何年か経ってから、こつこつ働いて貯めたお金でお花と指輪を買って、女医さんに『一世一代の決死の大告白』をした理由だけは、『もと』強盗にはわかっているのでした。
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殺し屋の悩み1

 ずいぶん話が逸れてしまいました。  これは殺し屋の話です。強盗の話じゃありません。  ですから、『もと』強盗の話をするのはこれで最後です。  『もと』強盗はその生涯でたくさんの人を殺し、それよりも大勢の人を救いました。  殺された人のなかには、悪人も善人もいました。子どもも赤ちゃんもいました。  救われた人のなかには、聖人も罪人もいました。悪人も善人もいました。  さて、『もと』強盗に『生きる価値』はあったのでしょうか?  殺し屋にはわかりません。  わからなかったので、殺し屋は『もと』強盗が死ぬまでずっと『もと』強盗を観察し続けました。  何十年か経って『もと』強盗が女医さんといっしょのお墓に葬られてから、やっと殺し屋は観察をやめました。 「やれやれ。あの男はどっちだったんだろう? たしかに人をたくさん殺したけど、あとでそれよりも大勢救ったし、たしかに人を殺したけど中には悪人もいたし、たしかに人を救ったけど中には悪人もいた。やれやれ、わからないや」  殺し屋は『もと』強盗が『生きる価値』のある人間だったのかない人間だったのか、気になってしょうがありません。もともと細かいことが気になるたちだったのです。  しばらく考えたあと、殺し屋は決めました。 「よし、あの男の子どもたちを見に行こう」  これは名案だと殺し屋は思いました。 『もと』強盗には三人の子どもがいました。  三人とも大人になって家を出ていましたが、その子どもたちがどんな人になったのかを観察して『もと』強盗に『生きる価値』があったのかどうか判断することにしたのです。 『もと』強盗はもう死んでいるので判断しても天国には戻れませんが、殺し屋はそれでも気になってしょうがなかったのです。  どうせ時間はいくらでもあるんだから、気にしないで気になることは全部調べようと思ったんです。
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一番目の子ども

 一番最初に生まれた子どもはお医者さんになっていました。  お医者さんはたくさんの人を救いました。  朝から晩まで働いてたくさん人を助けて、でも奥さんと子どもは放ったらかしです。  ですから、奥さんと子どもが病気にかかっていたのに気がつきませんでした。  奥さんと子どもが死んで、お医者さんはやっとそのことに気がつきました。  もちろん、もう手遅れでした。  お医者さんは大泣きして、奥さんと子どものお墓の前で毎日謝って、いつも自分を責めて、でももうどうにもなりません。  そのうちお医者さんは自分の家族が死んでしまったのに他人の家族が生き延びるのが許せなくなって、毎晩出かけては人を殺すようになりました。  殺し屋は「こいつは『生きる価値のない人間』になったんだろうか?」と思いましたが、お医者さんは昼間は大勢の人を助けているので、一概にそうも言い切れないと思い、手が出せませんでした。  そうこうしているうちにお医者さんは警察に捕まり、殺されてしまいました。  至近距離から銃で顔を撃たれたので、死に顔はわかりませんでした。
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二番目の子ども

 二番目に生まれた子どもは眠り姫になっていました。  意識不明の重体で、何もできませんし何かしようとすら思えません。  あえて言うなら、息はできます。  眠り姫は病院のベッドでずっと眠り続けていました。  さて、隣のベッドには王子様がいました。  王子様はまだ子どもでしたが、生まれてからずっと人から陰口や悪口ばかりを言われ続けて、人と話せなくなっていました。  王子様は、何にも聞こえない何にも喋れない眠り姫に、一日中話しかけました。  今まで辛かったこと、苦労したこと、今まで人に言えなかったこと、何でもです。  ある日、病院にこそ泥がやってきました。  こそ泥は順調に物を盗んでいましたが、王子様に見つかってしまいました。  こそ泥はびっくりして王子様に襲いかかりました。  王子様は助けを呼びました。  医師は家に帰っていました。  看護士はぐっすりと寝ていました。  眠り姫は、正確に言えば耳は聞こえていますが、そもそも意識がないのでどうしようもありません。  王子様は殺されてしまいました。  眠り姫は目を覚まさないままこの世を去りました。  何もしなかった人間に価値はあるのか、と殺し屋は悩みましたが、結局殺せなかったので考えてもあまり意味はありませんでした。
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三番目の子ども

