プロジェクト・スーパーエゴ

ミッション開始

 封筒の中には一人の女性を撮った写真と、その女性に関する資料が入っていた。だが、その隅々まで目を通しても、変わった点は見出せなかった。平凡な容姿、平凡な能力、平凡な出身、平凡な人生……秘密組織のエリートである自分たちとは、何の接点もない。 「この女性がどうかしたんですか、ボス。見たところ生まれも一般家庭だし超能力も平均レベル。組織がスカウトする人材には見えませんが」 「確かに彼女自身は平凡な女性だ。だが、その子どもは違う」 「子ども? 資料には未婚と書かれていますが」 「うむ。まだ独身だし、子どももいない。恋人もな」  重々しく、かつ愉しげに、上司は告げた。 「その女性が我が組織最高の能力者と子どもを作った場合、世界最強のSランク能力者が誕生すると予知に出たのだ」  Sランク。思い浮かべるだけであらゆる想像を現実のものとする、未だ該当者のいない空論の存在。驚愕に目を見開いた部下の反応に満足したのか、上司は未来の栄光に頬を緩ませ、軽やかに告げた。 「今回の任務はその女を洗脳し、子どもを作らせることだ。お前たちはまず彼女をここに連れて来い。速やかに頼むぞ」 「……」  一拍を置いて、電話を手に取る。横目で見ると、黙って話を聞いていた相棒も同じ行動をしているのが見えた。上司が訝しげに眉をひそめるのを無視し、通話が繋がるのを待つ。すぐにそのときは来た。 「もしもし、女性の人権保護センターですか?」 「ちょっと待てい!」  あっさりと電話が切られる。息を切らし電話を切った上司を、不快げに睨みつけた。 「何をするんですか」 「こっちのセリフだ! 何いきなり通報してるんだ!」 「極めて正常かつ常識的な反応です。何トチ狂ったこと言ってるんですか。時代錯誤も甚だしいですよ」 「ふん。理解していないのはお前だ。ちょっと洗脳して孕ませるだけでレベルS能力者が手に入るのだぞ? 女一人の人権など紙屑同然よ!」  勝ち誇った笑みを浮かべ、上司は椅子にふんぞり返った。ふんぞり返ってから、こちらに受話器を向けている、もう一人の部下に気づく。  相棒は静かに受話器を自分の耳元に戻すと、「ええ、はい、聞いていただいた通りです。はい。はい、わかりました」といつもの無表情で返事をし、電話を切った。上司が小馬鹿にした笑みを浮かべる。 「ふん、どこに通報しようと無駄だぞ。外部に密告したところで、すぐに洗脳能力者が出向く手はずになっている。口封じに洗脳される相手が哀れだな。どこのどいつだ?」 「ボスの奥様です」  上司は凍りついた。  が、すぐに解凍した。 「ふ、ふん。それがどうした。俺は公私混同はせん。あいつを味方につけようとしても無駄だぞ」 「実家に帰らせていただくそうです」  再び、上司は凍りついた。淡々と相棒は報告する。 「子どもたちに悪い影響が出るからと、お子様方といっしょに既に車に乗られたようでしたが」 「ハニーィィィイ!!」  叫びながら走り去った上司を見送り、相棒と目配せをした。 「で、どうする?」 「とりあえずこの女性と接触して、洗脳能力者が近づかないよう護衛しよう」 「賛成」
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接触スタート

] 「事の次第はお話したとおりです。貴女の安全が確定するまでお守りさせていただきます」 「えぇと、よろしくお願いします」  挨拶はつつがなく終わったが、話題に困った。組織のことは機密事項が多いし、年頃の娘さんの好む話題など華のない日常でわかるはずもない。どうしたものかと考えていると、向こうが口火を切った。 「えっと、その最強の能力者さんって、どんな人なんですか? あーと、顔とか!」  悩んだ末に顔が出る辺り、やっぱり年頃の娘さんだなと苦笑する。まあ年頃の男も同じだろうが。 「男の価値は顔ではありませんよ」 「え、あ、はい、そうですよね。わかってるんですけど……」  わかってはいても、自分の夫候補ともなると容姿が気になるらしい。まあそれはそうだよなと思いつつも、やはりこちらの事情で振り回すには善良で平凡すぎる女性だった。 「まあ、外見ってのは中身が出ますからね。その点、かの最強能力者は……」  正直に言った。 「自分の力と権力に酔った品性の無さがそのまま顔に出ています」 「絶対いやあああああ!!」  正直極まりない反応に、やはり申し訳なさが増大した。
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ミゼラブル上司

