十三のキスと呪い

始まり、銀色のお姫様

 昔々、まだ時の流れがあいまいだった頃。世界のかたちが言葉で移ろい、手を伸ばせば魔法に触れられた頃。  ある森のほとりに、銀色のお姫様がいました。その人は王様の娘でもなく、特別高貴な生まれというわけでもありませんでしたが、お姫様としか言いようのない人でした。  銀色の髪は朝露のように輝いて、肌は瑞々しい桃のよう。熟れたイチゴみたいなくちびるがそっと微笑むだけで、会う人を幸せにする人でした。  お姫様が森を歩けば、鳥たちは歌いながらあいさつし、お姫様が木々に歌えば、獣たちは狩りをやめて耳を澄ませ、お姫様が目を合わせて微笑めば、人さらいすら跪いて罪を悔い改めました。  お姫様のお母さんは、黒い魔女と白い魔女でした。  どちらがお姫様を産んだ人かはわかりません。黒い魔女も白い魔女も背中の曲がったしわくちゃのおばあさんで、そのシワときたら千年生きた樹よりも深く、あんまりしわくちゃすぎて、どちらが黒い魔女でどちらが白い魔女なのか、本人たちにもわからないようでした。  しわくちゃのお顔はとてもお姫様の産みの親とは思えませんでしたが、お姫様にとってはどちらもお母さんで、優しくて賢い母たちのことを とてもとても慕っていました。  銀色のお姫様は黒い魔女と白い魔女と三人で、森の奥で静かに暮らしていました。  朝は川で水を汲み、昼は森で果物を摘み、夜は暖炉を囲んで、魔女たちの言葉に耳を傾けます。  二人の魔女はよく、お姫様にお話を聞かせました。それが本当にあったことなのか、魔女たちの作った物語なのか、お姫様は知りません。  でも、代わりばんこに語りかける二人の母の声に耳を澄ませ、いつの間にか眠りに落ちるのが、お姫様はたまらなく好きでした。   *  *  *  ある日のことです。お姫様が森で果物を摘んでいると、一羽の真っ黒な、ツバメでもカラスでもない鳥が枝に舞い降りて、お姫様を見下ろしてこう言いました。 「おまえはもうすぐ独りになるよ」  お姫様はびっくりして鳥を見上げました。お姫様の夜明け色の瞳が、鳥の真夜中よりも暗い瞳を見つめてまたたきます。  その後ろから、鳥の影がお姫様にささやきました。 「それは誰にも止められないよ。嘘だと思うなら魔女たちに聞いてごらん。  だっておまえがひとりぼっちになるのは、魔女が決めたことだから」  そう言い残すと、黒い鳥はすぐさま羽ばたいて、雲の向こうに飛び去ってしまいました。   *  *  *  家に帰って、お姫様は二人の魔女の膝にすがりつくと、おいおい泣きました。鳥の言葉は真実だと、お姫様は不思議とわかっていたのです。 「お母さん、私が一体何をしたの?  お願いだから捨てないで」  泣きじゃくるお姫様から黒い鳥の話を聞き、二人の魔女はうなずきました。 「そう。もうそんな時期になるのね」 「あの子たちは呪いを解くことができなかったのね」  お姫様は目をまたたかせました。 「呪い? あの子たちって、だれのこと?」  片方の魔女は答えました。 「おまえの兄さんたちのことだよ」  もう片方の魔女も答えました。 「私たちがおまえにかけた呪いのことだよ」  真っ青になったお姫様を優しくなでながら、二人の魔女は声をそろえました。 「それじゃあ、昔話を始めようか」 「愚かな私たちの物語と」 「おまえの兄さんたちの物語」 「「私たちが、おまえを呪うに至った物語を」」  そうして二人の魔女は、長い長いお話をお姫様に語り始めたのです。
*  *  *

二人の魔女

 昔、銀色のお姫様が生まれる前のこと。黒い魔女と白い魔女は それはそれは強く、恐ろしく、美しい魔女でした。  黒い魔女の唇は熟れたザクロのように赤く、髪は夜空を溶かした清水のよう。言葉一つでイバラを鋼のツルにして、誰一人近づけない要塞にしてしまいます。  白い魔女の肌はむいたリンゴのように白く、髪は朝焼けで紡いだ金糸のよう。言葉一つでゴロツキをカエルにして、人間だったことも忘れさせてしまいます。  甲乙つけがたく 強く、恐ろしく、美しい二人は、いつもいっしょにいましたが、いつもけんかばかりしていました。いつも同じものを好きになったからです。  お気に入りのドレスも同じ。お気に入りの場所も同じ。好きになった人まで同じでした。  二人が好きになった男は、いいろくでなしでした。  いいろくでなしってなんだよ、と思われるかもしれませんが、いい男だったけどろくでなしだったから、そうとしか言いようがありません。  いいろくでなしは、髪は輝く銀色、瞳は煙る夜明け色。勇ましい顔立ちをしていて、体つきも立派で頭も良く、優しくて働き者でお金持ち。  そして何より、黒い魔女と白い魔女のことを、どちらも同じくらい愛していました(このろくでなし!)  黒い魔女と白い魔女は、いつも自分だけがろくでなしに愛されたいと願っていました。  でも、黒い魔女がどんな美しいドレスを着ても、白い魔女がどんな美しい歌を歌っても、ろくでなしはいつだって、二人を同じくらい愛し続けました。   *  *  *  ある日のことです。ふと名案を思いつき、白い魔女は黒い魔女に言いました。 「ねえ、勝負しない?」 「勝負?」 「どっちが先にあの人との子どもができるか、勝負するのよ。  負けた方は二度とあの人の前に姿を現さない。どう?」 「いいわよ」  黒い魔女の返事に、白い魔女は「よし」とほくそ笑みました。白い魔女のお腹には、すでに ろくでなしとの子どもができていたからです。  白い魔女は「これであの人は私だけのもの」と浮かれましたが、ぬか喜びでした。黒い魔女のお腹にも、ろくでなしとの子どもができていたのです(なんせ同じくらい愛されていましたから!)   *  *  *  日に日にふくらんでいく恋敵のお腹をにらみながら、二人の魔女はどうしてくれようかと悩みます。  子どもができた以上、もう恋敵を追い出すのは無理です。ろくでなしは子どもが生まれるのを楽しみにしています。子どもから母親を取り上げるのを、ろくでなしが許すとも思えません。  ふと名案を思いつき、黒い魔女は白い魔女に言いました。 「ねえ、勝負しない?」 「勝負?」 「私の子どもとあんたの子ども、どっちがあの人に気に入られるか勝負するの」  ろくでなしは妻への愛情に差をつけようとしません。  ですが、その子どもにならどうでしょう?   「あの人に気に入られた子どもの母親が、あの人の唯一の妻になる。どう?」 「いいわ」  白い魔女はうなずき、もう一度言いました。 「受けて立ってやろうじゃない」
*  *  *

魔女たちの最初の呪い

 こうして、魔女たちの戦いが始まりました。  黒い魔女はしめしめと笑います。子どもの愛情に差をつけるのなんて簡単です。片方の出来が良く、片方が悪ければいいのです。  自分の言葉が最も強まる真夜中に、ふくらんだお腹をなでながら、黒い魔女はお腹の子どもに語りかけます。 「可愛い子。あなたはすごい人になるわ。お父さんそっくりの、カッコよくて、勇敢で、優しい人になるの。誰もがあなたを愛さずにはいられないわ。  いいこと、可愛い子。絶対、あの女の子どもに勝つのよ」  そう言い聞かせると、黒い魔女は白い魔女の部屋に忍び込み、眠っている恋敵のお腹をなでてこう言いました。 「憎らしい子。あなたほど性根がひん曲がった救いようがない人、見たことないわ。  あなたみたいな嫌なやつ、みんなに嫌われて当然よ」  黒い魔女はこれで良しとうなずきました。  これで自分の子どもは夫に似たカッコよくて優しい人に育ち、白い魔女の子どもは誰もが嫌う性悪に育つはずです。  黒い魔女は満足して寝床に入り、すやすやと眠りにつきました。  自分の言葉が最も強まる朝ぼらけに、白い魔女は良し、と気合いを入れます。  子どもの愛情に差をつけるのなんて簡単です。片方の出来が良く、片方が悪ければいいのです。  ふくらんだお腹をなでながら、白い魔女はお腹の子どもに語りかけます。   「可愛い子。あなたはすごい人になるわ。お父さんそっくりの、カッコよくて、強くて、賢い人になるの。誰もがあなたを敬わずにはいられないわ。  いいこと、可愛い子。絶対、あの女の子どもに勝つのよ」  そう言い聞かせると、白い魔女は黒い魔女の部屋に忍び込み、相手がぐっすり寝ているのを確かめてから、恋敵のお腹をなでてこう言いました。 「憎らしい子。あなたほど頭が悪くて救いようがない人、見たことないわ。  あなたみたいなダメなやつ、みんなに馬鹿にされて当然よ」  白い魔女はこれで良しとうなずきました。  これで自分の子どもは夫に似たカッコよくて賢い人に育ち、黒い魔女の子どもは誰もが見くびるお馬鹿さんに育つはずです。  白い魔女は満足して寝床に入ると、もう一眠りすることにしました。   *  *  *  そうして時が満ちて、無事二人の子どもは生まれました。  二人ともお父さんにそっくりの、双子みたいな男の子でした。
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始まりの二人の子