 最後に生まれた子供は悪党になりました。  麻薬をばらまいたり、人を陥れたり、破滅させたり。  なのにどうしてか、みんな悪党のことが大好きでした。  悪党はたくさんの人を不幸にしましたが、たま~に優しくなるときがあり、そんなときはたくさんの人を幸せにしました。  病院で不治の病の子どもたちに手品をしてみせたり、道端の物乞いにお金をばらまいたり、詐欺に遭った女の人を助けたり、子どもを誘拐された男の人を助けたり。  悪党は結婚はしませんでしたが、何人も子どもを作りました。  悪党の葬式には、悲しみ嘆く人と、喜びのあまり泣き叫ぶ人と、呪いの言葉を撒き散らす人と、感謝の祈りをささげる人が大勢訪れたということです。  もちろん、殺し屋には悪党を殺せませんでした。
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殺し屋の悩み2

 殺し屋はすっかり頭を抱えてしまいました。三人のうち一人は救う人から殺す人になり、一人は誰も傷つけなかった代わりに誰も救わず、一人は人を傷つけましたが救いもしました。  これでは、あの男(『もと』強盗のことです)が『生きる価値のある』人間だったのかどうか、さっぱりわかりません。  もうこうなったらやけくそです。殺し屋はあの男の血をひくすべての人間を観察して、『生きる価値のない人間』が現れるのを待とうと思いました。  時間はいくらでもあります。  もし男の血をひく者がいなくなったら、心置きなくあの男に価値があったかなかったか判断できるというものです。  それから殺し屋は、あの男の子孫を見続けました。
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泥棒

 ある人は泥棒になりました。  母親が病気で、泥棒は薬代を稼ぐために盗みをしなくてはならなかったのです。  ある日、泥棒は忍び込んだ家からきれいな宝石を盗みました。  泥棒は大喜びで宝石を売り払い、大金を手にしました。  おかげで泥棒は大金持ちになりました。  有名な医者に見てもらって母親の病気も治り、きれいなお嫁さんをもらって幸せな日々を送り、たくさんの子どもと孫に囲まれて、笑顔でこの世を去りました。  泥棒は、自分が宝石を盗んだせいであの家の人が自殺したことに、とうとう気づかないままでした。
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お母さん

 ある人はお母さんになりました。  お母さんには子どもが一人いました。  お母さんは子どもを心から愛していましたし、子どももお母さんのことが大好きでした。  ある日のことです。  子どもが誘拐されました。  子どもを誘拐した人は、お母さんにおまえの妹の子どもたちを殺さないとおまえの子どもの命はない、という内容の手紙をお母さんに送りました。  お母さんは子どものために、妹の家へ行きました。  妹が帰ってきたのは、すべてが終わった後でした。  甥たちと姪の血に塗れたお母さんは、妹に殴り殺されました。  お母さんの子どもは帰ってきませんでした。  誘拐犯は、お母さんの兄でした。  自分たちの親が遺した財産が目当てでした。  兄は大金持ちになって幸せに暮らし、天寿を全うしました。  兄が死後どうなったかは、別の話です。
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夢見人

 ある人は夢見人でした。  夢見人はお金持ちの家に生まれ、手に入らないものなど何一つありませんでした。  でも、夢見人には欲しいものなど何もなかったのです。  ある晩、夢見人は屋根に座って星を眺めていました。  召使いが夢見人を呼びに来ました。  夢見人は夜空に一際輝く星を指さして、召使いに、あれが欲しい、と言いました。  召使いは夢見人に、あれは無理ですよ、と言いました。  夢見人は、どうしても?と尋ねました。  召使いは、この世のすべてを手に入れたら別かもしれませんけどね、と軽く流しました。  それから夢見人はがんばりました。  たくさんたくさん勉強をして、もともとお金持ちだった家をもっともっと大金持ちにしたのです。  世界中の財宝が家に集まり、夢見人の家はこの世のすべてがある所だと言われました。  そう言われたとき、夢見人はさみしそうに、ぽつりと、でも、ぼくはあの星が欲しかっただけなのに、とつぶやきました。  そのつぶやきは小さすぎて、誰の耳にも届きませんでした。  多くの名声を得た夢見人は、たくさんの人に囲まれて、誰からも理解されずに、この世を去りました。
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王様