「どうしてくれる」  青筋を立てて詰め寄る上司に、軽蔑した視線で答える。 「こんなところで油売ってるくらいなら奥さんと仲直りしたらどうです?」 「門前払いされてるんだよ! 電話も通じないし! 実家の前で土下座したら水ぶっかけられた挙げ句塩まかれたんだぞ!」 「え。それは……お疲れ様です。元気出してください」 「やさしくしないで! 余計辛くなるから!!」  顔を覆った上司はやや憐れではあったが、自業自得の要素が強い。それを証拠にすぐに復活した。 「いいか、既に計画には大幅な遅れが出ている。これ以上遅らすわけにはいかんのだ。子どもが産まれるには十月十日。育つにはそれ以上の月日が必要なのだからな」  厳めしい台詞は二児の父親の威厳にあふれていたが、子どもには会わせてもらえているのだろうかと少し心配になった。 「っていうか、単に遺伝子の組み合わせが重要なら他に色々やりようはあるんじゃないですか? 細胞培養とか。まあそれでもいい気分はしないでしょうが」 「ダメだ。調べてみたんだが、彼女は非常に特殊な増幅能力者のようでな。胎内で育んだ生命を強化する体質らしいのだ。彼女自身が妊娠せねば意味がない」  どうやって調べたんだとツッコミたくなったが、あれから直接体を調べる機会はなかったはずだ。彼女自身にどうこうしたのでないのなら些末事だろう。 「……なら代理出産は? 順当に彼女が結婚と出産を体験した後に頼んでみるとか」 「能力には相性があるんだ。彼女自身の子が最も相性がいいのは疑いようがない。彼女が彼女自身の子を宿し、その子が強力な超能力の素質を持っていること。それが前提条件だ」  今更ながら人を馬鹿にしきった話である。転職しようかなあと考えていると、上司が剣呑な独り言を吐いた。 「全く、クローン条約さえなければ千人くらい複製して片っ端から孕ますのだが」  椅子ごと立ち上がり、八メートルほど距離を取った。 「まて、なんだその反応は」 「私とあなたの距離です」 「心の距離!?」  本当なら十メートル以上取りたかったのだが、スペースには限界があった。 「だから前にも言ったろう! 彼女が産む子には世界を握る力があるのだ! 多少の人道など構ってられん!!」 「いや、っていうか、ほんと、ない」 「顔を青ざめさせながら手のひらをこっちに向けて首を振るな! 心底傷つくわ!」 「あ、すみません、こっち来ないでください。ほんとキモイんで」 「リアルに傷つくー!!」  再び顔を覆った上司を軽蔑の視線で見下ろそうかと思ったが、視界に入れるのも嫌だったので自重した。真剣にサブイボが立った。仮にも恋愛結婚した身で何故あんな台詞が吐けるのか理解できない。 「い、いいか、とにかく、彼女をさっさと洗脳しろ。幸いお前たちは彼女と信頼関係を築いてるようだし。申し訳ないが、彼女には幸せな結婚など夢見てもらっては困るのだ」  申し訳ないならやめろよウゼエと考えていると、相棒が鞄から封筒を取り出していた。丁寧に封を開け、中から書類を取り出す。 「何だそれは?」 「ボスのご息女の作文です」  ピシリ、と凍りついた上司を尻目に、相棒は淡々と作文を読み上げる。 「しょうらいのゆめ。わたしのしょうらいのゆめは、およめさんです。おかあさんみたいに、すてきなドレスをきて、すきなひとと、しあわせにくらしたいです」  相棒が作文を読み上げるたびに、凍りついた上司の表情が更にひび割れていく。あどけない口調で書かれた作文はまだ見ぬ未来の夫への期待と、愛する両親への尊敬の念が率直に込められている。 「しょうらいは、おとうさんみたいな、かっこよくて、すてきなひとと、けっこんしたいです」  作文はそう締めくくられていた。すっかり白くなった上司をちらりと見た後、相棒は明後日の方向を見ながらぼそりと呟いた。 「すてきな人かぁ」 「うわあああああああああん!!」  上司は幼児退行を起こしたようだった。
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任務ブロークン