 さて、魔女の息子たちはお父さんの考えで、よく近くの村に遊びに出されました。  二人とも父親の幼いころにそっくりで、まるで双子のようでしたが、性格は全然違いました。  黒い魔女の息子は母親の言葉通り、父親に似てカッコよくて勇敢で、優しい子に育ちました。  育ちましたが、白い魔女の言葉通り、頭は残念でした。人を簡単に信じて、けんかに巻き込まれ、相手が嘘泣きするとコロっとだまされて百戦百敗。  ときにはどう見たって傷一つない相手の嘘泣きにだまされることもありました。ついたあだ名は「節穴」です。  村人たちは節穴をしょっちゅうだましてからかいましたが、本当は心根の清い節穴のことが大好きでした。面白いからつい からかってしまっただけです。  白い魔女の息子は母親の言葉通り、父親に似てカッコよくて強くて、賢い子に育ちました。  育ちましたが、黒い魔女の言葉通り、性格は性悪でした。人を言葉巧みに操り、争わせ、いざ復讐されそうになると容赦なく返り討ちにしました。  ときには節穴のふりをして相手を油断させ、だまされたフリをして叩きのめしたこともありました。ついたあだ名は「二枚舌」です。  村人たちは二枚舌にうやうやしく接しましたが、本当は性根の曲がった二枚舌のことが大嫌いでした。怖いから怒らせたくなかっただけです。   *  *  *  みんなに好かれる節穴とみんなに嫌われる二枚舌を見て、黒い魔女はしめしめとほくそ笑みました。人気者と嫌われ者では勝負になりません。  みんなに侮られる節穴とみんなに畏れられる二枚舌を見て、白い魔女もしめしめとほくそ笑みました。馬鹿と天才では勝負になりません。  二人の魔女は嬉々としてろくでなしに尋ねました。 「「ねえあなた、節穴と二枚舌、どっちが好き?」」  ろくでなしは笑顔で答えました。 「どっちも好きだよ。節穴は心根のよい子だし、二枚舌は頭のよい子だ。  どちらもぼくの大事な息子さ。比べるなんてできないよ」  魔女たちはダメだこれはと頭を抱えました。子どもたちがもっと大きくなったら変わってくるかもしれませんが、それまで待つことなどとてもできません。  二人の魔女は、また子どもを産むことにしました。
*  *  *

魔女たちの二つめの呪い

 深夜、黒い魔女は頭を悩ませていました。  優しい子では夫の愛を独占することはできませんでした。では、どんな子ならろくでなしの愛をつかむことができるでしょう?  黒い魔女は考え、節穴と二枚舌が双子のようにそっくりだったことを思い出しました。あれでは多少中身が違っても似たり寄ったり。片方だけを愛せなくて当然です。  黒い魔女はそう考え、今度は世にも不思議な子どもを産もうと決意しました。  ふくらんだお腹をなでながら、黒い魔女はお腹の子どもに語りかけます。   「可愛い子。あなたはすごい人になるわ。秋の空よりも深く青い髪に、ゆらめく炎の色の目をした、誰よりも美しい人になるの。女も男も獣も鳥も、あまねく美を映す鏡すら、あなたに見惚れずにはいられない。  いいこと、可愛い子。絶対、あの女の子どもに勝つのよ」    それからまた頭を悩ませました。  性格が悪いくらいでは、夫は我が子に愛想を尽かしませんでした。ではどんな子どもなら、ろくでなしもさじを投げるでしょう?  黒い魔女は考え、二枚舌がろくでなしにそっくりだったことを思い出しました。自分に似ているから欠点に目をつぶれましたが、似ていなかったらどうでしょう?  黒い魔女はそう考え、寝ている白い魔女に忍び寄り、白い魔女のお腹をなでてこう言いました。 「憎らしい子。あなたほど気味の悪い顔した人、見たことないわ。  あなたみたいな醜い人、誰にも愛されなくて当然よ」  黒い魔女は自分の語った言葉に満足すると、いそいそとお腹をなでて、時が満ちるのを待ちました。  明け方ごろ、白い魔女は頭を悩ませていました。  賢い子では夫の愛を独占することはできませんでした。ではどんな子なら、ろくでなしの愛をつかむことができるでしょうか。  白い魔女は考え、節穴と二枚舌が双子のようにそっくりだったことを思い出しました。あれでは多少中身が違っても似たり寄ったり。片方だけを愛せなくて当然です。  白い魔女はそう考え、今度は世にも不思議な子どもを産もうと決意しました。  ふくらんだお腹をなでながら、白い魔女はお腹の子どもに語りかけます。 「可愛い子。あなたはすごい人になるわ。戦士の雄叫びも乙女の声援も、小夜啼鳥の歌や狼の遠吠え、風の声だって真似できる、七色の声の使い手になるの。誰もがあなたに耳を澄まさずにはいられない。  いいこと、可愛い子。絶対、あの女の子どもに勝つのよ」    それからまた頭を悩ませました。  頭が悪いくらいでは、夫は我が子に愛想を尽かしませんでした。ではどんな子どもなら、ろくでなしもさじを投げるでしょう?  白い魔女は考え、節穴がろくでなしにそっくりだったことを思い出しました。自分に似ているから欠点に目をつぶれましたが、似ていなかったらどうでしょう?  白い魔女はそう考え、寝ている黒い魔女に忍び寄り、黒い魔女のお腹をなでてこう言いました。 「憎らしい子。あなたほど周りを傷つける人、見たことないわ。  あなたみたいな冷たい人、ひとりぼっちになって当然よ」  白い魔女は自分の語った言葉に満足すると、いそいそとお腹をなでて、時が満ちるのを待ちました。   *  *  *  そうして時が満ちて、二人の魔女の子どもは無事生まれました。  この世の者とは思えない美しい男の子と、この世の者とは思えない醜い男の子でした。
*  *  *

ひとりぼっちの二人の子

 さて、黒い魔女の息子は、それはそれは美しく成長しました。  深い空色の髪は散歩するだけでみんなの目を奪い、炎の色をした目に見つめられれば誰もが言葉を失います。  けれどその体は、真冬の氷よりも冷たかったのです。  青い髪に誘われて手を伸ばせば、体がかじかんで凍りついてしまいます。炎の色をした目に見惚れて近づけば、毛布にくるまっても凍えることになります。  わかっていても、一目彼の姿を目にすれば、誰もが手を伸ばさずにはいられませんでした。  そうしていつからか、村人は彼を「お日様」と呼び、みだりに近づかないようになりました。  一方、白い魔女の息子は、それはそれは醜い顔立ちをしていました。  その醜さは、言葉にできません。ウジのたかる腐肉よりもおぞましく、果てのない暗闇よりも恐ろしく……その醜い顔が見えないよう、彼はいつも、真っ白な帽子を目深に被っていました。  けれど一度、いたずらで帽子を脱がされてしまい……それからは、もう誰も、彼に近づこうとしませんでした。  寂しさをまぎらわせようと、彼は狼の声で吠え、鳥の声を歌い、風の声を真似しました。  けれど彼にできるのは声真似だけで、獣が何をしゃべっているのか、鳥が何と歌っているのか、風が自分に気づいてくれているのかはわかりません。  そうしていつからか、風も吹いていないのに木枯らしの音がするとき、村人は「北風」がいると怯えるようになりました。   *  *  *  ひとりぼっちのお日様と北風を見て、黒い魔女と白い魔女は二人そろって落ち込みました。触れられないお日様と見たくもない北風では、どちらもろくでなしの愛をとらえることは難しいでしょう。  それでも一応、魔女たちは聞いてみました。   「「ねえあなた、お日様と北風、どっちが好き?」」  ろくでなしは曇りのない笑顔で答えました。 「どっちも好きだよ。  触れないのは寂しいけどお日様はとても綺麗な子だし、顔を見れないのは寂しいけど北風はとても面白い子だ。  どっちもぼくの大事な息子さ」    魔女たちはホっとして、また子どもを産むことにしました。
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魔女たちの三つ目の呪い