 ある人は王様でした。  王様は民が苦しんでいるのを憂い、民を救おうと努力しました。  しかし、民は自分で自分を救おうとしません。  王様が民を救おうとして努力しているのに、自分たちは努力しないのです。  これではいくら王様がみんなを助けようとしていても、うまくいきっこありません。  おまけにいざ自分たちが痛い目に遭うと、どうして王は自分たちを救ってくれないんだと嘆くのです。  そんなことが何年も続き、王様はすっかり民のことが嫌いになってしまいました。  王様は、そうか、実はおまえたちは酷い目に遭いたいんだな、だから何もしようとしないんだ、と思うようになりました。  王様は、よし、それなら酷い目に遭わせてやろうじゃないか、と思うようになりました。  王様は民から税を搾【しぼ】り取り、ちょっとした罪にも重い罰を与え、民を苦しめました。  十数年が経ったある日、民はやっと努力をして、王様に反乱を起こしました。  王様は城ごと焼き殺されました。  ですから、民は王様が自分たちから搾り取った税を少しも自分のために使ってなかったことに、ちっとも気がつかなかったのです。
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詐欺師

 ある人は詐欺師になりました。  詐欺師はさる高名な人の子供でしたが、その人は没落してしまったので、家で習った話術を活かし、政治家でも宗教家でも商人でもなく詐欺師になったのです。  詐欺師はいろんな人を騙して金を奪いました。  女の人には結婚するよと言って、おばあさんには生き別れの息子のふりをして、男の人とは大親友になって、それはそれは見事に騙し果【おお】せたのです(役者になればよかったのに!)。  ある日、詐欺師は女の子に出会いました。  詐欺師は女の子を騙そうと思って声をかけましたが、いざ話を聞いてみると、女の子は貴族の娘だったのですが家が潰れ、外国へ逃げる最中だというのです。  詐欺師はほんの気まぐれを起こし、女の子を助けてあげました。  それからも詐欺師は詐欺を働き、たくさんの人を騙し貶【おとし】めました。  女の子は外国で、たくさんの人を救ったそうです。  詐欺師があの世でどんな目に遭ったかは、皆さんのご想像にお任せします。
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靴屋

 ある人は靴屋になりました。  靴屋は俗に言う普通の人でした。  特に目立つ容姿でもなく、なにか特技があるわけでもありません。  毎日一日中働いて、ご飯を食べて、寝て、そんな毎日です。  靴屋は俗に言う面白味のない人でした。  ぼそぼそとした喋り方に陰気な表情、話をするのはお客さんと近所の人ぐらい、会話の中身は一辺倒で単純で、聞き始めてから十秒で左から右の耳を通り抜け始めるような中身です。  ただ、靴屋は俗に言ういい人だったのです。  靴屋は、暴漢に襲われそうになった女性を助けて、命を落としました。  靴屋の葬儀には、助けられた女性とその家族と、それまで靴屋のことをつまらないやつだと馬鹿にしていた人たちが大勢やって来て、靴屋のために涙を流しました。  靴屋がそれを見ることができたかどうかは、わかりません。
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僧侶

 ある人は僧侶でした。  僧侶の生きた時代は戦争の時代でした。  多くの人が飢え、傷つき、苦しみ、死んだ時代です。  僧侶は人々に道徳を説き、早く戦が終わりますようにと祈りをささげました。  祈っただけでした。  理想論は飢えをしのいではくれません。  祈りは神に届いても、人には届きません。  人は糧のみで生きるのではありませんが、糧がなくては生きられないのです。  祈るのはよいでしょう。  でも、祈って、何かをしなくては何も変わりません。  それでも、僧侶は祈りました。  祈ることしか、僧侶にはできなかったのです。  戦いを止めさせるために闘うのは恐かった。  人々の苦しみを直視するのも怖かった。  だから、目を閉じて、祈りで耳を塞いで、僧侶は祈ったのです。  炎が、僧侶の体を包むまで。
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花売り

 ある人は花売りになりました。  花売りは道端の花や裏路地の花を摘んでは売り、細々と暮らしていました。  そんな花しか売れなかったのです。  戦争で、花畑はすべて焼けていたのですから。  戦争はまだ続いていました。  ある日、花売りは戦争を止めさせるために戦おうと誓いました。  花売りはがんばりました。  町の人に訴えかけました。  王に手紙も書きました。  軍人と話もしました。  花売りは、酔っぱらった兵士にぐちゃぐちゃに踏みつぶされて死にました。  花売りは、みんなを助けたかったけど、誰も救えませんでした。
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飛行士