「えっと、その人が皆さんの上司さんですか?」 「ええ。誠に遺憾ながら」  彼女が席を外している間に追い払おうとしたのだが、涙目になるまで追い詰めたところで彼女が帰ってきてしまった。なるべく接触させたくなかったのだが仕方がない。泣きじゃくる上司を冷たく見やる。 「じゃ、さっさと帰ってください」 「お前段々俺への態度が冷たくなってないか!?」  この件で元々薄かった尊敬の念は確実にマイナスになっていたが、気づいてなかったらしい。 「も、もういい。お前らには任せておけん。こうなったら力ずくでも渡してもらうぞ」  普段とは比べものにならない威圧感が上司に満ちる。舌打ちをして相棒と共に彼女の前に立つ。 「傍を離れないようにしてください。あれでもうちの組織最強の能力者なんです」 「……え?」  彼女は何故か、固まった。 「組織最強の能力者って、あの人のことだったんですか?」  言われてみれば、明言はまだしていなかった。 「ええ。正真正銘のA級能力者です。正直それ以外は何もいいところないんですが、超能力だけで組織のトップに上り詰めた人でもあるんです。油断はできません」 「えっと、でも、あの人と私が子どもを作る計画なんですよね?」 「ええ。口にするのもおぞましいですが」 「あの、でも、あの人結婚されてるんじゃ」 「ええ。今回の件で奥様に見捨てられ気味ですが」 「……奥さんがいるのに、他の人と子ども作る計画に同意したんですか?」 「ええ」  彼女は、今まで見たことがないほど冷たい目をした。 「うわ。最っ低」 「ちょ、こらあああ!」  上司が叫ぶ。 「さっきから黙って聞いていれば! だから史上最強の超能力者作成のためには個人の意志なんて無視されるんだって! 俺だって上の命令で仕方なくだな!!」 「ボス、説得力ないです」 「お前もっと上司に優しくしろよ!」  状況も忘れてかんしゃくを起こす上司を鬱陶しく思っていると、相棒がズボンから電話を取り出した。着信があったらしい。 「ふん、この状況で電話とは、随分余裕があるな」  さっきまでかんしゃくを起こしていた自分のことは棚に上げて、上司が鼻で笑う。相棒は受話器をそちらに向けた。 「ボス。お電話です」 「何?」 「女性の人権保護センターから」  ビシイ、と上司は凍りついた。ややあって、ぎこちなく動き始める。 「ちょっと、待て。何故そんなところから電話がかかってくるのだ」 「あらかじめプロジェクトの詳細をリークしておきました。ようやく裏付けが取れたようです」 「おいこらああああああ!!」 「つきましては計画の撤回、廃案のために上層部を脅迫したいそうですので、速やかに出頭するようにとのことです」 「ちょ、ま、なんで民間団体にそんな権力があるんだ!? そもそも洗脳能力者はどうしてる!? 計画が外部に漏れたら記憶操作を行うはずだろ!?」  淡々と相棒は答えた。 「ボスの奥様が会長を務めてらっしゃいますので」 「うそおおおおおおおお!!?」  絶叫しながら地面にうずくまった上司は、なんというか、無力そのものだった。
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クラッシュ大団円

「レベルS能力者誕生の可能性は危険すぎるから、機密にするために起訴はされなかったし、組織の上層部も記憶操作済み、資料も改竄したし、めでたしめでたしですね」 「うっ、うっ、う、うううう」 「彼女の生活も平穏を取り戻せたし。あ、今は仕事に専念したいそうですよ。恋をして子どもができるのはまだまだ先になりそうですね」 「ううう、うひ、ふ、ひっく、ぐす」 「俺たちも職を失わないで済んだし、計画自体がなかったことにされたからボスの降格もなかったし」 「ふぐ、う、ぐ、ふええええ」 「結局無事じゃなかったのは」  机の上で身も世もなく泣きじゃくる上司を横目で見、トドメを刺す。 「ボスが離婚されたことくらいかー」 「うわあああああん!!」  本格的に泣き出した上司は憐れではあったが、過程が過程だけに同情できない。 「いい加減にしてくださいよ。念のための彼女の護衛に奥様が選ばれたのは妥当な判断だし、奥様も『元』とはいえ夫の迷惑を償いたいって志願されたんだから。奥様だけ記憶操作を免除されたのは仕方ないでしょう」 「ふ、ぐ、あ、あいつ、もしかしてそのために志願したんじゃ……」 「ああ、ありえますね、それー」 「うわあああああん!!」  泣き叫ぶ上司から目をそらし耳を塞ぎ、うんざりと嘆息する。自業自得というより天罰覿面である。天網恢々疎にして漏らさずとはよく言ったものだと感心していると、扉を開けて相棒が帰ってきた。 「ボス。休暇をいただきたいのですが」 「う、ふぐ、ん、いいぞー。好きなだけいってこい」  ハンカチで涙をふき鼻をかみながらの台詞である。涙の数だけ優しくなったというより、自暴自棄で判断力が低下しているようだ。いつもの無表情で席に着いた相棒に尋ねる。 「珍しいな、お前が休み取るなんて」 「結婚することになったから」 「マジで!?」  心底驚く。離婚に嘆く上司の横でするには微妙だが、喜ぶべきニュースだろう。 「へえ、驚いたなあ。おめでとう! あ、もしかして、相手って」  今回の件での相棒の様子を思い返し、予感があった。 「うん」  ややあって肯いた相棒が口にした彼の伴侶は、まさに、予想した通りの人物だった。 「ボスの元奥さん」 「なんだそのオチは!?」