 お日様と北風の件で、さすがに黒い魔女と白い魔女は恋敵の邪魔立てに気づきました。  気づきましたが、自分も同じことをしていたので、大きな文句は言えません。  そこで二人は、お互い同意の元で呪いを行うことにしました。  真夜中と夜明けのはざまの時間に、二人はそろって頭を悩ませます。どうすれば、恋敵の呪いを物ともしない子どもになるでしょう?  考えて、考えて、真夜中が終わりを迎えようとする頃、黒い魔女は思いつきました。  お腹に手を当てて、急いでお腹の子どもに語りかけます。 「可愛い子。あなたはすごい人になるわ。とてもとても強い人になるの。  背は誰よりも高く頼もしく、体は誰よりもたくましく、腕をふるえば木々が倒れ、足を踏みしめれば地面がゆれる。あなたに敵う人なんてどこにもいないわ。  いいこと、可愛い子。絶対、あの女の子どもに負けるんじゃないわよ」  黒い魔女がお腹の子どもに語りかけている隣で、白い魔女も少しずつ強まる朝焼けの光を浴びながら、声をひそめてお腹の子どもに語りかけます。 「可愛い子。あなたはすごい人になるわ。とてもとても大きな人になるの。  誰よりも勇敢で頼もしく、どんな困難にも立ち向かい、どんな痛みにもくじけず、どんな苦難も胸を張って乗り越える。誰もがあなたを尊敬してやまないわ。  いいこと、可愛い子。絶対、あの女の子どもに負けるんじゃないわよ」  そうして二人はそろって相手のお腹に手を当てて、もれ聞こえた言葉を参考に、ドスの効いた声で言い放ちました。 「「憎らしい子。あなたみたいに小さいやつ、見たことない。   あなたみたいなちんけな男、誰にも相手にされなくて当然よ」」   *  *  *  そうして時が満ちて、無事二人の子どもは生まれました。  どんなささいなことにも泣きじゃくる図体ばかり大きい男の子と、どんなことにも動じない豆粒より小さな男の子でした。
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小さな二人の子

 さて、黒い魔女の子どもはそれはそれは大きく育ちました。ちょっと育ちすぎました。  背丈は小さな丘くらい、たくましい体はつまづいた木々をなぎ倒し、何より問題なのはその肝っ玉の小ささです。  大きな岩を片手でかち割れるくらい強いくせに、ねずみが出たと言っては大騒ぎして泣きわめき、そのたびに地鳴りがするわ家畜は逃げるわの大騒動です。  村人は彼を「小山男」と呼びました。山くらい大きいのに小さな男、の意です。  村人は木々を切らせたり家畜を運ばせたりと小山男を便利に使いましたが、彼が何をどんなに泣いて訴えても、話半分にしか聞きませんでした。  一方、白い魔女の子どもは豆粒よりは大きくなりました。かろうじて親指くらいです。  家から外に出るのも大冒険、外に出てからは命がけ、しかし、彼の肝っ玉は誰より大きなものでした。  例え風に飛ばされて迷子になっても羽目になっても、猫に追い回されて命の危機にひんしても、彼は常にきぜんとした態度を崩しません。  村人は彼を「親指大将」と呼びました。親指くらい小さいのに大きな男、の意です。  しかし、いかんせん小さくて見えづらかったので、村人が親指大将の姿を目にする機会はとても少なく、わざわざ探そうとする者もいませんでした。   *  *  *  黒い魔女は自信満々です。恋敵の呪いで臆病なものの、小山男はこの上なく大きな力の持ち主です。嫌でも目に入る小山男とめったに見つからない親指大将では、愛情も偏るものです。  白い魔女も自信満々です。恋敵の呪いで小さなものの、親指大将はこの上なく大きな器の持ち主です。ねずみ一匹に怯える小山男と嵐にも動じない親指大将では、愛情も偏るものです。  二人の魔女は嬉々としてろくでなしに尋ねました。   「「ねえあなた、小山男と親指大将、どっちが好き?」」  ろくでなしも笑顔で答えました。 「どっちも好きだよ。  小山男は臆病だけどいい子だし、親指大将は小さいけれどとても勇敢だ。  どっちもぼくの大事な息子さ」  魔女はそろって肩を落としました。ろくでなしは魔女たちが期待している答えを誤解している節があります。  今度こそろくでなしの理性を吹き飛ばすくらい愛らしい子を作ろうと、魔女たちは決意を新たにしました。
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魔女たちの四つ目の呪い

 魔女たちは悩みに悩みました。今までの子どもたちを超える、恋敵の呪いを物ともしない、この世で最もすばらしい子どもを作らねばなりません。  いくつもの眠れぬ夜と朝を過ごした末に、魔女たちは「次は相手の子を呪わない」と約束しました。  互いに邪魔することなく、自分の考える最もすばらしい子どもで、正々堂々と勝負するのです。  ふくらんだお腹を大切になでながら、黒い魔女は考えます。誰よりも強くしようとしたのに、恋敵の呪いで小山男は臆病になってしまいました。  今度こそ、と意を決し、一年で最も月と星が輝く夜に、黒い魔女は歌うように言葉をつむぎました。 「可愛い子。あなたはすごい人になるわ。誰よりも強くなるの。  あなたの体は鋼より強く、炎はあなたにひれ伏し、あらゆる刃はあなたの前に砕け散る。瞬く間に千里を駆け、その気になれば空さえ飛べる。あなたを傷つけられるものなんて何もないわ。  いいこと、可愛い子。絶対、あの女の子どもに勝つのよ」  ふくらんだお腹を大切になでながら、白い魔女は考えます。誰よりも勇敢にしようとしたのに、恋敵の呪いで親指大将は小さくなってしまいました。  今度こそ、と意を決し、一年で最も太陽が輝く夜明けに、白い魔女は歌うように言葉をつむぎました。 「可愛い子。あなたはすごい人になるわ。誰よりも勇敢になるの。  あなたの心は鋼より強く、悲しみはあなたを弱めず、あらゆる苦しみはあなたから遠ざかる。どんなときも冷静で、どんなことも恐れない。あなたを傷つけられるものなんて何もないわ。  いいこと、可愛い子。絶対、あの女の子どもに勝つのよ」   *  *  *  そうして時が満ちて、無事二人の子どもは生まれました。  赤いウロコと翼を持った竜と、泣きもせず笑うこともない男の子が生まれました。
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最も強い二人の子

 さて、黒い魔女の息子は母親の言葉通り、炎にも刃にも傷一つつけられることのない、空を舞い鋼すら簡単に引き裂く、この世で最も強い竜として生まれてきました。黒い魔女はしまったと頭をかかえましたが、もうどうにもなりません。  幸い、竜は見た目こそ恐ろしかったものの、中身は至ってふつうの子どもでした。食べるものは少々獣じみていましたが、少しずつ言葉も覚えました。  しかし、黒い魔女の気は晴れません。ろくでなしは赤いウロコから竜を「夕焼け竜」と名づけ可愛がっている様子でしたが、人でない息子を、果たして心から愛することができるでしょうか?  一方、白い魔女の息子は一見ふつうでした。白い魔女は夕焼け竜を見てしめしめと顔をにやつかせましたが、自分の子どもが大きくなるにつれて顔を青ざめさせました。白い魔女の息子は生まれてから一度も、泣きもせず笑いもしないのです。  転んでも腕を切ってもやけどをしてもけろりとし、恐れどころか痛みも悲しみも、喜びさえ感じていないようでした。  なまじ人の姿をしているだけ、それは白い魔女の目に異様に映りました。ろくでなしは彼を「恐れ知らず」と名づけ可愛がっている様子でしたが、人の心を持たない息子を、果たして心から愛することができるでしょうか?   *  *  *  恐る恐る、二人の魔女は夫に尋ねようとしました。 「「ねえあなた」」  しかし、そこから先がどうしても聞けません。  今までも愛するのが難しそうな息子はいました。しかし、今度は恋敵の呪いではなく、自分の言葉が原因なのです。  黙りこんだ妻たちに、ろくでなしは静かに言いました。 「夕焼け竜も恐れ知らずも、ぼくは好きだよ。  節穴も二枚舌も、お日様も北風も、小山男も親指大将も。  だってみんな、ぼくの大切な息子だもの」  魔女たちは何も言えず、ただ、「今度こそ」とつぶやきました。
*  *  *