 ある人は飛行士になりました。  飛行士は青い空が大好きでした。  小さい頃から晴れた空を見上げて、空を飛ぶ鳥を見ながら、自分も空を飛んでみたいと思っていました。  その夢が叶う飛行機に乗るために、飛行士になったのです。  しかし、飛行機に乗るには、戦争に参加して、人を殺さなくてはなりません。  それでも、たくさんの人を殺さないといけないとしても、飛行士は空を飛ぶことを選びました。  雲の上にある青い空が、何よりも好きだったから。  だから、飛行士は悲しかったのです。  敵の飛行機を撃墜するたび、空が赤く染まるから。  悲しみながら、飛行士は敵を撃墜していきました。  ある日、飛行士は敵の撃墜王と戦って、命を落としました。  最期のときに青い空を見上げて、「ああ、やっぱりきれいだな」と思いながら、飛行士は真っ青な海に墜ちていきました。
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殺し屋の悩み3

 それからも、殺し屋はたくさんの人を見続けました。  いい人がいました。わるい人がいました。愉快な人がいました。つまらない人がいました。格好いい人がいました。格好悪い人がいました。賢い人がいました。間抜けな人がいました。尊い人がいました。その人を育てた人がいました。幸せになれた人がいました。不幸せなまま終わった人がいました。身勝手な人がいました。人を思いやる人がいました。誰かを信じた人がいました。誰も信じられなかった人がいました。裏切られた人がいました。裏切った人がいました。誰かを守るために誰かを見捨てた人がいました。みんなを助けようとして誰も救えなかった人がいました。結婚した人がいました。結婚しなかった人がいました。子どもを産んだ人がいました。産まなかった人も、産めなかった人もいました。  みんな、何かを残しました。  それは、その人の子どもだったり、気まぐれに助けた生き物だったり、忘れ物や落し物や、何気なく語った言葉や思い出や、埋められて土に返ったその人の屍だったりしました。  殺し屋にはもう、『生きる価値のない人』が誰なのか、わかりませんでした。  悪人が改心するところを見ました。善人が悪人になるところも見ました。偉人がその業績のために大勢の人を殺したところも、凡人が自分の命を犠牲にして多くの人を救ったところも見ました。やさしい人が人を傷つけたところも見ました。冷たい人がやさしく微笑んだところも見ました。  誰もが、生きる価値があるようにも、ないようにも見えました。  殺し屋は、誰も殺しませんでした。殺せませんでした。  気がつけば、殺し屋が死んでから千年以上の時が経っていました。
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博士

 ある人は博士になりました。  博士は貧しい国の生まれでした。  その国はお金がなく、土地も痩せていて、国民はいつも泣いて苦しんでいました。  いいえ、流れる涙すら枯れ果てていたのです。  でも、そんな国は世界中に幾らでもあります。  博士は、なんとかそんな国を無くせないかと、一生懸命勉強し、博士になったのです。  博士は、エネルギーに着目しました。  もしエネルギーを無尽蔵に生み出せたら、たくさんのことができます。  もし世界中に無限にエネルギーが供給されれば、貧しさに苦しむ国、いえ、人なんてみんないなくなるでしょう。  博士は何日も何年も研究を重ねて、ついにエネルギーを無限に発生させる装置を作り出しました。  装置は瞬く間に世界中に広がり、エネルギー問題はすべて解決され、それに伴って多くの問題も解決されました。  誰も泣かなくていい世界が、ついにやって来たのです。
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関係ない男

 さて、ここである男の話をしましょう。  男はあの男の子孫ではありません。  今まで話してきた誰とも、全く関係のない男です。  いえ、少々関係あるでしょうか?  男は、エネルギー発生装置を管理する仕事に就いていました。  男は善良な人でした。  男はこの仕事は世界中の人たちのためになるのだと、自分の仕事に誇りを持っていました。  男に悪気はありませんでした。  ただ、疲れていたんです。  善良な人だったから、仕事を一生懸命やって、だから、疲れていたんです。  男に悪気はありませんでした。  疲れて、スイッチを一つ押し間違えてしまった、それだけなんです。  スイッチを一つ、押し間違えただけでした。  ただそれだけで、エネルギー発生装置は大爆発を起こしました。  その爆発は広範囲に及び、次々と他のエネルギー発生装置に誘爆しました。  あっという間に、世界は焼け野原になりました。  男に、悪気はなかったんです。
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殺し屋の悩み4