魔女たちの五つ目の呪い

 幾晩も幾日も、魔女たちは悩みました。失敗を繰り返してはなりませんが、どんな子どもなら夫の心をつかめるのか、魔女たちにはわからなくなっていました。  いいえ、今までも、子どもたちはみんなろくでなしの心をつかんでいました。ただ、ろくでなしはみんなを平等に愛しただけです。  発想の逆転です。ろくでなしも見放す子どもを考えればいいのです。  魔女たちは前回の約束を取り消しました。今度は自分の子どもに何も語りません。ありったけの言葉で、恋敵の子どもを呪うだけです。  月と太陽がむつみ合う暗闇の時間に、互いのふくらんだお腹に触れて、二人の魔女は言葉をつむぎました。 「「見るにも聞くにも値しない、憎らしい子。   真実に触れる手も心もない、呪われた子。   あなたは悲しみしかもたらさない。   あなたは苦しみしかもたらさない。   この世のどこにも居場所はなく、   この世のだれにも触れられず、   あなたはこの世のすべてから呪われる」」   *  *  *  時が満ちて、二人の子どもは生まれました。  赤ちゃんの形をした影と、その泣き声だけが、この世に生まれてきました。
*  *  *

形のない二人の子

 何を食べているのかわかりませんが、二人の子は順調に大きくなっているようでした。時折見かける影は次第に大きくなり、聞こえてくる声も人の言葉を覚えていきます。  ろくでなしも、この子どもたちには戸惑っているようでした。可愛がろうにも影はすぐに姿を消し、触れることも見ることもできません。  黒い魔女と白い魔女はがっかりしました。魔女たちにすら、自分の子どもがどっちの影なのかわからないのです。  これはまた仕切り直しだと、魔女たちは話し合いました。   *  *  *  ある日のことです。森を散歩していた白い魔女の耳元で、声がしました。 「どっちが自分の息子か知りたい? お母さん」  白い魔女はおどろいて辺りを見渡します。しかし、誰もいません。  木陰に隠れる獣もなく、虫すら地べたから逃げ出して、ただ、歌うような声だけが、耳に響いてきます。 「ぼくだよ。あなたの息子だよ。あなたの影だよ」  怯える白い魔女の足下に、一羽の鳥が舞い降りました。  耳元で聞こえていた声が、その鳥から聞こえるようになります。 「ぼくたちは呪われた子。ぼくたちは悲しみと苦しみしかもたらさない。あなたがそう決めた。  だから、ぼくたちはその通りにしてあげる」  白い魔女の背中に、誰かがぶつかりました。黒い魔女です。  白い魔女の足下から鳥が飛び去り、一つに重なる二つの声が、二人の魔女を囲みます。 「「こんにちは、お母さん。ぼくたちは呪いの子。呪われた子ども。   呪ったのはお母さん。だから、ぼくたちもあなたを呪ってあげる」」  影から聞こえる声が、歌を歌います。 「「ぼくらを産んだのは、みにくい母。おろかな母。   ぼくらの父は、おろかな父。不実な父。   顔はしわくちゃしわだらけ。   髪はぱさぱさ真っ白け。   自分のことがわからない。   人の気持ちがわからない。   みじめに老いて死んでいく。   おろかであわれでみじめな両親」」  楽しげに歌い終わると、影はどこかへ消えていきました。  後に残された二人の魔女は、互いの姿を見て悲鳴を上げました。  そこには、千年生きた樹よりもしなびた、醜い老婆しかいませんでした。
*  *  *

魔女たちの最後の呪い

 かつての美貌は見る影もなく、二人の魔女は老いさばらえてしわくちゃになり、魔女自身にすら、もう自分が黒い魔女なのか白い魔女なのか、わからなくなっていました。  二人の魔女が呪われたあの日、いいろくでなしもまた、二つの影に呪われていました。かつての勇ましい顔立ちは見る影もなく、背中が曲がり、シワだらけになった老人がそこにいました。  いいろくでなしはそれでも、しわだらけになった二人の妻に変わらぬ愛を注ぎました。死ぬまでそれは変わりませんでした。  寝床から起き上がれなくなったいいろくでなしは、最後に、   「ぼくは二人の影のことも好きだよ」  と言い残して、息を引き取りました。   *  *  *  ろくでなしが亡くなった後、魔女たちは自分たちのどちらかが身ごもっていることに気がつきました。  けれど、どちらが身ごもっているかはわかりません。  自分が黒い魔女なのか白い魔女なのか、身ごもっているのかいないのかもわからず、二人の魔女は自分のお腹に手を当てて、声をそろえて歌いました。 「「この子は呪われた子。   兄たちよりも呪われた、哀れな子。   本当のことがわからない。   大事なものは見つからない。   姿を見ればみんなが怯える。   声を聞けばみんなが恐れる。   家を失いひとりさまよい、   涙を流すこともなく、   愛するすべもわからずに、   たくさん人を傷つけるのさ。父親のように。   けれど父親みたいには愛されない。誰からも。   みじめに老いてひとりで死ぬのさ。母親のように」」  歌い終えると、魔女たちは不思議と安らかな気分でお腹をなで、ゆっくり目をつむると、うとうとお昼寝をしました。   *  *  *  時が満ちて、魔女たちのどちらかが最後の子どもを産みました。  小さな女の子でした。
*  *  *

銀色のお姫様

 だだっ広い居間の、お下がりのゆりかごの中で、小さな小さな末娘は、まだ生まれたばかりの真っ赤な顔で泣きじゃくっています。  魔女たちはゆり椅子に寝そべり、その泣き声を聞き流しています。  知らんぷりしている魔女たちをよそに、白い帽子をかぶった男の子が、てくてく窓辺のゆりかごに近づいていきました。北風です。  北風は泣きじゃくる妹の小さな頭をよしよしとなでて、白い帽子をそっとずらすと、やわらかな頬にキスをして、優しい声で言いました。 「誰からも愛されないのはおまえじゃなくてぼく。  元からこんな顔だもの。最初っから誰にも愛されっこないさ」  さびしげに言うと、北風は妹の頬をなでながら付け加えました。 「おまえにも、ぼくの声を分けてあげる!  おまえはこれから、誰とでも話すことができるんだよ。獣とも、鳥とも、風とだって!  きっとおまえの声はみんなに届く……だからおまえは、幸せになるんだよ」  北風は帽子を目深にかぶり直すと、足早に妹の前から姿を消しました。  次に現れたのはお日様です。  お日様は青い髪をはためかせ、妹に触れないよう、その産着にそっとキスをして言いました。 「愛し方がわからず人を傷つけるのは、おまえではなく私。  どうせ近づけば傷つける。愛し方がわかってもどうにもらない」  それからその頬に触れようとして、あきらめて言いました。 「おまえはきっと綺麗になるだろう。美しい髪と肌、輝く瞳にきらめく声。母さんのように。  そして誰もに愛されるだろう。暖かな心と強い体。病におかされず、傷に負けない。父さんのように。  すこやかに生き、すこやかに暮らしなさい」  そう言うと、それ以上妹を凍えさせないよう、お日様は足早に姿を消しました。  その次に現れたのは恐れ知らずです。  恐れ知らずは妹の涙でぬれた頬をなで、まぶたにキスをして言いました。 「泣けなくなるのはおまえではなくおれだ。  どうせ泣いたことなどないからな。これから先も、涙を流すことはないだろう」  そう言った恐れ知らずが窓の外を見ると、大きな体のせいで入れない小山男と夕焼け竜が、小さな体のせいで窓を開けられない親指大将といっしょに、そろってこちらを覗きこんでいました。  泣くことも笑うこともない目元を和ませて、恐れ知らずは続けます。 「大切なものを見失わない勇気をおまえに。愛するものがどんな姿をしていても、そのことで自分を見失わない勇気を。  誰もがおまえを幸せにするように、おまえも誰かを幸せにするだろう」  そう言うと、恐れ知らずは窓を開け、小山男に妹を手渡してやりました。  小山男は大喜びで、指先に乗せられた妹へ恐る恐る顔を近づけると、息を止めてその産毛にキスをしました。  人より大きな声を縮こまらせながら、勇気をふりしぼってささやきます。 「家に帰れなくなるのはきみじゃなくてぼく。  どうせ家の中には入れないから」  そうさびしげに笑うと、今度は明るく言いそえました。 「きみは行きたいところへ行けるんだよ。触りたいものに触れて、聞いてほしいことは聞いてもらえる。  みんなきみをだいじにしてくれる。きっとだよ」  小山男が言葉を終えると、小さな妹よりもっと小さな親指大将が、「今度はおれの番だ」と高らかに言いました。  小山男に運んでもらい、親指大将は妹の耳たぶに、小さな小さなキスをします。 「姿を恐れられるのはおれだ。どうせ滅多に見られないからな。  怖がられたらどこにいるかわかって大助かりだ」  それから妹の耳に、小さく小さくささやきました。 「おまえが見つけたいものは、きっと見つかる。おまえがいなくなったら、きっと誰かが探してくれる。  そんなふうになるといい。きっとそうなるだろう」  小山男と親指大将が恐れ知らずに妹を返して立ち去ると、次は夕焼け竜です。  兄が抱いている妹に首を伸ばし、万が一にも傷つけないよう、小さなつむじにそっとキスをして言いました。 「しゃべるだけで恐れられるのは私だろう。  私の見目は恐ろしい。声も恐ろしくなったところでかまやしないさ」  そう笑うと、代わりにこう付け加えました。 「どんなに強く恐ろしいものも、おまえを傷つけるには至らないだろう。あらゆる刃はおまえの前にその力を失う。  おまえの笑顔にはそんな力がある。誰もを幸せにする力が」  それからやって来た節穴に後を任せると、夕焼け竜は恐れ知らずを背中に乗せて飛び去りました。  やって来た節穴は、二人の魔女にちらりと目を向けました。  今やどっちがどっちだかわからないほど似てしまった母親たちは、目をぱちくりさせて、自分たちのどちらかが産んだ息子を見ています。  節穴は微笑むと、腕に抱いた妹の頬にキスをして言いました。 「本当のことがわからないのは君じゃなくてぼく。そんなの今までだってわからなかったし、これからだってわからない。  だけど君にはわかるといいね。誰かが知ってほしいほんとのこと」  節穴は小さな妹を母親たちに手渡して、言いました。 「ぼくは影たちを探しに行きます。あの子たちもぼくの弟だから。二人を連れて、ここに帰ってきます。  それまで、弟たちと妹をよろしくお願いします」  そう言い残し、節穴は出て行きました。二人の魔女はぼんやりとしています。  最後に、二枚舌が現れました。  二枚舌は魔女たちを素通りしてそのまま出て行こうとしましたが、母親たちが呆然としているのを見て、ニヤリと笑って近寄ると、抱えられている妹の頬にわざとらしくキスをして言いました。 「大事なものとやらが見つからないのは俺だ。  そんなものあるとは思えないが、おまえはきっと手にするだろうよ」  それから節穴の後を追い、姿を消しました。  後には呆然としている二人の魔女と、魔女たちの腕の中ですっかり泣きやみ、お昼寝を始めたお姫様が残されました。
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続きへ、語り終えて

 長い物語を語り終え、魔女は静かに息を吐きました。まだ少し、付け加えねばならないことが残っています。 「私たちがおまえにかけた呪いを一つずつ肩代わりして、あの子たちはおまえを祝福した。  おまえに残された呪いはあと一つ。『母親のようにみじめに老いてひとりになる呪い』。  私たちが最初に子どもを産んだときと同じ年になったら、おまえは老婆に変わりひとりぼっちになる」  それを聞いて、お姫様は尋ねました。 「お母さんは、私のことが嫌いだったの?」  二人の魔女はお姫様の左右の頬にキスをして、優しく言いました。 「おまえが愛おしくてならないよ。  例えそれが、あの子たちの言葉のおかげだとしてもね」 「兄さんは? 兄さんたちはどうなったの?」  その言葉に、魔女たちはしばらく考え込み、そして言いました。 「そうだね。おまえの兄さんたちに会いに行くのがいいかもしれない」 「会う? 会うって、どうやって? 兄さんたちはどこにいるの?」  尋ねるお姫様に、魔女たちは優しく言いました。 「小山男が言っていただろう。おまえは行きたいところに行けるんだ」 「そして聞いてほしいことは聞いてもらえる」 「「さあ、いってごらん」」  そうしてお姫様は、十人の兄たちに会いに行くことになりました。
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節穴の恋人

 銀色のお姫様は、まず節穴を訪ねに行くことにしました。  家から出て森を抜け、まっすぐ東に進むと、小さな村が見えてきます。節穴はそこで暮らしていました。 「こんにちは。君は誰だい?」  笑顔で出迎えてくれた男の人に、お姫様はたどたどしくあいさつして、自分が妹なこと、呪いの話を母から聞き、どうしたらいいかわからず兄を訪ねたことを話しました。   「そうか、もうそんな季節になってしまったのか。  ごめん。結局影たちは見つけられなかったんだ」  節穴は影を探して東の国へ行き、そこで結婚しました。  それからも影たちを探したものの、あなたには無理だと奥さんにさとされて、いっしょに故郷に帰って来たのです。 「無理?」  お姫様がそのことを尋ねようとしたとき、奥から綺麗な女の人がやってきました。節穴の奥さんです。 「あら、どなた?」  奥さんはなんだかお姫様をにらみつけています。妹だと説明すると、わずかに目をゆるめましたが、やっぱりうさんくさそうです。 「妹って、本当に?」 「ええ、本当です」  奥さんはこちらに顔を近づけると、節穴に聞こえないように言いました。 「そう言ってあの人に近づこうとしてるなら、そんな必要ないわよ」  お姫様は何のことか尋ねようとしました。  すると、家の奥からまた別の女の人がやって来ました。 「おや、君は誰だい?」  節穴は不思議そうに尋ねます。すると、その女の人はわざとらしくすねて言いました。 「やあねえ、自分の奥さんを忘れたの?」 「そうか。悪かったね」  節穴はあっさり納得しました。最初に奥さんだと紹介した綺麗な女の人は、まだ節穴の目の前にいます。  その自称奥さんは、節穴に聞こえないよう、こっそりお姫様に言いました。 「この人、嘘とほんとの見分けがつかないの。私があなたの奥さんですって言ったら、誰でも自分の奥さんだって思いこんじゃうのよ。本当の奥さんはまだ東の国にいるらしいわ。  だから、あなたがこの人に近づきたくて妹だって言ったんなら、わざわざそんな回りくどい嘘つかなくても」  そこまでです。お姫様はその場から逃げ出しました。   *  *  *  節穴の家から逃げ出して、走って、走って、走って、村から出て、走り疲れて。  道の途中で、お姫様は立ち止まりました。 「ずいぶん走ったなぁ、おい?」  後ろから声をかけられて、お姫様はびっくりしました。  ふり返ると、節穴そっくりの男の人がそこにいました。けれど、にやけた表情は節穴とは似ても似つきません。  名乗られなくてもわかりました。節穴の兄、二枚舌です。 「お兄さん、あの人たちは」 「節穴はいい男だからな。嘘でもお近づきになりたい女はいくらでもいるさ」 「……本当の奥さんは?」 「東の国で、今でもあいつの帰りを待ってるよ。  一度あいつのふりをして帰ってみたが、すぐに見破られた。あいつと違って見る目がある」  お姫様は息をのみました。もともと節穴は嘘を見破れない人でしたが、自分の奥さんもわからなくなったのは、きっとお姫様の呪いを肩代わりしたせいです。  青ざめたお姫様に、二枚舌は肩をすくめて言いました。 「気にすることはない。嘘が見破れないのはあいつだけじゃない。取り巻きの女たちにあいつのフリをして会ってみたが、見破ったやつはいなかった。  そういう意味じゃあいつは見る目があるな。俺たちを見分けられるやつを女房に選んだんだから」  その口ぶりに、お姫様は尋ねました。 「その人のことが好きなのですか?」  二枚舌は肩をすくめました。 「さあな。なんせ俺は『大事なものは見つからない』らしいからな。まあそんなもの、見つけたいと思ったこともないが。  お前はきっと手に入れられるんだろうさ」  そして、分かれ道を指さして言いました。   「あっちが北で、 お日様と北風が住んでいる館がある。ああ、今は別の名前を名乗ってるんだったか。  気になるなら行ってみるといい」  そう言うと、二枚舌は姿を消しました。  お姫様はトボトボと、二枚舌の教えてくれた方角に歩き始めました。
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青ひげと赤帽子