 丸焼けになった世界を、殺し屋は必死の思いで歩き続けました。  もし生き残っている人が誰もいなかったら、殺し屋は永久に天国へ行けないのです。  お願いだから誰か生き残っていてくれと、殺し屋は祈りながら歩き続けました。  目の前は一面焼け野原で、空は蒸発した海からできた雲で覆われています。  薄暗い世界を、殺し屋は祈りながら歩き続けました。  『生きる価値』のことなんて、もう、わからないのに。
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最後の男の子

 丸焼けになった薄暗い世界で、殺し屋は男の子を見つけました。  ただ一人生き残った、あの男の子孫です。  熱と炎でボロボロになった男の子は、殺し屋を見て、乾いた目から体に残った最後の水分を絞り出して泣きながら、掠【かす】れた声で尋ねました。 「どうしてこんなことになったの? だれも泣かずにいられる世界が来たって、お父さん言ってたのに」  男の子にどうして殺し屋の姿が見えていたのかは、わかりません。  掠れた声で泣き続ける男の子に、静かに殺し屋は答えました。 「誰も泣かないでいい世界は、確かに来たんだよ。さあ、もうおやすみ。泣いているのは、もう、おまえだけだ」  その言葉が男の子に届いたかどうかは、わかりません。  殺し屋はゆっくりと男の子の頭に手を載せて、男の子を殺しました。  男の子は、もう、泣かなくてよいのです。
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殺し屋

 これで、あの男の子孫の話はおしまいです。  結局、殺し屋はあの男に『生きる価値』があったのかなかったのか、わかりませんでした。  殺し屋は、あの男に『生きる価値』があってもなくても、あの男の子孫の誰かが、あの男や他の子孫のした事が帳消しになるぐらいすばらしいことをしてくれたら、あの男には『生きる価値』があったことになると考えていました。  でも、ほんとうにそうだろうか、と、今、殺し屋は考えています。  子孫が何かすばらしいことをする。それは、あの男の『生きた意味』にはなっても、『生きる価値』にはならないのではないだろうか。 『生きる価値』とは、過去にあったものではなく、今あるものではないだろうか。  そう思ってしまったから、殺し屋にはもう、誰に『生きる価値』があって誰に『生きる価値』がなかったのか、わかりません。  ただ、殺し屋が殺した男の子に、ひとりぼっちで、体中傷だらけで、それでも、みんなのために泣いていた男の子に、『生きる価値』がないようには思えませんでした。  きっと自分は地獄へ落ちるだろう、と、殺し屋は思いました。  どうして自分はこんな目に遭っているのだろう、と殺し屋は思いました。  殺し屋が殺し屋になったのは、人を殺すのが上手だったからです。  もしパンを焼くのが得意だったらパン職人になっていたでしょう。  もし笑うのが上手だったら道化師になっていたでしょう。  そのぐらいでしかありませんでした。  それなのに、人を殺し続けたせいで、殺し屋はこんな目に遭っています。  殺し屋は、何となく、男の子と手を繋ぎました。  ふと、誰かと話したのは何年ぶりだったろうかと思い、薄暗い空を見上げました。  ふと、自分はどうして男の子を殺したのだろうと思い、薄暗い空を見上げました。  殺し屋には、結局、誰に『生きる価値』があって誰に『生きる価値』がなかったのか、わかりませんでした。  でも、殺し屋にはたったひとつだけ、わかっていることがあります。  もしも天国に行けたなら、そこにはきっと、男の子がいるでしょう。  わかっていることが、ひとつだけあります。  男の子はきっと、もう泣いていません。  だから、自分は殺し屋でよかったのだと、殺し屋は思うことにしました。 「もしも殺し屋じゃなかったら、この子の涙の止め方なんて、見当もつかなかっただろうから」
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おしまい

 長い長いときが経った、暗い空。  誰もいなくなった世界に、天使さまが訪れて、一番最後に泣いていた男の子の魂を連れて行きました。  殺し屋も一緒です。  真っ赤に染まった世界には、もう誰もいません。  もう世界には、泣いている人などひとりもいません。  殺し屋が天国へ行けたのか地獄へ落ちたのか、知っている人は、どこにもいません。