 北の方に進んでいくと、森の奥に大きな館がありました。青い屋根の立派な造りですが、柵にはツタが生い茂り、庭は荒れ放題。手入れが行き届いてるようには見えません。  お姫様が近づくと、門はひとりでに開き、石畳が奥へ奥へとさそって、きらびやかな玄関がお姫様を迎えました。  足音を吸い取る毛足の長いじゅうたんに、まばゆく輝くシャンデリア。庭とは打って変わって磨き抜かれたタイルの奥から、星を散りばめたような美しいガウンを着た男の人が、ゆったりと現れました。 「こんばんは、ひさしぶり、妹よ。私はかつて『お日様』と呼ばれていた男。  今は『青ひげ』と名乗っている。そう呼んでくれ」  青ひげと名乗った兄は、魔女の話通り息を飲むほど美しい人でした。長く伸びた青い髪の奥で、炎の色をした瞳が爛々と輝いています。そして鼻から下は、空よりも青いひげが豊かにたくわえられていました。  お姫様は青ひげの炎の色をした瞳を見ないようにしながら、ここに来た理由を説明しました。 「そうか……申し訳ないが、影たちがどこにいるのかは私も知らない。  だが、この館でお前の体を休めることはできるだろう。ゆっくりしていくといい」  館を案内しながら、かつてお日様と呼ばれていた青ひげは、家を出てから今までの話を教えてくれました。  大きくなって、ひとりがさびしくなり、お嫁さんをもらうことにしたこと。  お嫁さんの家が大きかったので、いっしょに住むことにしたこと。  そのお嫁さんには先立たれたけれど、また別のお嫁さんをもらい、今は幸せに暮らしていること。 「妻はふせっていてね。残念ながらあいさつすることはできないんだ。申し訳ない」  そう謝って、青ひげはお姫様を部屋に案内しました。  お姫様は「お気になさらず」と答えてから、「北風兄さんもここにいるとうかがったのですが」と青ひげに尋ねました。 「北風は地下牢に閉じこめてある。会わない方がいい。  あいつは人寂しさに耐えかねて、人を食べる怪物になってしまった。かぶっていた白い帽子も血に染まって、今は『赤帽子』と呼ばれている」  お姫様はおどろきました。話に聞いていた北風は、決してそんな人ではなかったからです。 「本当だ。さあ、疲れたろう。もう寝なさい」  そう言って、青ひげは寝室の扉を閉じました。   *  *  *  眠れないまま、お姫様は窓に浮かぶ月を眺めていました。  魔女の話によると、北風は一番最初にお姫様にキスをしてくれた人です。何度考えても、彼が人を殺すなんて信じられません。  お姫様はこっそり部屋を出て、北風のいる地下牢を探すことにしました。  牢はほどなく見つかりました。  そしてそこには、ボロボロの服と帽子で顔を隠した男が、鎖につながれていました。  男の爪は長く、服はどろどろに汚れて、何だか嫌な臭いがします。目深にかぶった帽子は赤より黒に近く、はみ出た髪はあぶらでかたまってギトギトでした。  お姫様は後ずさりそうになりましたが、勇気をふりしぼって尋ねました。 「あなたが、北風だった赤帽子ですか?」  お姫様の言葉に、赤帽子は顔を上げました。 「だれだい? ……ああ、きみなのかい?  これはおどろいた。まさか、また会える日が来るなんて」  帽子で表情はわかりませんが、誠実で優しそうな声に勇気づけられ、お姫様は尋ねました。 「あなたが人食いになったと聞きました。本当なのですか?」 「もちろん嘘さ。人殺しになったのは青ひげのほうだよ。  嘘だと思うなら、そこの扉を開けてごらん」  お姫様が、赤帽子の指さした壁の隠し扉を開けると、そこには凍りついた女の人たちが、たくさん飾られていました。  鏡張りの衣装部屋の中、みんな綺麗なドレスを着て、幸せそうに微笑んで、けれどそのくちびるは永遠に動くことはなく、凍りついた瞳は何も映しません。 「あいつは好きな人を凍らせるんだ。愛する人に触れたくなるのは当然だろうって。  だれかを好きになるって、ほんとはそういうことじゃないのに」 「食べることでもないだろう」  お姫様は急いでふり返りました。お姫様が入ってきた扉をふさぐように、青ひげが立っています。 「安心しなさい。好きだから触りたいと言ったのは彼女たちだ。  私が止めても聞かず、自ら永遠に凍りついた」  青ひげは赤帽子を見て、お姫様に言いました。 「こっちに来なさい。優しい声をしていても、だまされてはいけない。そいつがどんな声も出せるのは知っているだろう」  お姫様はどうしようか迷いましたが、檻の隙間から爪を伸ばした赤帽子にかみつかれ、悲鳴を上げました。  駆け寄った青ひげが赤帽子を叩きます。真冬の氷よりも冷たい手に、たまらず赤帽子はお姫様を放してうずくまりました。 「こいつは狂ってしまった。誰にも愛されないのがつらかったはずなのに、今は愛してくれるかもしれないおまえさえ食べようとしている」  青ひげはお姫様に微笑むと、優しく言いました。 「手当てがすんだら、しっかり休んで、ここから逃げなさい。  だいじょうぶ。おまえを凍らせたりはしない。おまえは、私に触れようとはしないから」  それを聞いて、お姫様は、少なくともあの中の何人かは、自ら凍りついたばかりでなく、青ひげも進んで凍らせたのだと気づいてしまいました。
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旅する小山と親指

 疲れた足取りで、お姫様は青ひげの館から出発しました。足の動くまま、今度は南へ向かいます。  けれど、このまま進んでどうなるというのでしょう? 兄たちはお姫様の呪いを肩代わりしたせいで不幸になっています。それを目の当たりにしたところで何になるというのでしょう?  館で休んだにも関わらず、お姫様は疲れ果てていました。  重苦しさに耐えかね、お姫様が木陰で休んでいると、地響きがしてきました。  おどろいて顔を上げると、木よりも岩よりも丘よりも大きな男の人が、こちらを見下ろしていました。  間違いありません。小山男です。 「おやあ、おどろいた。まさかきみに会うなんて!」  小山男はお姫様をひょいっと指先から手のひらに乗せて、まじまじと覗きこみます。  お姫様はおどおどしながら、ここまでの旅路を話しました。 「そうか、ごめん。影にはぼくも会ってないや。  ところできみは親指兄さんを見なかった?」  お姫様は首をふります。 「そうか、もし会えたらぼくは元気だって教えておいて」  お姫様は本当に小山男は元気なのか、どうして家を出たのか聞きました。  小山男が家を出たのは、秋の実りが薄かった年のこと。小山男がご飯をたくさん食べるせいで、森の食べ物がなくなりそうになったのです。  このままではみんな飢え死にしてしまうと、冬が来る前に小山男は家を出ることにしました。  ひとりでは寂しくてどうしたらいいのかわからなくなっていたでしょうが、親指大将もこっそり小山男の靴に乗ってついてきてくれました。  親指大将は「家に帰りたくなったら足跡をたどればいい」と小山男をはげまし、二人はしばらく旅を続けましたが、ある日うっかり兄を目にしてしまった小山男が、悲鳴を上げて親指大将を川に落としてしまい、そのまま離ればなれになってしまいました。 「親指兄さんのことだからきっと無事だと思うんだけど、見つからなくて。  ひょっとしたら家に帰ってるかもと思ったんだけど、兄さんをさがすのに川を下って海まで出ちゃってね。足跡がわからなくなったんだ。  家族に会うのは久しぶりだよ」  お姫様はまた落ち込みました。親指大将は恐ろしい姿でも何でもありませんでした。小山男とはぐれたのは、お姫様の呪いを肩代わりしたからです。  落ち込んだお姫様に、小山男は尋ねました。 「ねえ、今まで幸せだった?」  その問いに、お姫様は迷わずうなずきました。森で黒い魔女と白い魔女と暮らしていたころ、お姫様はとても幸せでした。  小山男も笑顔でうなずきます。 「そう。じゃあ、これからもきっと幸せだよ」  そうはげますと、小山男はお姫様を近くの森にそっと下ろし、「兄さんに会えたらよろしくね」と頼むと、そのまま地響きを立てながら去っていきました。   *  *  *  小山男と別れた後、お姫様は何かを決意した足取りで歩き始めました。  ゆっくりと、慎重に、何かを探すように歩いていきます。  やがて西の草むらで、お姫様はついに目当ての人から声をかけられました。 「よぉ。もしかして、おまえはおれの妹か?」  お姫様は飛び上がり、近くに人影を探しました。けれど見つかりません。 「ああ、見つけないほうがいい。おまえならだいじょうぶかもしれんが、怖いものは怖いだろ」  よく耳を澄まさなければ聞こえない、虫の羽音より小さな声。間違いありません。親指大将です。 「親指兄さん、つぐないに参りました。小山兄さんのところまで案内します」 「あいつに会ったのか。元気だったか?」  お姫様は小山男に会ったこと、小山男が親指大将を探して旅をしていることを話しました。 「ああ、元気にしているなら別にいい。  あいつは甘ったれなところがあるからな。これを機に少しはたくましくなってくれたら万々歳だ」  お姫様はうつむきました。親指大将はのんきに言います。 「何、生きていればそのうち会える。おまえが気にすることはない。  呪いのことなら、猫に襲われることがなくなって助かってるくらいだ」  お姫様は少し笑いました。親指大将は言葉を続けます。 「影たちのことはおれも知らないが、西の国に恐れ知らずがいるらしい。次に行くならそこがいいだろう」  お姫様はお礼を言いましたが、返事はありませんでした。  お姫様は草むらのどこかにいる親指大将に深々とおじぎをすると、西の国を目指し歩き出しました。
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恐れ知らずのあかね空

 西の国の港町で、お姫様は恐れ知らずと会いました。恐れ知らずは夕焼け竜を探して旅をしていたそうです。  夕焼け竜が誰もが恐れる声を持つようになってから、夕焼け竜が何かしゃべるたびに、家中しっちゃかめっちゃかの大騒ぎになりました。  恐れ知らずだけは平気だったのですが、声を出すたびに兄たちを怯えさせてしまう生活に嫌気が差した夕焼け竜は、ある日あかね色の空に飛び去り、そのまま帰っては来ませんでした。  お姫様は恐れ知らずに夕焼け竜を探す手伝いをすると申し出ましたが、恐れ知らずは首を横にふり、こう言いました。 「夕焼け竜がどこにいるかはもうわかっているんだ。だが、おまえはおまえの旅を続けた方がいいだろう。  影たちは西の海にいるらしい」  お姫様はおどろきました。影たちのことを知っている兄に会ったのは初めてです。 「西の海でときどき船が沈む。船が沈むとき、波にまぎれて歌が聞こえたと言っているやつがいた。おそらく影たちの仕業だろう」  お姫様はお礼を言いましたが、どうしても気になったので、夕焼け竜の行方を尋ねました。 「夕焼け竜も西の海にいる。だが空高く飛んでいるし、船で追おうとしてもあっという間に姿が見えなくなる。恐れを知らないだけじゃどうにもならない」  恐れ知らずは西の方を見つめて言いました。 「影たちに会うなら気をつけて行け。おれは夕焼け竜が羽を休めている場所を探すつもりだ」  お姫様は改めて恐れ知らずにお礼を言い、ひとまず影たちに会いに行くことにしました。  最後に、お姫様は恐れ知らずに、呪いを肩代わりして辛い目にあわなかったかと聞きました。 「いや、特には」  恐れ知らずは言いました。 「あいつがいなくなったとき、泣けなかったくらいかな」   *  *  *  冒険者たちの船に乗せてもらい、お姫様は西の海へ向かいます。  西の海に着いてしばらくすると、波の音にまぎれて、どこからか歌が聞こえてきました。 「「眠ろう、眠ろう。海の中。   眠ろう、眠ろう、波の中。   暗闇の中でひとりきり。   波間の中でひとりきり。   ずっとみんなで遊ぼうよ」」 「お兄さん!」  間違いありません。あの日お姫様の前に現れた鳥の声です。  お姫様は大声で影に呼びかけましたが、歌は止みません。  お姫様は呼びかけ続けます。しかし、影は応えません。  すでにお姫様以外の人はみんな眠っています。船が座礁に近づいてきました。 「お兄さん!」 「なんだい?」  世にも恐ろしい声が、お姫様の頭上から聞こえてきました。  見上げれば、夕焼けのように輝く鱗の真っ赤な竜が、青空を背にお姫様を見下ろしていました。  夕焼け竜は船をつかんで空を飛び、近くの島にそっと船を下ろしました。いつのまにか、影たちの歌は聞こえなくなっていました。 「だいじょうぶだったかい? 妹や」  竜は優しく問いかけましたが、その声は何よりも恐ろしく響きました。  お姫様は震えましたが、しかし、うなずいてお礼を言い、ここまで影を探しに来たことを話しました。 「そうか。私はやつらとちょっとだけ仲が良くてね。どこにいるか知っている。  案内してあげよう」  そう言うと、竜はお姫様に背中に乗るよう言いました。お姫様はお礼を言い、鱗を足場に竜の背中によじ登ります。  飛び立つとき、お姫様は夕焼け竜に、恐れ知らずが夕焼け竜を探して旅をしていることを伝えました。 「そうか」  竜はうなずき、それから、もう一度うなずきました。 「そうか」
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影の真実

 夕焼け竜は座礁に囲まれた小さな島に羽を下ろしました。  ここが影たちの住み処で、夕焼け竜の住み処でもあります。 「あいつらは意地が悪く気まぐれで、頼み事をすれば無理難題を吹っかけてくる。十分に気をつけなさい」  夕焼け竜がお姫様にそう言うと、どこからか笑い声が聞こえてきました。 「ひどいなあ。ぼくらは親切だよ? とっても親切」 「教えてあげたじゃない。きみはもうすぐ独りになるって。ひとりぼっちで死んでいくって」 「「かわいそうなぼくらの妹」」  影たちの声です。お姫様は辺りを見渡しましたが、島は木々が生い茂り、どの木陰に影たちがいるのかわかりません。   「「何しに来たの? ぼくらの妹。呪われたぼくらの妹」」  影たちの問いに、お姫様はすぐに答えました。 「聞きたいことがあって参りました」 「「じゃあ遊ぼう」」  影たちは楽しげに言いました。木陰から二つの影がおどり出て、くるくる日向で踊ります。  片方の影が言いました。 「ぼくは黒い魔女の影」  もう片方の影が言いました。 「ぼくは白い魔女の影」  両方の影が言いました。 「「どっちがどっちか当ててごらん」」  日向で手をつなぐ影は鏡のようにそっくりで、とても見分けはつきません。  しかし、お姫様はすぐに片方を指さして言いました。 「あなたが黒い魔女の息子で、もう一人が白い魔女の息子です」  影たちは笑い声を上げました。 「「正解正解、大正解!」」  そうしてまたくるくる回ると、片方が手を挙げて言いました。 「さあ、ぼくは誰?」 「あなたが白い魔女の息子で、もう一人が黒い魔女の息子です」 「はい、ぼくは誰?」 「あなたは黒い魔女の息子で、もう一人が白い魔女の息子です」 「……じゃあ、ぼくは誰?」 「黒い魔女の息子です」 「……ぼくは?」 「白い魔女の息子です」  何度繰り返してもお姫様が影を正確に言い当てるのにつれて、影たちは次第に笑うのを止め、とうとう手をつないだまま踊るのを止めてしました。  影たちはお姫様に尋ねます。 「どうしてわかるの?」  お姫様は答えました。 「あなたたちが、当ててほしいと思っているからです」  黙りこんだ影たちに、お姫様は静かに尋ねます。 「質問に答えていただけますか?」 「「……うん、いいよ。何が聞きたい?」」  お姫様は息を吸い、目をつむりました。  自分はここまで何をしに来たのか。母たちから呪いの話を聞き、兄たちを訪ね歩き、そしてついに影たちの元までたどり着きました。  お姫様は意を決して尋ねます。 「兄さんたちの呪いを解く方法を教えてください」  影たちは答えました。 「「そんなものはないよ。一度口にした言葉は取り消せない。   魔女たちはぼくらを呪った。それはなかったことにはできない。   けど、肩代わりした呪いを君に返すことはできるよ」」 「やめなさい」  夕焼け竜がうなります。けれどお姫様は問いかけをやめませんでした。 「その方法は?」 「「兄さんたちがやったのと同じ方法さ」」 「やめないか!」  夕焼け竜が怒鳴り、大きな口を開いて牙を見せます。  しかし、お姫様は夕焼け竜に微笑みました。  お姫様の微笑みに、夕焼け竜は何も言えなくなります。 「風にたのんでごらん。自分の声を兄たちに届けてほしいって」 「言葉が届けば願いは届く。願いが届けば魔法は叶う。さあ、言ってごらん」  影たちの言葉に、お姫様はうなずき、風に向かい言葉をつむぎ始めました。
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お姫様のキス

 恐れ知らずは西の国で、赤い竜を見たという人の話を聞いていました。ひとりぼっちで西の空を飛ぶ竜の話を聞くたびに、あかね色の空に飛び去っていった弟がまぶたに浮かびます。  ふと、どこからか潮風が恐れ知らずの髪をなで、鼻をくすぐり、まぶたにキスをしました。 「泣けないのはあなたではなく私。  恐れも悲しみも喜びさえも知らなくても、あなたは愛しさを知っている」  ふと、恐れ知らずの目の奥が熱くなりました。  生まれて初めての熱が何だかわからずに、恐れ知らずはあの日のあかね空にまぶたを焦がしました。   *  *  *  西のほとりにある草原を、親指大将はのんびりと歩いていました。親指大将にとって背の高い草はまるで森のようでしたが、いつものことです。  ふと、風が草をゆらし、さわさわと音を鳴らしました。草の奏でる音が親指大将を包みます。  その音に混じって、声が聞こえました。 「見る者すべてに恐れられるのはあなたではなく私。  あなたは愛する人に、自分の姿を見てもらえる」  音は通り過ぎ、風も止みました。  今のは何だったんだろうと親指大将が首をかしげると、今度は地響きがしてきました。   *  *  *  強い風が小山男の髪をゆらしました。どんなに強い風も、小山男にとってはそよ風みたいなものです。  良い天気だなあと小山男がのどかに空を見上げると、足下の草原がさわさわと音を鳴らしました。 「家に帰れなくなるのはあなたでなく私。  あなたは会いたい人に会いに行ける。帰る場所がある」  どこからか聞こえた声に、小山男は足下を見下ろしました。小山男が人の声を聞くのは、大抵足下からです。  何の気なしに見た足下に、懐かしい兄の姿を見つけて、小山男は大喜びでその場にしゃがみこみました。   *  *  *  赤帽子は牢で眠っていました。ひとりぼっちのときでも、目深に被った帽子は手放しません。  何の楽しみもないここでは、眠ることでしか暇をつぶせませんが、赤帽子が一番幸せなのは寝てるときです。いつか誰かに愛される夢を見ながら、赤帽子はおだやかな寝息を立てています。  閉められた檻から隙間風が吹き、赤帽子の寝顔にキスをしました。 「誰にも愛されないのはあなたでなく私。  あなたはきっと誰かに愛される。愛する人を見つけられる」  夢の中の言葉に目を覚まし、赤帽子は牢を見渡しましたが、そこにはまだ、誰もいませんでした。   *  *  *  青ひげはいつものように隠し部屋で妻たちを眺めていました。  凍りついた妻たちは冷たいばかりですが、青ひげは気にしません。妻たちとの思い出に浸るのが、青ひげの一番の楽しみです。  不意に妻たちから吹いた風に抱きしめられ、青ひげはおどろきました。耳元で女の声がささやきます。 「愛し方がわからないのはあなたでなく私。  愛しているから傷つけたくない。いつかそんな答えを見つけるでしょう」  青ひげは声の主を探して部屋を見渡しましたが、そこにはまだ、凍りついた妻たちがいるだけでした。   *  *  *  東の村の夜道を、二枚舌はのんびりと歩いていました。  節穴のニセ奥さんたちをからかうのもずいぶん前に飽きていましたが、さりとてここを離れる気も起きないから不思議です。  いっそ節穴の本物の奥さんのところに行こうかと考え、それも気が進まないと考えていると、道端の花をゆらした風が二枚舌の頬にくちづけました。 「大事なものが見つからないのはあなたでなく私。  いつか手にしたものに気づくでしょう。それが苦しみばかりでないことも」  ふと、二枚舌は遠い昔、節穴がしょっちゅうけんか相手の嘘泣きにだまされていたことを思い出しました。  遠い昔、嘘泣きで弟をだましたやつを、弟のフリをして叩きのめしたことを思い出しました。   *  *  *  節穴は家で奥さんたちといっしょに夕飯を食べていました。奥さんたちは互いににらみ合っていますが、節穴が首をかしげるとすぐに笑って取りつくろいます。  また一人奥さんが帰ってきて、夕飯の席に着きます。節穴は首をかしげましたが、いつものように適当に誤魔化されました。  開けっ放しだった扉から、夜風が食卓に入り込みます。 「本当のことがわからないのはあなたでなく私。  さあ、あなたを待つ人のところに帰ってあげて」  節穴は立ち上がりました。  扉の向こうで、兄が手招きをしていました。   *  *  *  最後に、お姫様は夕焼け竜の鼻先にキスをして言いました。 「恐ろしい声の持ち主はあなたではなく私。  あなたはもう、恐れられるばかりではない。誤解を解ける。大事な言葉を聞いてもらえる」  そう言って、お姫様は微笑みました。  銀色の髪はくすんだ灰色になり、白い肌はカサカサに乾き、唇は青ざめ、微笑みはシワに隠れてわかりませんでした。
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三人の老婆

 風が吹いて止む間に、お姫様はしわくちゃの老婆になっていました。  澄んだ夜明け色の瞳が光のない暗闇へと濁り、今まで当たり前に感じていた、大切な何かが、お姫様の中から失われていきます。  お姫様だった老婆は、手を伸ばしヨタヨタと歩き始めました。のどからは悲しげな、世にも恐ろしい声がこぼれています。  夕焼け竜がうめいて後ずさる前に、二つの影が老婆を囲み、楽しそうに歌いました。 「「呪いはすべて返された。   ここにいるのは哀れな老婆。   醜い哀れなひとりの老婆。   恐ろしい声ですすり泣き、   乾いた目から涙は出ない。   大事なものはどこにもない。   本当のことはわからない。   誰を愛することもなく、   誰に愛されることもなく、   ひとり惨めに死んでいく。   それでも帰りたいなら帰してあげよう。   小さな寂しいあばら屋に」」  夕焼け竜が吠える前に、影たちは老婆を闇に包み、どこかに消えてしまいました。   *  *  *  真っ暗な闇の中で、お姫様だった老婆は目を覚ましました。  辺りを見渡すと、影はどこかに姿を消していて、懐かしい景色が広がっています。  森の中の小さな家。二人の母と過ごした懐かしの我が家に、老婆は帰ってきたのでした。  喜び勇んで家に飛び込み、老婆は母を呼びました。  返事はありませんでした。ささやかな温もりに満ちていた家が、冷たい、よそよそしい空気に満ちています。  戸惑い、老婆は床に目をやりました。二人の母はそこにいました。  若い頃いがみ合っていたという二人は、その過去が嘘だったかのように手をつなぎ、仲良く眠りについています。しわくちゃの安らかな寝顔は、双子のようにそっくりで、見分けがつきません。  二人の魔女は、息をしていませんでした。老婆はそれに気づきませんでした。冷たくほこりのつもった家は、もう老婆の家ではありませんでしたが、老婆はそれにも気づきませんでした。  子どものころに帰ったような気持ちで、お姫様だった老婆は石のようになった二人の母のひざに甘え、そのまま眠りにつきました。  少しの時間の後、そこには千年生きた樹よりも深いシワの刻まれた、そっくりな三人の老婆が、冷たい床に転がっていました。
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十三番目のキス

 お姫様だった老婆は眠っています。どこからか声が聞こえてきます。  影たちの声のような気もしましたが、それより年老いた声のような気もしました。  声はこんなことを言っていました。 「呪われたのは君でなくぼく。  醜い姿になったのも君でなくぼく。  姿を見ただけで怯えられたのもぼくだし、声を聞いただけで恐れられたのもぼくだ。彼女たちはいつも、ぼくにばれないかと怯えていた。  本当のことがわからなかったのもぼく。彼女たちがどうしてほしかったのか、結局ぼくはわからないままだった。  本当の愛がわからなかったのもぼく。みんな愛してた。誰か一人なんて選べなかった。  家を失ったのもぼく。みんなぼくのせいで呪われた。  泣けなかったのもぼく。泣いたらあの子たちが憐れだと認めるようで泣けなかった。  愛し方がわからず傷つけたのもぼく。どう答えれば満足するのか、結局わからないままだった。  みじめに年を取って死んだのもぼくだ。  彼女たちが呪いたかったのは、本当はぼくだよ」  頬に何かが触れる感触がして、お姫様は目を覚ましました。  八人の兄が、そろってお姫様を覗きこんでいました。
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終わりに、新しい家族

 昔々、あるところに銀色のお姫様がいました。その人は王様の娘でもなく、特別高貴な生まれというわけでもありませんでしたが、お姫様としか言いようのない人でした。  お姫様には十人の兄と、二人の母がいました。母親たちは、今は父親といっしょのお墓で、静かに眠っています。  体のない二人の兄が、どこで何をしているかはわかりません。お姫様の件を根に持っている竜の兄が追いかけ回しているという話も聞きますが、恐れを知らない兄から聞いた話は淡々としすぎていて、どこまで大事なのかはかりかねます。  体の大きな兄と小さな兄は、家でお姫様を助けてくれています。体の大きな兄はときどき出稼ぎに行きますが、体は小さいけれどしっかり者の兄がいっしょにいるから大丈夫でしょう。  青い髪の兄と赤い帽子の兄は、今も北の館で暮らしています。庭にはたくさんのお墓が並んでいます。お姫様はときどき訪ねに行って、お墓に花を供える手伝いをしています。  優しい兄は奥さんと東の国で暮らしています。もうすぐ子どもが生まれるそうです。賢い兄は東の村でのんきに女の人に囲まれて暮らしているそうですが、優しい兄の近くに住まないかという頼みは断固として断り続けています。  お姫様は今も、母と住んでいた森の奥の小さな家で暮らしています。  以前と変わりのない暮らしですが、兄たちがしょっちゅう訪ねてくるので、前よりも騒がしい日々が続いています。  それに、夜 物語を語り聞かせるのは、今ではお姫様の役割になっていました。  訪ねてくる兄たちと暖炉を囲んで、たまにはこっちが兄たちを訪ねて、母たちが教えてくれた物語を兄たちに語りながら、お姫様はまた旅に出ようと考えています。  とりあえずは、優しい兄の子どもを見に。  生まれてくる新しい家族に、やさしいキスと、とびきりの甘い言葉を贈りたいと、お姫様は考えているのでした。